10/28(金)野球は人生だった。
おはようございます。
こんにちは、こんばんは、天道です。
いつも、ありがとうございます。
今日は「野球が好き」というお題で書いていきます。
※ ※ ※
天道が小さいころ、巨人が好きだった。
巨人というより長島さんが好きだったみたいだ。
あの頃(昭和40年代後半)のテレビの野球放送といえば巨人。
年端もいかない子供だった天道が、長島さんを好きになるのは仕方ないのかもしれない。
そんな天道に衝撃が走る。
なんと長島さんが引退。
でも泣くことはなかった。
「あ〜辞めちゃうのね」くらいだったと記憶している。たぶん。
※
長島さんが引退した次の年、天道が住んでいたところのチームが優勝した。
広島東洋カープ!
優勝した後楽園球場の試合を家族と一緒にTVで観戦。
優勝した瞬間の興奮…山本浩二さんの男泣き…ここから天道はカープファンに生まれ変わった。
自宅が広島市民球場に比較的行きやすい場所だったので、月に何度も家族でカープの応援に行っていた。
行ったら必ずカープうどんを食べていた。
あのチープなカープうどんが懐かしい。
天道が高校を卒業して東京に行くまで、カープはかなり強いチームだった。
※
1991年に優勝したカープが次にセ・リーグを優勝するまでに、まさか25年も掛かるとは…高校を卒業するときには想像もしなかった。
東京で就職しても、お盆と正月には広島に帰省していた。
それは母が亡くなるまで続いた。
お盆と正月の二ヶ月前には、母からの「あんたいつ帰ってくるんね」の電話が掛かってきた。
帰ると最初の話はカープのこと。
家の話題の中心にはいつもカープがあった。
※
母が亡くなり、父も逝った。
父を見送った年に、カープが25年ぶりの優勝をした。
優勝した瞬間、泣いた。
嬉しいというより悔しくて泣いた。
母と父が生きていたらと思い泣いた。
「なんで生きとらんのや…カープ優勝したんやで…」
このとき本当に寂しいと思えた。
※
カープは人生だ。
天道家は、父も母も自分もカープが大好きだ。
父も母ももういないが、それでもカープが大好きだ。
自分も亡くなるまで、ずっとカープを応援していく。
自分がいなくなっても、ファンがカープを応援し続けていく。
そうだ、頑張れ!広島東洋カープ!!
※
今日もここまで読んで頂きありがとうございました。
最初に「野球が好き」というお題でどんなことを書こうか少しだけ考えましたが、気がついたら上のようなことを書いていました。
自分にとっての野球は「家族との想い出」です。
あ〜だ、こ〜だ言いながらTVや球場で野球を見るのは楽しかったです。
今はそんな楽しい時間はありませんが、楽しい想い出は残っています。
野球を好きになって良かったと思います。
それでは、
また明日もココ、noteでお会いしましょう〜ではでは〜(・∀・)ノシ
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