『地表は果たして球面だろうか』 吉阪隆正
擬人化したライオンやキリンに家を作らせ、ダムを暴力団の親玉に喩え、なめらかに仕上げられたコンクリート壁を“丸腰の町人の肌“よわばりし、原始の文明や細胞の話から宇宙へ飛び出し、アフリカの大地へ降りて、突如ヒゲの話がはじまる…。
マクロとミクロの視点と、太古からはるか未来の時間軸を縦横無尽に行ったり来たりしながら、どこに行き着くともわからないような論が飄々と展開されてゆく。いったい、この人の頭の中はどうなってるのか。
建築家・吉阪隆正の名前を知ったのはずいぶん昔のことになる。
建物やインテリアに興味があり、いわゆるミッドセンチュリーのデザインにはまっていた学生の頃に何かの本か雑誌で知ったと思うが、当時は特別な興味を持つこともなく、長らくはモダニズムの草分け的存在という程度の知識しかなかった。
というか、むしろ吉阪のことは積極的にスルーしていたかも知れない。どうも吉阪の作品は、スタイリッシュさに欠けるというか、なんだか泥臭い気がしたから。ガチャガチャしてて、モダンというよりポストモダンだろ、みたいな妙な奇抜さや謎の装飾があまり好きになれなかったのだ。
確かに、楔が刺さったような大学セミナーハウスには鮮烈なインパクトを与えられたけど、名作とされる吉阪の自邸にしたって一体何がいいのかわからない。建築家の自邸は実験場だから、ある程度、斬新なのは当然だろうが、他の建築家の名作自邸、たとえば、ミニマルで洗練された清家清「私の家」、近代の美意識が貫かれた土浦亀城邸、ひたすら品のよい前川國男邸、まるで都市彫刻のような東孝光「塔の家」なんかにくらべて、時代性や低予算というのを差し引いても吉阪の家はいくらなんでも雑すぎる。オシャレ感がなさすぎる。
まあ、この人が建築界で異色の存在というのは確からしいし、多面的かつ複雑な仕事ゆえ、その全貌、魅力が伝わりにくいという事はよく言われているとはいえ、理解不能の存在だったわけだね。
そんな吉阪の魅力に目覚めたのは、5年くらいの前のことで、知人が作品集を借してくれたことがきっかけだ。以来、著作などを通して、数々の超人的エピソードに飾られたエキセントリックな作品がじわじわ来だし、カリスマ的人間性にだいぶやられてしまった。
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吉阪建築の魅力
建築以外にも都市計画やら、教育者、登山家、執筆者として、多面的活動をする吉阪について何から書けばよいやら、という感じだが、やはり吉阪の本性は建築に現れていると思うので、私なりに吉阪建築の特徴を挙げてみるとする。
スケールがでかくて潔い。ひと言でいうとそれに尽きる。
理由としては、以下のようなところだ。
①常識から飛躍した斬新なプランと、②その根源となるコンセプトの強度、および、③ダイナミックな造形。でもって、④いい具合の適当さ、がある。
適当さというのは、細部まで徹底して熟考しているのに、ぜんぜん神経質なところがなく、どこか場当たり的で、意図的にゆるさを残している節がある点。キメキメにするんじゃなく「どうにでもなれ」という大らかさがあるのだ。ゆえに⑤拡張性が感じられ、永遠に未完成のような印象になっている。
要するに、力強いのに偉ぶるところがなく、さらに、⑥何にも似ていない。
建物単体ではなく、周りの土地や環境をも含んでいる吉阪建築は、地表に置いてあるのではなくて大地から生えているような感じがして、それ自体が生き物のよう。
これらは、大規模な公共施設だけでなく、個人の住宅などの小規模作品にも共通する感触だ。そして、その他、建築以外の広範におよぶ活動のいずれにも、こういった素養が現れていると思うのだが、どのようにして、このような世界観がつくられたものかが興味深い。
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世界平和という根源
吉阪の書いたものを読むと、常に俯瞰して世界を見ているのがわかる。
地球レベルの視座を持った、独自の思想がある。
幼少期をヨーロッパで過ごし、南米、アフリカ、中国、と世界を股にかけて活動するなか、異文化に触れ、自らも他者として扱われることで、世界の多様性をごくごく自然に認識していったことが大きいかも知れない。加えて、焼け野原となった東京での生活や、山からの影響もあるだろう。
そういった体験に裏打ちされた壮大な世界平和の思想が建築の根底にある。
水平にも垂直にも広範な視座から、いろんな矛盾をひっくるめて、多様なものがそれぞれ自由に、かつ仲良く暮らせる世界のために、建築ができることを探っているのがわかる。
このエッセイ集にも、半世紀前後が経った今でも、ハッとするような示唆に富んだ言葉が散りばめられていて、哲学や文明批評としても読める。
とくに、未来予見の的確なのにおどろく。
たとえば、人工物に新しい自然を見出し、これからの人間は「昔自然にとりかこまれた時と同じように、人工という自然の中で生活を営む術を模索する他ない」ことや、「自然の支配下においてつくられたものではない、人工的な世界の中でレクリエーションとして住む木造住宅」の登場、「時代の転換期の移り変わりに迅速を与えるもの」として美意識に訴えることが加速することなどを、50年以上前に指摘しているのに感心する。
吉阪は、中途半端なエコロジストやヒューマニストみたいなことを言わない。
山を愛する登山家で、自然への想いは人一倍強かったことと思うが、だからこそ、安易に情緒的なものに流されたりぜずに、「人工」への執念を貫く。
人間がものをつくるとは一体どういうことか、ものをつくる人間が、どうしたら平和で調和した社会を築けるか。そういうことにひたすら向き合う。不合理を許容する心地よさを知りながら、それは怠惰であり、人間をやめることとまで言う。
人間的合理性を追求する上で、必ず問題となるのが関係性である。外と内、集団と個、秩序と無秩序、といった対立構造。そこから脱するために常にオルタナティブを探ることで、完全な分離でも統合でも妥協による折衷でもない、リゾーム的なものを建築というハードから生み出そうとしてたんじゃないか。
そんな信念で動くのだから、そりゃあスケールが大きいわけだ。単なる建築家の枠には収まらない。藤森照信さんが吉阪は教祖的だと指摘するのもわかる。
しかし考えてみれば、そもそも建築は、理数科学、工学、社会学、行動経済学、文化人類学…といった、あらゆる学問と芸術と実用の複合であり、それを総体的に極めようとすると、人間とか宇宙の謎に触れずにはいられないのだろう。
「問題解決」の人
一方で、この本を読んで気がついたのは、そんな吉阪の本質が「問題解決請負人」であるということだ。
この人は、ミクロからマクロまで、あらゆるスケール、あらゆるレベル、あらゆる時間軸にわたる諸所の問題解決に、ひたすら終始しているのである。
どのジャンルの仕事においても、吉阪が一貫して行っていることは、問いを立て、その解決に向けて策を練るということに過ぎない。
家庭のゴミ箱のデザインから、「地表は果たして球面だろうか」まで、あらゆることに疑問を投げかける。そして、ぐにゃぐにゃ思考をめぐらせ取捨選択を繰り返し、絶対的な解のない問いに、その時点で実現可能な最適解を提示しようとする。
吉阪の「問う力」は無限ゆえ、問いが問いを呼び、どんどん哲学的・観念的になり暴走してゆくのだが、あくまで、建築という方法によって具体的に解決しようとする。徹底的に抽象化したあと、徹底的に具体性を持たせた即物へと落とし込むという力技に、見る者は唖然とさせられるのだ。
したがって、ひとつとして同じ筋道は通らないので、表向きだけ、単一の作品だけ見ていたのでは吉阪のデザインの原理はいっこうにつかめない。
しかも、吉阪の出してくる解は往々にして意味不明で、第三者にしたら「エッ、これですか?」と言いたくなるようなもの。だから、どう評価したらいいのか戸惑ってしまう。なんかスゴイけどわけわからん、となる。
なんだけど。
長い年月を経て、建築がいい塩梅に発酵したのを見て、ふと思うわけだ。
どうもいい線いってるんじゃないの、吉阪の解答。と。
真価が判明するのに時間がかかるのは建築の宿命だけど、吉阪は度を超えて先走ってたんだろう。とか思いつつ、2022年の東京都現代美術館での吉阪展が意外なほどの賑わいだったり、つい最近はCasaブルータスが吉阪の特集を組んでいたりするのを見て、ついに時代が追いついてきたという気もしている。
ところで、吉阪の自邸は雨漏りがひどく、雨が降れば床に滝のように水が流れ、室内で傘をさすという状態であったのに、長らく放置されていたという逸話がある。「世界の難問解決請負人」にとって、解決策のわかりきった自分の家の問題なんぞは後回しでよかったんだろうな。
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あそびのすすめ
吉阪の仕事は横において、単純にエッセイとして読んだとしてもこの本は十分に面白いのではないかと思う。
非言語の感覚を、身近なたとえで言語化するセンスが秀逸なのに、かといって嫌味がない文章は、抽象的でいまいちわからないところもあるが、それもまた魅力的で、感覚的に読めるし、楽しく生きるヒントが満載だ。
「あそびのすすめ」の中で、引用されている過去の自らの言葉である。
続けて、「私にとっては至極簡単なそのことが他人にとっては、決して易しいことではないらしいということに最近気がついた」と書かれている。
これを読んだときはたまげたよ。吉阪サン、体外離脱の達人で、しかも、他人も当然やってると思ってたのかと。すぐに、いやこれは比喩だろうと考え直したけど。
「魂の旅行」の真意とは、自分の枠を越えるということであるらしい。
自分を観察し、分割してゆき、自分を構成するもののうちの生存というミッションに関係するものの外にはみ出すこと。そこにあそびの要素があり、本気のあそびをすることを吉阪はすすめる。
別のエッセイでは、学問には本来あそびの要素があり、興味しんしんで物事に取り組むことが学問だという。
また別のエッセイでは、建築家は不用だとのたまう。素人のままでいろという。
そんな吉阪にとって「泥臭い」は、むしろ褒め言葉かも知れない。
やっぱり、吉阪は本当にときどき肉体を抜け出して宇宙や異次元を旅していたのだろう。そうだ、あの悟り級のメタ認知力を思えば、そう考えた方が合点がいく。
で、一旦、宇宙に帰った吉阪サンだが、そろそろ不自由な枠の中の人間が気になりだしているのだろう。それで、ちょくちょくのぞきに来ているに違いない。
なんて、最近のプチ吉阪ブームに思うのである。