イップス克服に向けて018:イップスには「いい加減」「適当」が効く!?
▶イップスの人は完璧主義
イップスになる人は、「完璧主義」の傾向です。
「完璧」というと、聞こえはいいかもしれませんけれども、有り体に言えば「強烈なエゴ」です。
なぜなら、テニスに完璧などあり得ないのに、その現実を踏まえず、自分(だけ)はそうであろうとし、周囲に自分の優秀さを認めさせよう、認めてもらおうとするからです。
▶ミスを許せないから、ミスの連鎖が止まらない!
ですから、自分のミスを受け容れられません。
そのせいで、ミスをしたら、ミスAに囚われて、引きずるから、次のミスA´の連鎖が生じます。
これがミスA´´´´´´´´´´´まで連鎖したトドメが、イップスのひとつの形と言えるでしょう。
イップスになるともう、ミスしないほうがオカシイ。
フォアハンドストロークのスイングはもちろんのこと、球出しやトスアップといった、簡単な動作すら(簡単な動作ほど)、できなくなる。
ですから皮肉もいいところで、完璧主義ほど「完璧から最も遠ざかる」のです。
「全員から好かれよう」とすればするほど、だれからも好かれないのに似ています。
「子どもを完璧に育てよう」とすればするほど、親の思いに反した人格になる。
▶いい加減に! 適当に!
しかし裏を返して言えば、ミスに対する接し方方こそが、完璧主義を緩和する治療にもなる。
つまり、ミスAのところで囚われずに、嫌悪して退けようとするのではなく、受け入れれば、ミスA´への連鎖は生じません。
そこで私はよくイップスの人に、「『いい加減』『適当』にプレーしてください」と、お伝えします。
完璧主義というと聞こえはいいかもしれない、と申しました。
一方で「いい加減」「適当」というと、聞こえは悪いかもしれません。
実際、テニスゼロを立ち上げたばかりのころ、「ファイナルセットのタイブレークで上手くプレーするには?」といった主旨のご質問を読者からいただいた折、「適当にプレーしてください」などとお応えしたところ、お叱りのメールをいただいたのを今でも覚えています。
それきり、一切の連絡もなくなりました。
私の伝え方がマズかったのでしょうけれども、「いい加減」は「良い加減」であり、「適当」は「適する当たり」。
つまり「完璧を求めないでください」と、お願いしたつもりなのです(完璧を求めると、完璧から最も遠ざかる)。
逆に言うと、「いい加減」「適当」な性格で、イップスの人なんて見たためしがありませんから。
▶それくらいのミスでよかった!
要するに完璧主義の人は、自分にもミスにも、「厳しすぎる」んですよ。
もっと寛容でいい。
もとい。
もっと寛容がいい。
こう言うと「いやいやいやミスはダメなんですよ!」「ミスを許すなんてトンデモナイ!」などという、自分に(他人にも)厳しすぎる人がいるけれど、それはミスを「とても恐れている」のです。
ミスくらい、いい。
人間だもの。
むしろ「それくらいのミスでよかった」のです。
もっとひどいミスだってある。
テニスに限らず、仕事でもプライベートでも、失敗やいざこざが、てんやわんやでしょう。
でも、それくらいで、まだよかったのです。
世の中は、重いも軽いも、暑いも寒いも、大きいも小さいも、上も下も、「相対」でしか測れません。
▶重いラケットなんて、ない
話を脱線させますが、テニスで言えば、厚いフレームなんてありません。
22ミリ厚は、プロスタッフの18ミリ厚に比べるから確かに厚いのだけれど、ハンマーの30ミリ厚に比べれば薄いのです。
スペックを見ると、どうしても「これじゃあ飛ばない」「飛びすぎる」などと、頭で考えて、惑わされてしまいがちです。
だからラケットを買うときには、試打できるのであればスペックなど一切見ずに、打ってみた「感覚」で選ぶのが吉。
厚みだけではありません。
「320グラムは、私には重すぎて振り切れない」
特に女性ならそう思うかもしれませんけれども(←世の中に「レディスモデル」なるものがあるからあえての表現)、そんなことはありません。
操作性は、静的な重量のみならず、バランスやスイングウェイト、フレーム形状などの諸条件により、プレーヤーによってさまざまです。
しかもその数字も、製造上免れない公差を含め、カタログに記載されているスペックには同じモデルのラケットであっても、個体差がある。
▶ラケットは「感覚」で選ぶと間違いない
なのでなおさらスペックなど気にせず(数字に惑わされず)、あくまでも「感覚」によるフィッティングが望まれます。
静的重量が320グラムでも、トップヘビーかトップライトかで、操作性はまるで違いますから。
それを数値化したのがスイングウェイト(動的重量)なのですけれども、これも同じモデルであっても測定装置のラテストで測ってみるとかなりのバラツキがあるから、なおさら数字はほとんどあてになりません。
ですから周知のとおりカタログには「重量」ではなく「平均重量」などと、バラツキのあるうちの中間値が記載されていますね。
ちなみに、感覚に根拠なんて必要ありません。
何となく「しっくりくる」というフィーリングがいちばんのサイン。
これは、人間関係も同じですね。
「ハイスペ男子」とか言われますが、そういうデータで選ぶのは危険。
スペックではなく、「何となく合う人」がいいと思います。
まぁこれは、余談です。
▶ミスはサッサと「諦める」
話を戻すと、相対化できないからイップスの人は、自分が自分でも自分に「厳しすぎる」なんて、なかなか気づけなくなる。
でもイップスになる人って、異常なくらい自分に厳しすぎるきらいがある。
そうやって追い詰めるから、発症するのですね。
ミスして失ったポイントは、サッサと諦めてください。
囚われたところで、チャレンジシステムを利用できるならまだしも、ミスがコレクション(訂正)されるわけでもありません。
「諦める」というと、後ろ向きの印象かもしれないけれど、「諦められない」のは、往生際への囚われであり、サッサと「諦められる」ほうが、前向きで潔いし、柔軟な精神性がなければできません。
好きな物(や人)を、諦めないのと、諦めるのとでは、「どちらが大変か?」というと、当然後者なのですから。
▶「ゾーン」に入る意外な入口
諦めるというのが、ミスAを、それ以上に連鎖させないポイント。
完璧主義者は、ミスしたポイントを諦められないから、「失敗は成功のもと」として活かしづらいのです。
裏を返して言えば、完璧主義を緩和してくれるのもミスであり、実際に犯したときに嫌悪して退けようとするのではなく、自分に甘くなって許容する経験値を高めるために役立てる。
すると、先の理屈とは逆に、むしろ「完璧に近づく」のです。
「全員から好かれよう」としなければ、媚びない姿勢がむしろ好感されやすい。
「子どものミスを認める」と、すくすくノビノビ育ちます。
ミスを「怖れない」ですからね!
ちなみに、ミルクをこぼしてピチャビチャと遊び始めたら、親が片付けてはなりません。
チャンスをみすみす取り逃がします。
そのピチャピチャが、「ゾーン」の入口なのですから。
▶ミスが「自己肯定感」を取り戻すきっかけに!
「ミスは絶対ダメ!」と厳しい人ほど、ミスを怖れているのでしたね。
「こんなんじゃダメだ」という自分に対する感じ方を、これまで散々してきたかもしれないけれど、その厳しい見方の一つひとつの積み重ねが、自己肯定感をサクッ、サクッと削ぐのです。
ミスしたときに、「この程度でよかった!」「いくらでも取り返しがつく!」「失敗は成功のもと!」などと勘違いして(?)、自分に甘く、甘く!
こんな自分に対する優しい感じ方の積み重ねが、自己肯定感を取り戻すきっかけになるといいですね。
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