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新人賞投稿作・感想「幻狼亭事件」

新人賞投稿という苦行

 私は新人賞投稿、公募を継続している作家志望者を漏れなく尊敬している。「俺が本気出せば新人賞なんて楽勝だからwww」などと宣うくせに実作をまったくしない、口だけワナビは論外だが、長期間継続して自作を賞に投稿するというのは想像を絶する労力が必要なのだ。

 昨今のライトノベルの賞はたとえ1次選考で落ちてしまったとしても、評価シートが貰える場合も増えているようだが、一般文芸では聞いたことがない。
 自作の評価が聞けるのは最終選考にたどり着いた時だけだ。

 何の反響もないなかで黙々と一作十何万文字の小説を仕上げて、何の報酬も約束されていないなかで、それを独力で続ける……それは言うほど容易いことではない。

 筆者は読み専なので、本当の意味ではその苦労をわかってはいないのだが、すべての投稿者には報いの時が来て欲しいと思っている。

 本当である。

 しかし、現実は厳しい。
 前の記事で書いたが、ミステリ作家としてデビュー出来る人間はせいぜい年間で10名程度。しかも、この出版不況の世情を考えると、年々門戸は狭まっていると考えたほうがいいだろう。

 そして、今回取り上げるのは、過酷な投稿生活を長く続け、それをカクヨム上にエッセイとしてあげている投稿者の一作である。

『幻狼亭事件』

作品の概要

 本作は2024年の江戸川乱歩賞に『陽だまりのままでいて』でノミネートされた雨地草太郎氏の作品で、第21回日本ミステリー大賞新人賞の最終候補として取り上げられたものだ。

 まず作品の前に著者である雨地草太郎氏のことを簡単に説明すると、氏は上でも多少触れたが、自らの投稿生活をエッセイとしてカクヨム上に公開している。投稿作の執筆に至る背景や新人賞の結果に関するフィードバックにとどまらず、(少し言葉を選ぶのが難しいが)波瀾万丈な私生活が赤裸々に語られた氏の語りはべらぼうに面白い。
 類似のエッセイが少ないということもあって、このエッセイを読んでいる人はそれなりにいるのか、雨地氏は投稿者としては中々に有名だ。
 晴れて、デビューした日にはたちまち人気者ということも十分に考えられるだろう。

 作品の話に戻ると『幻狼亭事件』は変則型スリーピングマーダー(回想の殺人)といった趣の作品だ。
 話の主軸は、かつて主人公宅で発生した誘拐事件。被害者は主人公の双子の弟だ。そして、弟は家には戻らなかった。

 そんな事件の悲痛さに支配された家の空気を嫌ったのか、主人公ーー竜吾も家を出て、隣県で教師となる。しかし、そんな主人公のもとに父親が危篤だという一報が入る。そして、急いで帰郷すると実家が、至る所に木彫りの狼が飾られた奇怪な屋敷へと変貌していることに驚く。というところから話は始まる。

 ホラーチックで魅力的なフックだ。
 何度も言っていることだが、小説で一番大切なことの一つ(一つじゃないのか)は冒頭で呈示される謎や不可思議な状況の魅力がどれほどかである。
 少なくとも、新人賞に送る原稿で冒頭十数ページを主人公の日常に割くべきではない、と私は思う。
 (あくまで私見である)

感想(ネタバレあり)

特殊設定の塩梅の難しさ

 既に最盛期はすぎ、すっかりミステリの1ジャンルとして定着した感のある「特殊設定ミステリ」だが、本作もそういった特殊設定ミステリの一つだ。
 しかし、本作に関しては、その特殊設定の立ち位置や使い方が、評価を難しくしている一面があると思う。

 今作では幽霊と話が出来る少女はヒロインとして登場する。この少女は某霊媒とは違って、ガチで幽霊と話ができるのだが、この設定が作品の肝だ。
 少女は幽霊と話ができるが、主人公は直接話ができない。つまり、すべては少女を介する必要がある。となると、証言の真実性に疑義が生じる。

 今時の読者であれば、このような思考を辿るのは当然であり、昨今の投稿者には「読者はヒロインの嘘を疑うだろうから、その可能性を潰しておく必要があるな」程度のサービス精神が必要である。

 著者の雨地氏はエッセイ上で、この少女を介した幽霊との対話形式を「ファーストコンタクトもの」のような、読み味を演出したかったと語っているが、少し読者の読み方の誘導が不親切だったかもしれない。

 昨今の読者はかなり疑り深いので、何かしらの仕掛けがあるかもしれないと身構えた人は多かろう。

誘拐の真実

 誘拐の真実と書いたが、重要なのは誘拐の真実ではない。そもそも、なぜこんな事件が起きたのか、という前段階の真実部分である。
 書評なのでオチから書くと、主人公の弟ーー清吾の誘拐事件は父親による狂言である。
 しかも、父は清吾を殺害している。
 その上で犬の死体の中に死体を隠すという狂気の沙汰としか思えない手法を使って警察の目を欺いている。
 なぜ、そんなことをしたのか……それは事件より前に事故で亡くなった長男、高明のためなのである。
 前項で述べたとおり、本作は幽霊が存在している世界である。主人公も読者も確固とは知覚できていないが、対話できる人間には確実にできる存在としているようである。
 設定的にどうなっているかはわからないが、霊は人間のように歳を取ったり、外傷や病気によって死ぬ(消滅)するようには思えない。
 もしかしたら永遠なのかもしれない。
 だとすると、長男の霊は永遠の孤独を味合わなければいけないのか……父はそれを恐れ、高明が寂しがらないように幽霊の世界に清吾を送り込むために、狂言誘拐を企て殺害したのである。
 加えて、清吾と竜吾の双子をもうけたこと自体、殺すためだったのだ。

 衝撃の真相である。
 倒錯した動機であれば動機であるほどよいと思っている節がある私ではあるが、これには驚いた。
 かなり好きなタイプの真相である。

 しかし、残念なのはやはり幽霊の存在の納得性である。今作における幽霊とはあくまでヒロインを介して主人公が接する、本当に存在しているかどうか怪しいものなのである。
 それのために子供を殺したとという真相を明らかにされても納得感に乏しいのである。

 作中人物の常識と読者の常識はすり合わせを行わなければならない。本作はそこが上手くいっていなかったのかもしれない。

 ちなみに家中に飾られた狼の像の正体も、高明を守るためのものということなのだが、こちらも幽霊の存在について懐疑的な感情を払拭できていないので、あまり納得できる真相ではなかった。
 タイトルで提示されている大きい謎ではあるので、読者の期待は自然と大きくなってしまうのである。

締めくくりに

 特殊設定ミステリというものが一般的なものになってきたことにより、読者たちの目も肥え、その設定自体を素直に受け入れてくれなくなってきた。
 作者には大変なことだが、これからの特殊設定ミステリに必要なのは、やはり納得性である。
 誰も白井智之『エレファントヘッド』のシスマの説明を理解できはしないだろうが、専門用語を連発しながらそれっぽいことを言われてしまえば、受け入れざるをえなくなる。
 それは言うほどやさしいことではないのだろうが、そういった一つ一つの丁寧な読者と著者、物語のギャップの解消こそが名作を産むのかもしれない。



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