てんかんの発症、戸惑い・・・。 ☆中学校時代 ☆高校時代…。前編
今回は自分のてんかんの発症について触れたいと思います。
発症は小学校6年生だったと思います。そのころ今のようにゲームといえばインターネットを介したものは一切なくひたすらやりこむものがほとんどでありファミコンやスーファミ(わかるひと少ないかな)でした。
そのファミコン絶頂期に夜通しやっている最中に起きました。それが最初だと思います。
その時はたぶん意識消失の発作でてんかん発作の中では大発作とよばれるカテゴリで、時間も早朝4時くらいかなと思います。ほぼ寝ずにやっていました。いま考えればなにをやっているんだかなぁ…と思います。
自分の若年性ミオクロニーてんかんのおおきな特徴は手がびくって無意識のうちに動くことです。人によっては手でなく顔、足、腕そのほかぴくっと動くというのが大きな特徴です。
若年性ミオクロニーてんかんでもひとそれぞれ違うので一概にはいえません
まずてんかんが発症するか否かというところでけっこう時期がみんなバラバラなんです。なのでそれがてんかんかどうかもわからない、とか。いろいろな相談をたまにいただきます。
もちろんきっちりお返しはします。3歳で発症してしそうだけどわからないとか18歳ですがこれがてんかんなの?と…。
3歳児はお母さんから。18歳の子は直接。ご相談頂きました。がまず共通していたのが自分でいろいろ調べてみた。調べられる環境が今はインターネットやSNSが発達し見ることはできます。が自分がそこに当てはまっているかはわからない。
という大きな問題がでてしまい結果不安が大きくなってストレスが大きくなりどこの病院に行った方がいいかわからないとか、あります。自分の時はそのまま近くの市立病院の脳神経内科へ通うことになりました。
そこでの小話ですが…。まぁ待ち時間が長い病院。5時間待ちで10分の診察ってどうなの?って毎回思ってました。朝から行って診察は昼過ぎ。そして呼び出しはいつになるかわからない。そんな状況で5時間はキツイですね。
2か月とか3か月にいっぺんだったけど数年経ったある日主治医が突然変わったんだ。それから1年ごとに変わっていく病院を見ていくうちにセカンドオピニオンを探すようになりました。
そこで兄が見つけてきてくれたのは静岡の国立てんかん・神経医療センターでした。自分は神奈川に住んでいるので静岡もそこまで遠いものではありませんでした。
それから中学生時代はあまり発作もあまりなかったですが…。というよりサッカー漬けの毎日で発作はなかった気がします。でもここで基礎体力は付きました。体力はその当時から高校時代についた貯金がすべてかなと思います。
体力はてんかんにとって耐えうるチカラになります。なので逆に言えば体力がないとてんかんの弱点の一部になりかねません。
発作の頻度といえばこのころにになるとだいたい半年に一回にくらいになっていきました。
前回も書いたのですが高校時代は仲間に本当に助けられました。自分は部活もガッツリやっていたし(サッカー部)普段の生活で疲れている状態が多くそんなときに集中なんてなかなかできないけど今思えばよくやっていたな。
1週間をざっくり書きますと
月曜 起きて学校→学校終了→部活オフが多いから遊びにいく→帰りは遅い火曜~金曜 部活まで一緒→帰る時間ほぼ21:00頃こんな毎日でした。ちなみに雨が降るとフィジカルだけで終わるので終わったらそのまま遊びに行ってました(笑)
今でも記憶にあるのは意識消失の大きな発作を起こしてしまいそのままに放置しないでクラスの仲間が率先して担いでくれて保健室まで自分の名前を叫びながら運んでいるのは記憶に深く刻まれています。
本当に自分は幸運だったと思います。
高校時代編続きます…。
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