吉田大助 (シン・金蝶堂)🐦🔥
幕末~明治~大正~昭和~平成、そして令和へ、吉田すゑと金蝶饅頭の心の物語です。
金蝶堂總本店 から シン・金蝶堂へ 岐阜県大垣市で、かつて三銘菓と言われた(今でも?) 「柿羊羹」「みそ入り大垣せんべい」「金蝶饅頭(金蝶園饅頭)」 そのうちの金蝶饅頭の「金蝶堂」宗家「金蝶堂總本店」六代目を任されたものの、残念ながら2019年に倒産しました。 その節は、お客様、そして、関係者の皆さまに、多大なるご迷惑をおかけし誠に申し訳ございませんでした。 お金も仕事も信用も、思い出の詰まった家(店)、そして自尊心も失って、茫然自失の中、組合の仲間でありお得意様でもあ
岐阜県大垣市の夏の名物 水まんじゅう 大垣は豊富で質の良い地下水に恵まれて「水の都」と呼ばれており、昔は、各家庭の軒先や土間などに井戸船があって、野菜や食器を洗ったり、お茶などを冷やしたり。そんな文化的な背景から庶民が果物や水菓子なども冷やして楽しんでいたそうです。 饅頭を水で冷やす 地元民からすると、なんの違和感もないですが、「饅頭を水で冷やす」 ということを文字面だけ見ると、なかなか信じられません。 紅白まんじゅうや、焼きまんじゅうを水に入れるようなもんですもんね。
金蝶饅頭の基本 ●酒種 酒種とは糀菌の発酵を利用した生地。 発酵の力を利用して膨らむと同時に、香りや風味など奥深い味を醸します。 ●こしあん 漉し餡は、字のごとく、漉すという手間がかかっています。なめらかな舌触りのために、大量の水も必要になります。 昔の献上菓の類に、こしあんのお菓子が多いことは納得の出来事です。 ●薄皮の蒸しまんじゅう 酒種のお饅頭は結構全国多々ありますが、金蝶饅頭の白黒(餡が透ける部分と透けない部分がまばらに共存する)の独特な薄皮は大きな特徴の一つです。
おかげさまをもちまして、開店から約一か月が経ちました。 たくさんのお客様のご来店、誠にありがとうございます。 不慣れな環境と準備不足に加え、オープンと桜の名所という特需も重なり、 いきなりの年一番の繁忙期に覚悟はしていたものの、諸々追いつかず、 ご迷惑をおかけしたことも多々あったかと存じます。 未体験の疲労はピークに達し、先日は2時間ほど早仕舞させて頂きました。 しかしながら、たくさんのお客様に、ご購入のみならず、ご声援やご心配などあたたかいお言葉を頂戴し、誠にありがたく
平成三十一年二月二十八日 私の経営能力及ばず、残念ながら会社を倒産せざるを得ず。 家業としての暖簾 金蝶饅頭の宗家 吉田家の跡継ぎとして、父から遺されたとても大きな目に見える負債と暖簾、家族という課題、それと目に見えない(でも美しい)レガシーを受け継いで、精一杯生きた人生は、振り返ってみると、苦しいことが多かった分、味わい深く幸せなものだったと思います。 最後の最後まで、たくさんの方々に迷惑をおかけして終わった身としては、誠に申し訳ない思いでいっぱいです
平成二十九年三月 多くの方のご協力を賜り、ささやかながら本店のプチ改装できました。 私が生まれる前、当時地域で一番に建ったと母がよく自慢していたビルも 50年も経ってアチコチ壊れ、後半25年は絶望的な現代の中で、目の前の出来る修繕に取組み、排水詰り問題やハト害、水中ポンプ故障など屋上へ上がる機会も多く、「親父も、えらいもの遺してくれた・・」とふわりと飛び降りそうになる5階建て。 ”直す”というマイナスを0にする行為。—― これを”後ろ向き”とした場合、 ようやく目に見え
平成二十四年十二月五日 天皇皇后両陛下へ献上の栄誉を賜りました 大垣に行幸啓の際の、お茶菓子として選んでいただいたのです。 小原鉄心翁に献上し金蝶の銘を賜ってより、一五〇年目の節目に 何たる幸い!この恵み! 菓子文化流麗たるこの大垣の名だたる老舗の中より、お選びいただきましたことは、恐縮の極みながら、日本という国の、そして大垣という市の、誠、良心の賜物と存じ上げます。 心より感謝申し上げますとともに、この誠を守るため、精一杯勇往邁進いたしますので、今後とも何卒よろしくお願
望まずとも得られる喜び 望まずとも与えられた幸せを「恵み」と呼ぶと聞いたことがあります。 天の恵みや、自然の恵み等、と言う意味合いでしょうか。 今まさに目の前の「シン・金蝶堂」の復活の事業についても、誠、大いなる恵まれ。 振り返れば、恵みの多い人生でした。特に象徴的な出来事を挙げてみたいと思います。 天皇皇后両陛下へ献上の誉れ 平成24年に天皇皇后両陛下(現上皇上皇后両陛下)大垣へ行幸啓の際、お茶菓子として金蝶饅頭を献上させていただく誉れを頂戴しました。 なぜ当家の金
それは、 もちろん、お客様の愛のおかげ。 先にもお話しましたように、吉田すゑ(おすゑ婆さん)は、地元の皆様に大変愛していただきました。お店が町の皆様の寄り合い所であったようなことも聞いております。 おすゑ婆さんは、人の笑い声が大好きでした。お店に来てくださるお客様とのお話が大好きでした。いつもの温かい笑みは、お客様の温かい愛に包まれていたからこそだと思います。 そして金蝶饅頭は、毎日ひとつひとつ顔が違います。その商品性をご理解くださって、その表情を楽しんでくださる、粋でい
それは、 おすゑ婆さんの心だから 金蝶饅頭の生みの親は、当店の初代店主吉田すゑ。〔天保十三年(1842年)十月十七日生まれ 明治三八年(1905年)九月十六日死去〕 江戸の終わり、新撰組や篤姫と時を同じくして、吉田すゑとお饅頭の物語も始まります。 彦根藩の奥女中として奉公していた、おすゑさん。男勝りな性格で料理や菓子つくり等、何にでも挑戦したそうで、その腕前は城内でも評判だったそうです。 桜田門外の変にて当主井伊直弼が殺害され、城中の混乱のおり「お家さがり」となり、実家のあ
それは、 生きているから。 前日より糀菌を仕込み、その発酵を利用してできる金蝶饅頭。まずそ の糀菌の発酵が金蝶饅頭の最大の特徴であります。毎日毎日繰り返され るその営みが、全国的に見てもめずらしい「本来の酒まん」の独特な 味わいを生み出します。ですので、技術が進み、まったく同じように作 ったところで、蒸しあがったお饅頭の表情がひとつひとつ違うのです。 私どもは毎朝その機嫌を伺いながら心を込めて調整いたしております。 「世話がかかる子ほど、愛おしい」ということでしょうか。 そ
屋号と商標 「金蝶饅頭、金蝶及び金蝶堂」はもともと倒産前に私がご先祖から受けついだ登録商標でした。 それほど広くない地域に暖簾分けや他家含め、金蝶とつくお店が多く、うちのお店は先々代の頃、暖簾分けを多く出したため、「金蝶堂總本店」を屋号としていました。 商標については、倒産の際、鈴木栄光堂様に預かって(買い取って)もらい、喪失を免れました。 「シン・」について シン・=新、真、心、信、親、芯、深、辛、神、慎、清、伸、進、sin、、、新たなる門出を迎え、真心を信じ、親しみ