![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/154367935/rectangle_large_type_2_748352de763717b6cd2b5bd6b90e2176.png?width=1200)
名前で運勢が変わるか?(17):名前は運命の一部か?<補遺>
「名前が実体を持つ」とか「名前は発見されたもの」などというと、ずいぶん奇妙に聞こえますが、それほど突飛な発想ではありません。
たとえば古代中国には名家思想というのがあり、戦国時代の中期~後期に活動した公孫龍という人は、「概念は実在する」と主張したそうです。「堅くて白い石」の「堅さ」や「白さ」は現象界を超えた世界に実体を備えているというのです。[注1] [*1]
ん?なんで概念の話?実は名前もひとつの概念と言えるのです。人の名前も、生身の人間を象徴する「記号(音や文字)」という意味では、単なる音や文字の組み合わせ以上のものだからです。[注2]
というわけで、「概念は実在する」という主張には「名前は実在する、実体がある」という主張も含まれるのです。
●プラトンは「名前の実体」を想定した?
公孫龍の場合、直接的に「名前は実在する、実体がある」と言明したわけではありません。ですが、これがプラトンの対話篇『クラテュロス』になると、核心にぐっと近づきます。『クラテュロス』には「名前の正しさについて」という副題がついています。
二人の人物、ヘルモゲネスとクラテュロスが名前の正しさについて議論しているところに、ソクラテスが加わります。ヘルモゲネスは「名前なんて社会的な約束事でしかない」と主張し、一方のクラテュロスは「事物の本性を表す正しい名前は存在する」と主張します。
興味深いのはイントロの部分です。プラトンは彼らの議論を個人名で始めているのです。ヘルモゲネスはソクラテスに向かって次のように言います。
そこでぼく〔ヘルモゲネス〕が彼〔クラテュロス〕に質問しました。クラテュロスという名前は、真実に彼の名前であるのかどうかとね。彼はそうだと肯定しました。「ではソクラテスには何という名前があるのか」とぼくがたずねますと、「ソクラテスという名前だ」と彼は答えました。・・・
クラテュロスがいう「事物の本性を表す正しい名前」とは、「名前がその対象の本質を正確に表している」という意味でしょう。そのような「完璧な名前」は「名前のイデア」、つまりイデア界に存在する「名前」のことであると考えられます。
プラトンのイデア論によれば、イデア界(時空を超越した世界)では「美」とか「善」などの抽象概念も実体をもつとされます。であれば、おそらくプラトンは「個人の名前もイデア界に実在する」と考えたでしょう。だからこそ、この議論の導入に個人名を持ってきたのではないでしょうか。
●イデア界の「名前」はどのようなものか?
イデア界は永遠で不変の「本質」が存在する領域です。現実の世界に存在するものはすべて「真の実在(イデア)」の影(模倣)で、「真の実在」はイデア界にあり、私たちの感覚では捉えられないとされます。
では、イデア界はまったく想像もできない世界かというと、そんなことはありません。理性を働かせれば、「真の実在」を認識できるというのです。
試しに同姓同名で最も多い「田中実」さんの「真の実在」がどんなものか推理してみましょう。全国には約5,300人の「田中実」さんがいるそうですが、彼らは「真の実在」の影(模倣)なので、すべての「田中実」さんはイデア界の「田中実」さんにどこか似ているはずです。[*3]
すると、イデア界の「田中実」さんは人間的な形態をとっている可能性があります。その容姿や気質は現実の「田中実」さんたちと共通点があるでしょう。またイデア界の「田中実」さんは永遠不変の「本質」ですから、年齢不詳でしょう。
共感覚者のシェレシェフスキーが名前で思い浮かべる人物イメージとは、こんな感じだったのかもしれません。そこに彼自身の経験もいくらか影響したでしょうが。[注3]
●プラトン哲学とソクラテス
ところでプラトン哲学では、「真の実在(イデア)」だけでなく、魂の不滅性も重要なテーマです。肉体の死後、魂はイデア界に戻ると書いています。対話篇『国家』には、死後12日目に蘇った人物が、あの世で見てきたことを語る話も出てきます。[*4] [*5]
このような現実離れした思想には、プラトン自身の理知力だけではない、心霊的な情報源を疑いたくなります。もっともありそうなのが、師のソクラテスです。ソクラテスはシャーマン(呪術師、霊媒師)的な人だったらしく、たびたび神霊とコンタクトしていたからです。
あるとき、数人で知人の祝宴に向かう道すがら、ソクラテスが行方不明になりました。宴会の主人が心配して召使を探しにやると、ソクラテスは途中で立ち止まったまま、声をかけても気づかないようなのです。
主人が召使に、無理にでも連れてこいと命じると、アリストデモスがこう言います。「あの人は、そのままにしておいてやってくれ。あれは、あの人の癖の一つで、ときどき、どこでもおかまいなしに、道を逸れては入りこみ、そこにたたずんでしまうのだよ。」[*6]
また別のとき、「〔ソクラテスは〕朝早くから同じところに立ちつづけて、なにかを考えていた。・・・午になって、これに気づく人々が出てきた。彼らはけげんに思い、ソクラテスが朝早くからなにか思いをめぐらして立ちつづけているぞ、と人ごとに話あっていた。」
そして夕方になり、夜になり、近くにいた兵士たちが一晩中、寝ながら見張っていたところ、「暁がおとずれ、太陽があがるまで、彼は立っていたのだ。それから、太陽にむかって祈りをささげ、去っていった」というのです。[*6]
●ソクラテスが幼少のプラトンに与えた影響
ソクラテスはこうした忘我の体験内容について、ほかの人には語らなかったようです。そのため、周囲の人々は「何かを探求・考察しているのだろう」くらいにしか思いませんでした。しかし、実際には何かまったく違うことが起こっていたようなのです。
ソクラテス・プラトン研究の第一人者、田中美知太郎氏は著書『ソクラテス』の中で、こうした異常な行動について次のように書いています。
ソクラテスが突然ひとから離れて、どこへでも立止まって、何かの思いにわれを忘れるというのは、それが外来のものであって、ソクラテスが自分で、何かの問題を、自分で考える場合とは違うことを示すように思われる。
かれは直接にダイモン〔神霊〕の声を聞き、昼夜いずれにおいても、不思議な夢を見ることができたのである。かれは半ばこの世の人ではなかった。 ・・・かれは不気味な人だったのである。
プラトンの身内の年長者たちは、プラトンが生まれる前からソクラテスと親しく接触していたそうです。だとすると、プラトンは幼少のころからソクラテスの不思議な体験を詳しく聞いていたかもしれないのです。[*8]
ソクラテスが幼いプラトンに向かってこんな話をする場面を、私はつい想像してしまうのです。
「君は幼いが、とても賢い。だから君だけに本当のことを教えてあげよう。私はいつも霊界を行き来し、神霊と会話しているんだよ。だから、ものごとの本質があの世界に実在することを、体験的に知っているんだよ。だが、このことをほかの人たちに話してはいけない。大きな誤解を招き、良くないことが起こるからね。」[注4]
==========<注記>=========
[注1] 公孫龍の思想 [*1]
『古代中国の言語哲学』(浅野裕一著)によると、次のようであった。
「・・・堅白論や通変論で語られる実体化された普遍概念は、それが実体を備えていることによって、公孫竜の世界では紛れもなく名に先行して存在する実体なのである。・・・公孫龍は完全な概念実在論者であった・・・」
[注2] 概念としての名前
たとえば「椅子」という名前は、座るための家具という概念を表す。また個人の名前も、その人に関連する多くの情報や特性(文化的背景や家族の歴史など)を含み、その人のアイデンティティや個性を表すので、これもひとつの概念といえる。
一方、受刑者が番号で呼ばれる場合、その番号は識別や管理のためのツールとして機能するので、「数字」としての概念になる。名前は社会的、文化的な意味を持つが、番号はそのような意味を持たない。
[注3] 共感覚者シェレシェフスキー
こちらを参照 ⇒ 『名前で運勢が変わるか?(14):名前の共感覚的イメージ』『名前で運勢が変わるか?(16):名前は運命の一部か?<下>』
[注4] ソクラテスの神秘的側面
『名前で運勢が変わるか?(2):ソクラテスと占い』の注1,2,4も参照
===========<出典>===========
[*1]『古代中国の言語哲学』(浅野裕一著、岩波書店)p271~273
[*2]『クラテュロス』(プラトン著、水地宗明訳、『プラトン全集2』所収、岩波書店)
[*3] 『名字由来net』
[*4] 『パイドン』(プラトン著、池田美恵訳、中央公論社、『プラトンⅠ』所収)
[*5]『国家』(プラトン著、田中美知太郎/藤沢令夫ほか訳、中央公論社、『プラトンⅡ』所収)
[*6] 『饗宴』(プラトン著、鈴木照雄訳、中央公論社、『プラトンⅠ』所収)
[*7] 『ソクラテス』(田中美知太郎著、岩波新書)
[*8] 『年譜』(中央公論社、『プラトンⅡ』所収)