〈インタビュー〉ミツバチとネオニコ系農薬の不都合な真実
ミツバチの大量死や大量失踪が社会の耳目を集めて久しい。
その原因物質とされているネオニコチノイド系農薬(以下、「ネオニコ系農薬」)による人への影響が明らかにされつつある。
すでに欧米では規制強化など対策がとられている一方、日本では水稲農薬から家庭で使う殺虫剤まで幅広く普及している。ミツバチとネオニコ系農薬の問題について神戸大学名誉教授でミツバチ愛好家の尼川大作さんに話を聞いた。
ー大学勤務されていた時代“ハエ博士”の異名があったそうですね。どのような研究をされていたのですか。
分子生理学の研究分野で何十年にもわたりハエを実験材料に使っていましたから、(異名が)ついちゃったんですね。「ハエを研究している」と言うと、ちょっと引かれる人もいますが、人もハエも神経構造は同じで……もちろん人間の方が複雑なんですけど、神経を通る電気信号は同じなんです。
実際、ハエにアルツハイマー病を起こさせて精細に分析することで、人のいろんな感覚の認知機能を類推する研究が行われています。ショウジョウバエなんかは遺伝学の分野ですごく貢献しています。そういうことからハエは「人間のモデル生物」なんです。
もうずいぶん以前から、科学分野の研究といえども動物愛護の精神から実験動物を簡単には使えない時代になっています。その点、ハエだと十分な実験回数をこなすことができました。こうしてハエなどの神経メカニズムを長らく研究していたのですが、数十年後、これが思いがけないことにネオニコ系農薬の問題に突き当たります。
ネオニコ系農薬は脳内神経の受容体を狙い撃つ
ーミツバチの大量死などの事象ですか。
昔は有機リン系や有機塩素系の農薬が主流でした。レイチェル・カーソンも『沈黙の春』で書いていますが、DDTなど当時の農薬は人にも自然にも非常に害が大きかった。その後、開発されたのがネオニコ系農薬でした。そこに含まれるニコチン類似の神経毒性は、脳内の神経伝達物質を受け止めるアセチルコリン受容体をターゲットにします。「環境指標生物」と呼ばれているミツバチにいち早くその影響がでました。この問題に最初に声を挙げたのは養蜂家や、私たちミツバチ愛好家でした。突然、ミツバチがいなくなったり、大量に死んでしまったりするわけですからね。
ネオニコ系農薬は1990年代から使われ始めました。殺虫効果が非常に強く、浸透性(洗っても落ちないで作物に浸透)や難分解性(一度の散布で長持ちする)が特徴です。害虫に対して大きな効果を発揮する一方、人にはやさしい農薬として宣伝・販売されました。“夢の農薬”といわれて世界中で使用されます。しかし、各地でミツバチの大量死や大量失踪が頻発し始め、さらに蜂群崩壊症候群(CCD)が報告されます。日本では2005年ごろから顕在化しました。
これらの事象はネオニコ系農薬によってアセチルコリン受容体が侵されたことに起因しています。2013年から3年間、農林水産省が実施した調査でも、その可能性が高いことが示されました。もっとも農水省は規制強化に消極的ですが。
欧米では花粉媒介のミツバチなど多くの昆虫を殺すことで生態系を乱す危険があるとされ、厳しい使用規制が導入されました。EU諸国では「予防原則」を適用し、一時使用禁止、全面禁止に至りました。しかし、日本ではネオニコ系農薬の出荷量は依然多く、過剰といっていいほど使用されています。諸外国と比べ規制も緩く、農産物の残留基準は高く設定されたままなのです。
ーネオニコ系農薬は主に水田での使用ですか。
実った籾の養分を吸うカメムシ類の防除によく使われています。私の住まいの辺りでも、夏になれば田んぼの上をリモコンヘリコプターが散布しながら飛び回っています。米などの農作物はもとより、ガーデニングやシロアリ駆除剤、家庭用殺虫剤、ペットのノミ取りなど身近なところにも使われています。
昨秋、テレビの報道番組で放映されていましたが、ネオニコ系農薬は昆虫だけにとどまらず、人体にも悪影響を及ぼすことが研究者らの手によって明らかにされつつあります。気軽に使える殺虫剤として普及している反面、それがもたらす結果が気になります。
農薬の過剰使用と安全審査基準の疑義
ー農薬使用に関する「請願書」を滋賀県高島市議会に提出されたそうですね。
令和2年2月、私が副会長を務める環境保護団体「ミツバチまもり隊」として提出しました。「『農薬の過剰な使用を助長する農産物検査法の見直しを求める意見書』の提出を求める請願」が表題です。高島市を通じて国へ上申したかったのですが、残念ながら、本会議で賛成議員7・反対議員10で否決されました。
ネオニコ系農薬を使用する背景に農産物検査法が大きく関係しています。それは米の安全性や栄養価などよりも、見た目を重視した制度になっています。農産物規格規程でカメムシ等の食害による「着色粒」(斑点米)の混入量を一等米で0・1%を上限と定めています。これは米粒1000に対して2粒あれば品位等級は2等米になり、一俵あたり800円から1000円ほど価格が下がります。米農家は生活に直結しますし、農業団体などは積極的に農薬を推奨することになります。この点がとても難しい課題といえます。
同検査法は制定から71年が経ち、いまの時代にはどうもそぐいません。食の安全・安心を求める消費者ニーズに逆行しているばかりか、生産者にも身体的、経済的な負荷を与えていることでしょう。加えて環境問題をも引き起こしています。着色粒は検査後に色彩選別機で容易に除去できますから、なおさら見直しの必要があると考えます。他方、農水省も環境省もネオニコ系農薬の適正使用に関する注意喚起をやり始めています。「ミツバチのいるところでは使用しないように〜」という程度の注意書きですがね。
ー農薬の残留基準が守られてさえいれば安全・安心と思いがちです。しかし、もっと根本的な、不都合な真実があるのでしょうか。
(安全審査基準の)建前が突き崩されようとしているのがネオニコ系農薬の問題だと思っています。人への影響が徐々に解明されていて……母親の胎盤を通じて神経毒性が胎児に移っていく検査報告が2、3年前から出ています。安全審査の基準自体がどうも疑わしくなります。たしかに脳内でおこる(農薬による)神経系の微妙な変化は、簡単に証明できないのも事実です。とはいえ、人への悪影響が解明されつつあるのに放っておいていい理由などありません。厳密な証明までいかないけれど、いろんな状況からみて非常に危険な可能性があるならば「予防原則」を採用すべきだと思います。
最近の知見で懸念されることは、神経毒性が分解されないまま肝臓に蓄積されている可能性があることです。ニコチンの毒性は比較的すみやかに代謝されるので、ネオニコ系農薬もそれに準じた見方がされていました。しかし、意外と分解されにくいことがわかってきました。そして、肝臓にため込まれた毒性が一種の分解作用で変化するケースがあります。それが代謝産物として、分子レベルでさらに毒性が上がることがあるんです。でも、問題は農薬の開発時に、そういう点をきっちり調べているのかどうかなのです。どうもおざなりな感じがあって、安全審査に“穴”が開いている、と思えてなりません。それでもって企業側は「ちゃんとやっていますよ」と言っているように見えるんです。
最初の話に戻るかもしれませんが、人もいろんな昆虫も、非常に共通した面があるんだから……害虫とかを撲滅するために使う農薬や殺虫剤を開発・使用する場合は非常に慎重でなければいけないんです。
ー『沈黙の春』についてひと言、お聞かせください。
『沈黙の春』は、まさに「世界を変えた1冊」として出版から60年をへたいまも色褪せていません。ミツバチとネオニコ系農薬の問題をいろんなところで話をする機会があります。そうすると「あの本、読みましたよ」という人が結構いるんです。いまほど環境問題が叫ばれている時代はありません。そして若い人たちの関心も非常に高まっています。ぜひ、そういう人たちに読んでほしい本ですね。しかし、カーソンが警鐘を鳴らした問題は、現在もなお繰り返されているように思います。むしろ、もっと複雑で大規模なかたちで……。
カーソンと同時代に生きた人物で、ミツバチ研究の世界的権威のカール・フォン・フリッシュという人がいます。専門研究の傍ら、原子力による放射能問題や化学防除剤について当時、「我々の身に降りかかる危険性がある」と警告を発していました。カーソンやフリッシュのような影響力のある人物は、いまなかなか見当たりません。消費者の立場に立つというのは非常にたいへんなことなんでしょう。科学者の多くは国とか、大企業に取り込まれやすい位置にありますからね。でも、二人のような研究者がわずかでも増えてくれればと思っています。
(聞き手 原田修身)
『消費者情報』Web版500号(2022年5月配信)インタビュー記事はこちら
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