記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

『ジョーカー2 フォリ・ア・ドゥ』流れに沿って感想&考察。思ってたよりすき




久しぶりのジョーカーの姿。あれからどうなってたのか気になりすぎていた。



アーカム州立病院で事件から2年過ごしたアーサー(ジョーカー)は笑わないし話さないしジョークも言わなくなっていた。
前作の覇気のあるイメージが強かったので全然話さなくない?と思った。

看守が毎日「今日のジョークは?」とバカにしたように聞いてきたり、基本が虐待気味だったりするので尊厳が奪われて話す意味が無いと思って話さなくなったのか。はたまた燃え尽き症候群か。

というか元々アーサーはちょっとやる気のないくたびれた感じで生活していた気もするからこんなもんなのかな…?と思い直す。

病院での一日の生活は汚物入れのバケツの中身を捨てに行ったり、薬を飲んだり、外に出て自由時間、点呼があったり、テレビの時間、食事の時間…みたいな感じ。
ここの少し説明的な描写が長いので、刑務所パートはすぐに終わって何かが始まるか?と思ったけど全然そんなこと無かった。あとは弁護士が面会に来ている様子。


裁判が始まる予感。



この裁判が映画のひとつの大きなイベントになるよね。
前作とは違って、裁判所↔アーカム州立病院が主なアーサーの主な行動範囲になる本作。
捕まる前はなんだかんだカウンセリングとか自宅とかピエロとしての職場とかコメディアンのショーとかやってたのに、寂しい生活になったなあ…と切なく思った。 ※殺人犯だから当たり前

弁護士はアーサーにちゃんとした病院で受診して欲しいらしく、人権が守られているかとかも少々気にしている。

が、アーサーは相変わらずそんな話さなくて特に心を開いていなさそうだった。
そして弁護士もすごく愛情を持っているかと言われればそうでもなさそう。殺人犯への畏怖と嫌悪もあってか仕事としての事務的な振る舞いをしているように思えた。
だからあんまり好きになれない。今作に出てくる新しい登場人物はみんな冷たい気がして好きになれる人が少ない。そこは残念なポイントだったかも。


アーサーは恋したら歌っちゃうタイプ


そんな中唯一アーサーに優しいリー・クインゼルが登場!
演技がすごくて大スターのレディーガガじゃなくて普通の若い女の子って感じがした。実年齢を調べて改めて演技の幅の凄さにびっくり。

アーサーと育った境遇・親への感情も似てるし、何より自分の信者風だし、隣人が挨拶してただけで付き合う妄想してた人にとってはそりゃ…
当然めちゃくちゃ好きになってしまうよね。
好きになったのでミュージカルも始まるよ。

しかしミュージカルが始まるタイミングは「アーサーお前死刑になるかもだって!どんな気持ち?」とか聞かれた時とか、裁判前のTVのインタビューで追い込まれた時とかで、結局逃避としての妄想になってしまっている。恋愛をしたから現実と向き合えるようになるとかは特にないぽい…。

そして(映画の中の)現実ではジョーカーのメイクや服装をしていないのに、妄想の中で先にその服装・メイクで現れる。
みんなそれ待ってたのに!!!

そしてその服装で歌ったり踊ったりタップダンスを踊ったりする。ここが凄くコメディ的というか軽い感じで、あれ?ジョーカーってこんな感じだっけ?となってしまうポイントだった。
薬飲むのやめたとか言ってたし、恋愛でハイになったのもあり妄想が加速しているのか、めちゃくちゃミュージカルタイムが挟まれる。歌は普通に良い。

この空想がずっとミュージカル調なので妄想と現実の違いがわかりやすくて、前作からこういう感じの人生だったのかなとすごく想像させられた。空想に入るタイミングもやけにリアル。なまじ現実の描写が冷たいので(前作は辛いという感じだったが今回は冷たい感じだ)、観ていて一緒に逃避したくなってしまった。でも逃避がちょっと面白い感じだったのでなんか全共感という感じでもなく若干置いていかれつつ観ていた。

リーもハーレイ・クインとしての狂気を持ちつつも寄り添ってくれる存在かと思いきや、両親と仲が悪くなさそうだったり入院させられたのも嘘だったりお金持ちそうだったり全体的にほぼ嘘だったり(!)
観客として特に好きになれないので、その2人のデュエットを観るというのは中々何とも言えない気持ちになるのだった。

特にリーがアーサーとの性的な行為の前に「ちょっと待って」と言って、アーサーにジョーカーのメイクを施す場面はやっぱりジョーカーが好きなミーハーな感じ!?と思って少しキツかった。

社会と関わる人間であれば何かしらの努力・演技(接待みたいな感じ)をしていることも多いと思う。
その上で得られた他人からの好感は本当に自分のものなのか?努力を辞めたらどうなるのか?
そういう形の葛藤が呼び起こされるシーンだった。


あとはアーサーが裁判中に、母親から「息子はおかしい」「息子には適当な話を聞かせておけば自殺しないから良い」「才能がないからコメディアンにはなれない」みたいに言われている話でフラッシュバックしているのもキツかった。母親ほんとにひどい。生育歴がもう少し良ければここまでのことにはなっていなかったかもしれない…。



もういい!


日記を読まれアーサー多重人格説が否定されかけて、追い込まれたアーサーは「もういい!限界だ!」みたいになってジョーカーの服装・メイクで出廷。弁護士も解雇。


色々ジョークとかコメディ風の狂気系発言とかやってみるのだけれど、そのジョーカーにしてもマレーを殺した極悪な怖いもの知らずのジョーカーというイメージがもう作られているので、それに沿って動かなくてはならない。発言でウケることもあれば地味にウケてない時もある。
どんなイメージもついていない頃の前作のジョーカーよりも吹っ切れにくく、たどたどしい感じもした。
そんなアーサーに、裁判に参考人として出廷した小人症のピエロのゲイリー・パドルズが「らしくないよ…もうやめようよ」と言った時よく言ってくれた!と思った。ゲイリーはいいやつだとおもう。もうやめようよ。

ところがそうもいかない。裁判中にアーサーが裁判の進行よりも意識している傍聴席のリーがいるからだ。やっとできた理解者のリーは、ジョーカーが好きなのだ。そしてアーサーのことはどうなのだろうか…。

何にせよリーの登場でよかったのは人生に恋愛経験(実際の)が出来たことかもしれない

妄想の中では物事が期待通りに進む。
しかし実際のリーとの出会いでは、やっと現れたアーサーの理解者ではないかという期待が生まれ、その期待がアーサーではなくジョーカーが好きなのだという結論に変わっていったように思う。

その経験がリーが好きなジョーカーとは何か考えることに繋がり、事件のことや自分の人生について考えるきっかけになったのではないか。また、前作で危害を加えなかったゲイリーの言葉もアーサーに届き、きっかけの1つとなったと思う。



2度目のもういい!

そんな経験から出た結論が、裁判で話した「殺さなければ良かった」「ジョーカーはいない」になった。

結構殺人犯としては普通の発言だと思うが、狂気の極悪ジョーカーを望む信者には受け入れ難いかもしれない。弱気な発言に幻滅した信者は傍聴席から立ち去ってしまう。リーなんて真っ先に帰ってしまう。

ジョーカーは有罪になるのだが、そんな弱気な発言の後でも、裁判所の外にはまだまだたくさんの信者が集まっている。
信者のうちの一人がなんと裁判所を爆破。
出てきたアーサーを見つけて前作のように車で連れ去るが、アーサーはジョーカーを演じることはもう出来ないと思っているので、車から飛び出して信者から逃げ出した。
信者の呼ぶ声に振り向かず、街を駆けるアーサー。ピエロの頃に子どもから逃げて走っていた時に戻ったような気がした。いろいろな逃避のシーンがあったけど、この場面の疾走感と病院でも裁判所でもないところに出てきた開放感、懐かしさが凄く良かった。


そもそもなんでこんなことに?なんで逃げてんの?


前作で銃を渡されて、銃を落としてクビになって電車で暴行されて耐えきれずに銃を使って、母親に虐待されていてチャンスがあったから殺害して…まあそこまでは分からなくもない。

と言ったら語弊があるかもしれないけれど、電車の男達→母親→同僚のピエロ→司会者のマレーの順に実害が少なくなってきても流れるままに殺してしまっている気がする。
もう少しどこがで歯止めが効いていたらよかったかもしれない。(追記:よく考えたらカウンセリング打ち切りで急激な断薬してる+出生と虐待に関する事実を知ってしまうっていうのがアーサーの行動に拍車をかけている感じだったから難しいかも。やっぱ母親がちょっと酷いなあ。)
その殺人の連鎖の結果、最終的には生放送で有名になり反社会的な勢力を扇動してしまった。しかもそれは自分のやりたい事ではなかったのかもしれない。これはすごく虚しいことだと思う。

そして、振られて→捕まって→刺される。
ここはこれまでの流れを見ていたら、まあわりと素直に受け入れられる展開だった。
ジョーカーになるの嫌なのにリーに「僕は生放送でマレーを殺したジョーカーだ」とか言っちゃうあたりは虚しかったなあ。でも最後に会えたならまあ後悔ないように行動した方がいいか…。と思っていたのに、その後「もう歌いたくない」みたいなこと言ってたのは好きだった。そこは断るんかい。両価的な感情なのだろう。



前作と今作の似ているところ・違うところ アーサーの望みとは



そして殺されてしまう最後。(本当に死んでるのかは未だになんか疑っちゃうけど)
なんかこの辺は力抜けてみていたので、わーそうなるのか…とあまり驚きも少なく静かに見守っていた。

もう裁判は終わってリーとも切れたからジョーカーになる理由もないし、死刑が確定した?ならアーサーの今後には余り変わりがない気がした。

子どもが欲しかったっていう発言は普通の幸せが欲しかったんじゃないかな。もしくは幸せな家族の一員になってみたかったのかもしれない。

前作のラストでは信者にまつられて幸せそうだったけれど、今作では全く幸せそうではなくて、自分の望みが理解出来ていなかったり、理解出来ていたとしても現実が厳しいから自暴自棄になって望みと反対の方向に動いた結果こうなってしまったのかなと思って切なかった。


刺した側の囚人が自分の口を割いていた?のとか、面会に呼ばれて案内されていたのに、案内役の看守が全然戻ってこないのとか色々意味ありげなのは前回のラストと似ている。

前作と違うのはジョーカーとアーサーどちらにスポットライトが当たっているかだと思った。

前作で知っている設定(病気のことや家庭環境のこと、貧困問題や暮らしている地域の治安など)があったからよりアーサーの心情に共感できて面白かった(苦しかったとも言う)。

ジョーカーが出てくると思ったらアーサーが出てきて、妄想の中でしかジョーカーは出てこない。「ジョーカーやってよ!」と煽ってジョーカーやらせようとするリーが出てきてやってくれてもすぐやめてしまうし、最後もっとジョーカーらしい狂気的な囚人に殺されてしまうのは皮肉な展開だと思った。

挑戦的な続編ということもあって、面白いか面白くないかとかは結構言い難い映画だと思ったのでおすすめ!とかは言わずにとりあえずここで終わりにしておきます。

読んでくれてありがとうございました。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?