7つの習慣 スティーブン・R.コヴィー
毎日本を読む8/23
7つの習慣
スティーブン・R.コヴィー
いつかは手を付けようと思っていた、自己啓発書のゴールドスタンダード。
7つの習慣は、知らない人はいないといってもいいくらいの名著でしょう。
読まない手はない。
1999年の実家の倒産
2005年に父が亡くなったとき
この2つに意識を大きく支配されてきた。
「7つの習慣」を読むと、それ以降生きてきた指針とほぼ同じようなことが書かれていた。
誠意・謙虚・誠実・勇気・忍耐など人間の内面にある人格的な部分を磨く「人格主義」でしか真の成功は得られない
確かにそうだと思って生きてきたものの、そんなに難しいものだというのは思い込みなのではないかとごく最近思っている。
出口と入口が逆になっていないだろうか?
「人格主義」が成功を生むのではなく、
成功したものが、「人格主義」に沿いがちである
ということは言えないだろうか?
「成功」とは一体なんだろう?
ビジネスにおける成功が
誰しもの成功かのように思われがちだった2000年前後の価値観から
AIやインターネットによって個の多様性と概存を認める社会においては
それぞれが思う形を持つようになっている。
私は思う。
自分が今あるがまま、今を認めてじゅうぶんに幸せを感じることよりも
必要なことなんてないのではないか?と。
そういった観点で読むと、7つの習慣さえも「誰かの価値観」に依存した成功に思えてくる。
たとえば、「食べログランキング制覇」などは、他人がランキング付けした名店を、どれだけコンプリートしたかということで計っているわけだが、人のモノサシに依存して、他者へマウンティングしているだけに過ぎないのではなかろうか?または存在理由として意義付けるというか。
実に前時代的な価値観だなと思う。
ただあるがままに、今私自身を認め、納得し、称えることができれば、それでいいのではないかと思う。
何かの成功や、目標が、必ず存在しなければならないかのような出発点を持つことで、一生を生きづらく苦しいものにしてはいまいか?
この2か月の読書からは、そんな考えも生まれた。
自己啓発本の類は、それそのものがビジネスであるという側面が否めない。
その内容を持って、自分の軸として生きやすくする効果は一定あると思う。
若い時などは特にそのほうがラクなのかもしれない。
しかしそれは「不自由」ではないのだろうか?
Amazonの本書の書評を読むと、「理解できない」とか「素晴らしいその通りだ!」とか様々な評価がある。
その二極評価のさらに向こう側に、これからの未来の価値観があるような気がしてならない。
「表裏一体の原則」に沿うならば、「思えば、ある」が、同時に「ない」も生むことになる。
「成功」を求めるからこそ、「成功しない」も生まれるのではなかろうか?
実はもうその場にあるのかもしれないのに。
無理に追うこともないのに、何かそれは遠くにあって、届きにくいものにしたい自分がいるだけなのでは?
7つの習慣に限らず、どこにもないゴールをどこかに求め、追うからこそ届かないということに気づいたとき、次の扉が開くような気がしている。
自分や社会の何かを否定して、そこから逃げるように目標を見つけて追うことをやめにした。
もう「ただある」だけで別に問題ない。
活きて何かを追いかけなければならないという思い込みを捨てた。
もちろん追ったってよい。
追わなくてもよい。
思ったとおりに好きなことをえらんで、やるだけだ。
しょせん、100年程度の暇つぶしと思うから。
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