映画「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」命を懸けて書き続ける執念を支える矜持は何なのか。
すべての’書き続ける人‘にとって
自分自身に書く意味を問う傑作だ。
ダルトン・トランボという男の信念に揺さぶられた。ほぼ社会すべてを敵に回しても、守り抜きたい信念って何だろう。
戦後、米ソの冷戦時代の幕開けと共に思想検閲が激しくなり、特にハリウッドで社会派の脚本家・監督は赤狩りと呼ばれる共産主義弾圧の標的となった。多くの表現者はこの赤狩りで犠牲になった。失業、破産、自殺、、、
中でも、人気脚本家のトランボは「ハリウッド・テン」という主要標的にされ、非米活動委員会の聴聞会に呼び出され「あなたは共産主義者か」と問い詰められるのだけど、トランボは言論の自由を理由に証言を拒んで、議会侮辱罪で実刑、禁固される。
刑期が終わって、ハリウッドから事実上追放され、メキシコに引っ越し、貧しさの中、B級映画会社を通して偽名で脚本を書き続ける。
トランボ演じるブライアン・クランストンは演技しているということを全く感じさせない。まさに体張った生き様そのものを見せつけられる感じ。
収監されても、仕事を干されても、偽名で自分の作品にならなくても、脚本を書き続ける。
一日中、風呂場にこもってタイプライターを打ち続ける執念が凄まじい。
ブライアン・クランストンの存在感に驚いたが、エミー賞を多数取った名作ドラマの呼び声高い「ブレイキングバッド」の彼も観てみたい。
ヘレン・ミレン扮する鬼の赤狩り編集者はトランボを非国民として追い込み「トランボ=共産主義の非国民」とのレッテルが社会に広まったため、引っ越し先でも執拗な嫌がらせが続く。
妻のダイアン・レインは忍耐強く、夫と子供たちを守り続けるが、家族がいかに辛かったか、、
引っ越したばかりの家の庭のプールには泥一杯と鳥の死骸が放り投げられ、GET OUTと壁に書かれ、娘たちが悲鳴をあげる。
エル・ファニング扮する長女は、正義感の強い娘で人種差別反対運動をしていて父親を尊敬しているが、自分の誕生日にたった1分の時間も取る余裕の無い父親に怒りをぶつける。
妻にこのままでは家族が離れると言われ、娘に初めて正直に心の内を伝える。
トランボは本当は心は不安と恐れでいっぱいなのだと吐露する。
家族で世間の針のむしろの中生きていく、その辛さがひしひしと伝わってくる。
ほぼ社会全体に非難され、味方は家族と数少ない仲間と自身の脚本の腕だけ。
仲間ではトランボと喧嘩したり共闘しながらもガンに侵されるアーレンを演じたルイス・C・Kの存在感が光る。超売れっ子スタンダップコメディアンでNetflixでも彼のショーを観たことがあるが、こんなに演技がうまかったのかと驚いた。
一方、ハリウッド内では、アメリカの理想を守るための映画同盟という赤狩り協力団体の代表はジョン・ウェインで、タフガイな彼がいかにもな立場だが、他には、最初仲間だがトランボを裏切り、身を守り告発するエドワード・G・ロビンソンも印象的だ。
脚本家と違い、顔で売ってるだけ、その辛さも分かるがその裏切りも哀しい。ハリウッドが舞台なだけに、こうした俳優たちのことも描かれ、実際の映画やニュース映像も交えつつ、リアルな映像描写で引き込まれる。
それにしても、そんなトランボが、あのオードリー・ヘップバーンの名作「ローマの休日」も偽名で書いていたなんて知らなかった!
知人の脚本家の名前で映画化されて、アカデミー脚本賞受賞、本来、壇上にいるはずのトランボは自宅で家族と眺める。
その後、また偽名で書いた「黒い牝牛」も再びアカデミー脚本賞を受賞する。
真の才能を持つ天才脚本家だったのだと思う。
また受賞式では代理の人が受け取る。ハリウッド内では一体誰なんだ、、と騒然に。
そしてその噂からカーク・ダグラス(マイケル・ダグラスのお父さん)からあの名作「スパルタカス」の脚本を頼まれ、試写でケネディが「いい映画だね、きっと大ヒットする」と発言するなど風向きが変わっていき、遂にトランボは「スパルタカス」で13年ぶりに自分の名前でクレジットが飾られる。
トランボが自分のクレジットを劇場で観た時に流れる涙。
その想いに胸揺さぶられる。
その後、名誉が回復してから渡されることになった「黒い牝牛」のオスカー像。
彼が自分が受け取るオスカーの意味について語る言葉が突き刺さる。
「あの小さくて無価値なゴールドの像は、私の友人達の血にまみれているのです」
そんな彼の元にもう一つ「ローマの休日」のオスカー像が渡ったのは彼が亡くなった後だったという。
当時、劇場で見てたらパンフレットも欲しかったなと思い、Amazon等でみても品切れ残念。
パンフレットに寄稿しているのが「この国の空」や「ヴァイブレータ」の脚本家の荒井晴彦氏だった。彼はキネマ旬報が主催する映画賞で歴代最多の脚本賞受賞者だ。
昔、彼に脚本を教わっていたことがあるのだけど、まあ歯に衣着せぬ物言いで散々言われたものだった。
特に新宿1丁目にあるBARで深夜までこき下ろされたことも今はいい思い出だ。心根は優しい傷つきやすい方だった。
私は当時2時間脚本を2作ほど書き、1作は今は亡き、今村昌平監督や新藤兼人監督に読んでもらう機会も得た。でも賞を取るまでには至らなかった。
筆一本で生きるのがどれだけ大変か、当時、私はその入り口に立てなかったけれど、筆一本で生き抜く人たちは突出した才能だけではない覚悟と命懸けの勝負を続けている。
私も映画脚本の世界からは離れたが、書き続けることで生きる道は一生続けて行こうと思っている。
このnoteのプロフィールにも書いていますが、私のnoteのモットーは、書き続ける人(皆さんも私も)応援すること。noteで繋がる人は、共に書き続ける同志だと思っています。
だから今、共に楽しみ、励まし合うように書き続けるメンバーシップを始めたいと構想中です。
トランボは執念のライターとしてその伝説的な象徴とも言えるだろう。
社会全体から非難されながらも、思想の表現を守りたいという信念を貫き通した彼の生き様を見届けて欲しい。
トランボのように、時に周囲を敵に回しても、守り抜きたい信念って何だろう。
あの時代から長い年月が経ったものの、時に誹謗中傷が吹き荒れる現代のネット社会だからこそ
それでも自身が貫きたい、守りたい矜持が何なのか。
それを見つけることが誰にとっても必要な時代なのかもしれない。
特に私たち、’書き続ける者たち‘にとっては。