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テニス上達メモ470.罪は罪でも人は憎まず--自己肯定感を理解するための「いちばんのポイント」


▶自分を褒めると自己肯定感が上がるの?

 
ヤフートピックスに、「心理カウンセラーによる自己肯定感を向上させる方法」が掲載されていました。
 
この記事は、本当に自己肯定感を高めるでしょうか?
 
内容を要約すると。

●自分を褒めると自己肯定感が上がる。
●自分を褒めるときは、人前で口に出して褒めるとうざい奴だと嫌われるかもしれないから、心の中で褒める。
●自分を褒めるのが苦手な人は、褒める代わりに自分にご褒美をあげる。
●人から褒められるようにするというのも手。日頃から自分を褒めてくれる人を確保しておく。

私は読後、違和感を覚えてしまいました……。
 

▶条件なんていらない!


褒めるためには、褒めるための条件が必要になります。
 
当該記事のカウンセラーは「1キロ泳いだとき」を挙げていました。
 
ほかには、、、
早起きできたとき?
怒らなかったこと?
親切にできたとき?
 
「〇〇できたから」
 
こういう褒めるための条件をいくら追求しても、自己肯定感が高まることはないでしょう
 
早起きできた、怒らなかった、親切にできた、など、「できたことに対する自信」がつくだけです。
 
自転車に乗れるようになっても、自己肯定感は高まりません。
 
それは、自転車に乗れる自信がつくだけです。
  

▶「条件なし」の受け入れを

 
そうではなくて自己肯定感とは、条件を抜きにした「ありのまま」の受け入れによって得られる自分に対する肯定的な感じ方。
 
つまり「〇〇だから」の「条件」が伴う以上、「ありのまま」とは、真逆とさえ言えるのです
 
「お手伝いできて、〇〇ちゃんエライねー」の褒めは、「お手伝いできて」の条件つきだから、〇〇ちゃん自身を肯定したのとはわけが違います。
 
むしろ、「お手伝いしない〇〇ちゃんはダメだねー」という禁止令にさえなっているから、却って褒めは、やがて自己肯定感を失墜させる時限爆弾をセットするようなものとも言えるでしょう。
 
労いたければ評価するのではなく、「手伝ってくれて助かったよー」などと、事実を伝えればいいと思います。 

▶自己肯定感を理解するための「いちばんのポイント」

 
「ありのまま」とは、寝坊しても、怒っても、不親切でも、「人それぞれいろんな事情があるものだ」という人や物事に対する受容的な見方。
 
もちろん、「寝坊していい」し、「怒ってもオッケー」だし、「不親切でも全然構わない」、などと、いっているわけではありません。
 
それとこれとは、別。
 
ここが、自己肯定感を理解するためのいちばんのポイントです。
  

▶罪は罪でも人は憎まず

 
分かりやすくいえば、「罪を憎んで人を憎まず」よろしく、「罪は罪でも人は憎まず」です(※注1)。
 
言動には確かに問題がある(ように主観的には思える)としても、そう言ったりしたりせざるを得なかった背景には、徹夜でクタクタだったとか、子どもの問題で揉めていたとか、介護で悩みを抱えているとか、別れに絶望し心に余裕がないとか、あるいは育ってきた環境の生い立ちも含め、その人にしか分からない(その人にもよく分かっていない)、何かしらの事情があってのこと
 
そこに思いを馳せられると、少し人や物事の見方が合理的に変わって、「まぁ、そうする(なる)のも無理もない」といった具合に、「自分が穏やかになれる」ところに真価があるのです。
 

▶“褒め”は逆効果

 
ですから、「罪」を肯定するというのとは、まったく違います。
 
それと同時に、「功」を肯定するというのとも、全然違います。
 
ここが自己肯定感を理解するためのいちばんのポイント。
 
「寝坊していい」し、「怒ってもオッケー」だし、「不親切でも全然構わない」わけではありません。
 
テニスで言えば、ミスしてもいいとか、負けても構わないとか、勝ったからエライとか、いっているわけではありません。
 
それらの「功罪」はさておき、さまざまな事情に思いを馳せて「ありのまま」の自他を受け入れるところに眼目があるのです
 
自己肯定感を高めるのに、褒めは、効果的ではありません。
 
ともすれば、やりがちかもしれませんけれども、結果的に逆効果が働きます。
 
なぜなら「〇〇ができたから」という条件つきの肯定は、「ありのまま」の自己(あるいは他者)肯定とは、対局に位置するからです
 

▶「いいね」を求めて「いい人」を演じる?

 
自分にご褒美をあげたところで、自己肯定感は高まりません。
 
何かと理由をつけて、ご褒美を用意する。
 
これでは「ご褒美(という条件)がないと自己肯定できない」と言っているようなものです。
 
「日頃から自分を褒めてくれる人を確保しておく」というのは、論外でしょう。
 
まるで人を、自分の“褒め”に使うためのモノ扱いで、相手に対するリスペクトとはほど遠いと言えます
 
もちろん、何でも話せて、主観的なアドバイスも交えず話を聞いてくれる人がそばにいてくれるだけでありがたいのは確かなのですけれども、それは「褒めてくれる人の確保」とは意味合いが違います。
 
その上それは「自己肯定」ではなく、「承認欲求」
 
「いいね」の“褒め”を求めるあまり、「いい人」を演じて、「ありのまま」の自分を見失うのです
 
ドーパミンの快楽ほしさに、場合によっては「嘘」さえついてしまいかねず、脳内麻薬は耐性がついてエスカレートしかねません。

▶「生きづらさ」が「生きやすさ」に変わるとき

 
自己肯定感がないと、自分の意見や都合や体調よりも他人を優先する、気を遣ってヘトヘトになる、キレやすくなる、不機嫌がデフォルトなど、「生きづらさ」にさいなまれるのは確かなのですけれども、誤ったアプローチではかえってそれらの「生きづらさ」を増長しかねないから注意が必要でしょう。
 
換言すれば自己肯定感があると、自分を大切にできる、人間関係をコントロールできる、傷つきにくい、穏やかでいられる、嘘がないから信頼されるなどの「生きやすさ」に通じると思います。
 
そして「生きづらさ」は、条件を抜きにした「ありのままの受容」によって自己肯定感が根づいた暁、然るべきタイミングで「生きやすさ」に変化するのです
 

※注1 「罪は罪でも人は憎まず」について
「罪を憎んで……」の一般的な言い回しにすると、「憎しみが込み上げる」ので「自分が穏やかになる」自己肯定の観点からすると、合理性にそぐいません。

即効テニス上達のコツ TENNIS ZERO(テニスゼロ)
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スポーツ教育にはびこる「フォーム指導」のあり方を是正し、「イメージ」と「集中力」を以ってドラマチックな上達を図る情報提供。従来のウェブ版を改め、最新の研究成果を大幅に加筆した「note版アップデートエディション」です 。https://twitter.com/tenniszero