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知識を教えることの価値

人口減、AI常態化のこれからの社会で、
学校が目指すべき一つの形としてアリかなと思い、引用します。
結論から言うと、もう授業で講義は不要だと思っています。
(「でも知識は必要だろ!」と言われる人もいると思います。
私は、「講義は不要」だけど、「知識の習得は必要」だという考えです。)

これまでの教員像と言えば、子どもにとってはどんなことでも知っている「知識人」「常識人」であり、それゆえに「先生」と呼ばれて尊敬もされてきた。ところが近年では、インターネットの発達により、その場の教員よりも専門性の高い知識を、動画というわかりやすい形で広める人々が増え、またそれを目にする子どもも急増した。

https://news.yahoo.co.jp/articles/d9e43c8f247dfd43b46205652c420435b547d452?page=1

ほんと、その通り。
正直に言って、教員(ここでは高校を想定)の専門性として、
これまでって教科の内容が中心だったはず。
でも、YouTube見れば、分かりやすくかつ内容の深いコンテンツが
本当に盛りだくさん。

藤原氏は、このネットの発達が教員減の本質だとした。「そもそも人間が人間に対して、知識を教えることの価値がものすごく減っている。だから、それだけでリスペクトされることがなくなっていく。今、小学生でも中学生でもGoogleで検索する。そうすると、最初にAIの答えが出てくる、そういう時代だ。当然ネットに触れれば、小学生でも中学生でも、世の中のことにどんどん触れる。お父さんや先生が世の中の情報を独占して、それを家、あるいは学校という閉じた場で無条件に尊敬される時代はもう終わった」。教員でさえ、教室という空間で一番の物知りという認識が崩壊してしまった。

https://news.yahoo.co.jp/articles/d9e43c8f247dfd43b46205652c420435b547d452?page=1

かつては、授業前に時間をかけて教材研究して、
生徒が知らないような小話を準備していました。
が、それも調べればすぐに分かる時代です。
物知り顔をする必要は無くなった。

“外の力”を積極的に使う中、教員だからこそ学校で担えることは何か。「学校の先生は何かに興味があって、それを本当に一生懸命学んでいることがあれば、そのオーラが出ると思う。そもそも小学校の先生が全教科をやるのは無理。自分の得意なところ、例えば社会科、歴史が大好きで、それを嬉々として教えれば、それは子どもにも伝わる」と、学びの楽しさを伝えることを挙げた。
また「基本、学校は良い学習習慣と良い生活習慣をつける場所で、そういう装置だと割り切った方がいい。小学校の低学年なら生活習慣、中学や高校になると学習習慣の方が重い。それから学校は人が集まる場なので、人が集まらなければできないことにどんどんシフトしていくべき。知識の伝授はどんどんオンラインにいっていいと思う」と述べた。

https://news.yahoo.co.jp/articles/d9e43c8f247dfd43b46205652c420435b547d452?page=1

はい。割り切っています。
最近は、授業内ですることは、動画の視聴 or グループワーク or レポート作成 or フィードバックです。
もはや、講義は不要。自分で興味・関心がある事柄に
没入する時間を設けてあげることが、学校にできることだと思います。

分かりやすく理解させることに必死にならなくても、
YouTubeが、AIがやってくれる。
しかも、AIならパーソナライズされた形で。
人間にしかできないことをもっと追求して、
学校を再構築していけば、まだまだ学校が残ることはできる。

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