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金蝶饅頭はなぜ、ぬくもりの味がするのでしょう?Ⅱ ~その後の吉田家~その4

令和元年六月(2019年 6月)に記す

絶望の先のかすかな光

倒産の間際に、地元の菓子組合の仲間であり、お客様でもあった、とても優良な発展をされた菓子業を経営する鈴木栄光堂の鈴木代表に相談しました。

時間の無い中で何が出来るかを真剣に考えてくださり、暖簾に対する理解も、社員の受け入れ先としてまでもフォローしてもらい、再興の道も模索してくださっています。

また、本当に多くの方々が暖簾の再興を奨励してくださいます。

しかしながら、暖簾をつなぐこと自体が目標であった私。
これまで培ってきたものでは、笑えるほど、自身が食っていける程の自信も持てず。正直肩の荷を降ろしてしまった安堵感と虚無感の同居する絶望の先の絶望の最中、倒産からひと月程経ち、出来る限りではありますが、永年お世話になった納品先様にお詫びに回りました。

その際に、ご迷惑をおかけしたにも関わらず皆さんが一様に残念がって下さり、励ましてもくださいました。その中の一つのお店の副店長さんが、「商品は良いのだから、是非再開してください。そしてその時が来たら絶対声をかけて。会社には俺が通すから。」とまで言ってくださいました。

その話を鈴木代表にお話ししましたところ、「うちの会社を通して納品しましょう。ただ、商品をどうやって用意するかだね。」

そこで、金蝶堂の暖簾分け先の尾西金蝶堂にて、生産を打診。栄光堂の営業の方に動いていただき、納品先様のご協力も賜り、私も調整に汗をかいて、なんと倒産から三か月で「水まんじゅう」のみの限定的ではありますが、納品を再開できました。

本当に思いがけない流れに身を預けながら、振り返るとやはり「奇跡的なことだなあ。」とつくづく感じるのです。

尾西金蝶堂は、古き良き職人気質な良い和菓子屋さんで、先代、先々代の頃より頼りにしてきたお店です。愚直に金蝶饅頭の製法を守るそのお店で、改めて金蝶饅頭の修行をさせてもらっています。

永い歴史の中で、変化進化してきた当店(總本店)とは違う点に気づくなど、学ぶこと非常に多く、いつか總本店の金蝶饅頭をより向上して復活できる日が来ることを意図していることに気づき、やってきてくれる今日一日を大切に生きていこうと努めております。

「取り結ぶ太刀の下こそ地獄なれ 身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」
の句を、ここに至り噛みしめつつ。

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