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質問1536:テニス等をやるのは人格向上のため?
こんばんわ
以前テニスゼロのサイトでテニス等をやるのは人格向上のためというのを見ました。
普段テニスする時、人格向上のために意識してることはありますか?
回答
▶人格向上とは、「苦しみからのエスケープ」
テニスゼロのウェブサイト時代から引き続きご訪問くださり、嬉しい限りです。
お久しぶりです。
今はご存じのとおり事情があって、noteに活動拠点を移し、鋭意執筆中です。
さてご質問を頂戴し、以下に回答いたしました。
ご参考にしてみてください。
人生に、「生きる意味」はないじゃないですか。
ないにも関わらず、一切皆苦で、苦しいだけじゃないですか。
私のいう人格向上とは、「苦しみからのエスケープ」です。
たとえばこちらでは、「嫉妬は人としてとても苦しい感情」と、ご説明しています。
テニスというスポーツを通じて、嫉妬という苦しみの感情を乗り越えるのです。
何しろテニスは、嫉妬に直面してばかりのスポーツですからね。
後輩に負けた、レギュラーになれなかった、一緒にテニスを始めたのに先を越された……。
同期が活躍したら、チームメイトなのに「負けりゃいい」とすら思いもする。
うろ覚えで恐縮ですが、とんねるずの木梨憲武さんは帝京高校サッカー部時代、自分がベンチに入れずスタンドで応援する側に回ったとき、「(帝京が)負けりゃいい」、そんな感情に見舞われたそうです。
社会人の出世レースも、似たようなものかもしれませんね。
思いたくないのに、思ってしまう。
嫉妬とは、自分の立場が脅かされるサインです。
だから苦しい。
▶意味のない人生に、意味を見出す
嫉妬だけではありません。
不甲斐ないミスを犯して、カッとくる怒り。
試合が始まる前の、ソワソワする不安。
ミスを忌避して、しっかり打てなくなる怖れ。
対戦相手の微妙なボールを、ついアウトと言いたくなる嘘。
みんな「苦しみ」ばかりです。
嫉妬、怒り、不安、怖れ、嘘を乗り越えていくのが人格向上。
もちろん、テニスだけが人格向上できるツールというわけではありません。
あらゆる営みが「苦しみ」ですから、つまり人生そのものが「苦しみ」ですから、人生を通じて人格向上にせっせと精を出していれば、もともと意味のない人生に、意味を見い出せます。
嫉妬、怒り、不安、怖れ、嘘がなくなれば、心が安らいで、結果的にテニスも上手くいく(楽しめる)ようになるでしょう。
それと同じように嫉妬、怒り、不安、怖れ、嘘がなくなれば、結果的に人生も上手くいく(楽しめる)ようになります。
▶「ワケの分からない不安」その正体は?
よく「嘘も方便」などといって、簡単に嘘をつく人がいますが、トンデモありません。
嘘というのは、ついた瞬間からバレないように覚えておかなければならなくなるから(強制的に覚えておかざるを得なくなるから)、心身にとって「ものすごいストレス」なのです。
表面的には「忘れていい」「記憶にございません」などといって、平気でいられる気になるかもしれないけれど、そうは問屋が卸しません。
潜在意識では、「忘れちゃいけない」「バレないだろうか」と、条件が揃うたび(その人と会う機会を避けたりして)、いつもビクビクしながら生きています。
潜在意識にはしっかり刻まれているせいで、「ワケの分からない不安」に見舞われたりするというのがその正体。
嘘をつくと、その嘘を隠すために800の嘘が必要になるというのが「嘘八百」だと、私は勝手に意訳しています。
800もの嘘を覚えておかなければならない(強制的に覚えておかざるを得ない)なんて、ものすごいストレス。
「類は友を呼ぶ」とはまさにそのとおりで、不安がさまざまな不安を引き寄せるのです。
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