悲観的なニュースで溢れている日本
おはようございます。
真夏へ向けたボディメイク筋トレ大作戦も今週で2週目が開始されました。
以前として体や顔に変化の兆しは全く見えないのですが、まあこれをとにかく続けていてくこと、今週も張り切って筋トレに励んでいこうと思っているwataruです。
いやしかし、運動の気持ちよさってこうやって現在進行形でやってないと忘れていってしまうもので、運動をしてない時なんて、わざわざ自分からお金を払ってジム通うのなんて惜しいなあとか思ってた気さえするもんな。
ということで本日は「悲観的なニュースで溢れている日本」というテーマでお話しをしていこうと思います。
というのもよく語られている日本では悲観的なニュースしか流さないで、明るいニュースが全く流れてこないみたいな現象、こんなニュアンスの提言をよく聞くと思いますが、そもそもこのSNSの時代に、自分の意思で摂取する情報なんて選べるこの時代にまだこんなことが言われているのっておかしいなって思ったんですね。
だってまだテレビ、新聞、ラジオしかメディアがない、とか、そういう時代ならばまだ全然わかるんだが、それこそ情報がそういう決まったメディアでしか流せないもんだから、そのメディアで情報操作をしたり、上手い見せ方をしたり、そういう事がまだできたんだと思うが、、、
今のこの誰もが情報発信ができて、素人でも自分の番組が作れて、普通の主婦がネットのラジオでニュースを伝える事ができてっていうそんな時代でさえ、まだそういう風潮というか、そういう名残が聞こえてくるのであれば、それはもう時代ではなく人間にもどこか問題があるんじゃないかなとも思うわけですね。
今回はこの世の中が悲観論で溢れている理由について少し考えてみました。
というか、実際には本を読んで勉強をしました。(正直に言っていくスタイル)
結論を先に言ってしまうと、人間は悲観論が大好きだという事だと思います。
というのも、例えばあなたが友人から”1年以内に10倍になる株を知っているんだけど”、みたいな話しをされた時にあなたはどう思いますか?
ほとんどの人が”いやいや未来のことなんてわからないし、そんな上手くいかないでしょっ”て思うんじゃないかなと思うし、なんなら”この人はあんまり信頼できないな”っていう判断さえ下す人だって少なくないんじゃないかと思う。
ただ、じゃあ逆に”あなたが株を持っている会社が直近不正会計で倒産するかもしれない”、と言われたらどうだろう?
そんなことを聞いた時には、あなたは”この人の話しは真剣に聞きたいな”と思うんじゃないかなと思うし、それこそ今ある予定を全て変更してまでその人に会いにいって話しを聞こうとさえするんじゃないかなと思う。
これはあくまで例え話なので、人それぞれでの反応も人それぞれで受ける影響も多少変わってくるとは思うんだが、一般的に考えてみるとあながち間違いではないような内容の話しではあると思う。
すなわち人間は楽観論よりも悲観論に反応してしまう生き物なんだろうと思う。
じゃあ、なぜそんな事が起きるのか?
なぜ人間は楽観論よりも悲観論に強く反応してしまいがちになるのか?
というところを少し深ぼっていこう思うが、これはそもそもの人間の生存本能、古代から身につけてきた人間の思考法にルーツがある可能性がある。
というのも、話をホモ・サピエンスとか猿人とかのところに戻して考えてみると、その時代にはこの地球にたくさんの動物がいて、それらが共に暮らし、殺し殺されていたので人間の祖先なんてものはたくさんいる動物の中の一種類でしかなかったと。
さらにその時から考えてみれば、今のような人間社会になるなんて全く想像もできていないし、この地球を人間が支配するなんてどんな動物も考えていなかったと思う。
しかし、人類はそのたくさんの動物の中の頂点に立ち、今ではこの地球を人間が支配するようになっていったが、、、
彼らは生き抜いていく上で、自分たちが生存していく上で、脅威を緊急性の高いものとみなす思考法を手に入れたという。
つまり、自分たちの周りで脅威を感じたのであれば、第一にそこを解決してその脅威をいかに潰していくのか、その脅威に対していかに打ち勝っていくのか、ということを即座に考え、即座に対応をしていき、今のような人間社会を築いたという。
もちろんこれが全ての理由だとは言い切れないが、まあ考えてみればそれはそうで、身の回りの危険に対して鈍感な動物がサバイバルの社会で生き抜いていくことはどう考えても難しいと思うし、目の前の脅威に対して緊急性を持って常に対処をしていき、その知恵や知識を伝えてきたところに今の人間社会があるのだと思う。
この人間的本能を人間は今でも享受してしまっていて、意識的でなくとも悪いニュースが出てくればそれを対処しようと思うし、悪いニュースは自分を脅かす可能性もあるのでついつい楽観的なニュースよりも反応してしまうということなんだと思う。
なので、もうメディアの支配もなくなり、個々人がSNSで好きなように発信できるような時代になった今でも注目を集めるのは悲観的なニュースだし、世界がそういう悲観論で溢れているように見えるのも僕たちの本能的な問題が大きく絡んでいるということだと。
ならばその本質を理解して、僕たちは本能的に悲観論に反応しやすい生き物なんだと理解していろんなニュースに触れたり、いろんなことに考えを巡らせていく必要があるんじゃないかなと思った朝でした。
ということで本日は「悲観的なニュースで溢れている日本」というテーマでお話しをしてみました。
ではまた!