フリーランスの映画評論家になるために
タイトルは確かにうえのようなものなのですが、まあハッキリいって親ガチャ次第! というのが僕の結論ですね😊
要するに転職を考えるような歳になってからどう足掻いたところでいまさらどうにもならないよ、って話です😢
そして人格形成期の僕には TV のチャンネル権なんてなかったんですよね😢 というよりウチの場合、就寝時間が当時の他の家より非常に厳しくて、洋画劇場、観られなかったんです😢
映画館にもあまり連れていってもらえなかったですしね😢
小六のとき『ウエスト・サイド物語』(1961)を観せてもらえなかったことなどをよく覚えていますが、中学に入ってからでさえ『ベルサイユのばら』(1979)とか、観せてもらえなかったですね😢
いい歳こいて親のせいにするわけ? なんて声が聴こえてきそう感じですが、とはいえそうしたことをいい勝ちな皆様も読書に関してならある年齢までの読書経験が決定的で、その時期を過ぎてしまったらもう読解力なんて身につかないよ、なんて意見には首肯されるのではないでしょうか?
僕が小六までに観せてもらえた映画といえば、映画館にかぎっていえば『メカゴジラの逆襲』(1975)と『華麗なるヒコーキ野郎』(左記と同年)くらいじゃないですかね😢 前者は弟と一緒でどちらかといえば彼のほうの年齢に合わせての選定で、後者のほうは『大空のサムライ』(1976)を観にいったらその上映がもう終わってしまっていたため仕方なく、というものでした😢 つまりそっちは父の趣味、ということで😢
そういえば父の機嫌がよかったとき TV の洋画劇場も、紫電改か何かがでてくる映画、観せてもらえとことがありましたっけ😊 『太平洋の翼』(1963)ってやつかな? いま検索してみたんですが😟 因みに洋画劇場っていったって邦画だって放送してたんだよ、なんて話、いちいち説明しなくたっていいですよね?
さてそんな風な映画視聴歴の僕ではありましたが、当時の映画鑑賞といえばそれなりのイベントでありましたから、とにかく観ることができた映画たちのなかから、自分の趣味・嗜好、形成していくしかないわけです😨
東宝自衛隊😊 ゼロ戦😊 紫電改😊
小学校後半の僕はもう完全に軍国少年でしたね😊 喧嘩の一つもできない虚弱児だった癖に😊
そしてモロにやられましたよ😢 暴力教師だったからてっきり右翼だって思ってたのに、あとで話を聞いてみたらバッチリ左翼の全共闘世代教師にね😊
「最近あなたがいっていることは子供が軽々しく口にしていいことではない」って理由で😨 ドスッ🤬バキッ🤬ベシッ🤬ってね😊 まあ僕のほうもシソウのジユウってモンがあるんじゃないんですか? ぐらいのことはいい返してたような気がするのですが😊 確かにイタいガキでしたね😊
中学時代にはなん度もなん度も、エッ? 何々も観てないのッ? なんていわれ続ける毎日でした😢
現代詩人でヒッチコックかなんかについての著書がある松浦寿輝なんかは確か、映画館の裏か何かに住んでいて、それで映画観放題だったんですよね?
チッキショウッって思いましたよ😡 将来知的なことで身が立つような奴らって、結局子供の頃からそういう環境だったんだなって😡
僕は知的にはまったく身が立たず、といって体力的には教師に凹られたとこでも書いたように😢 あれ確か、女教師だったな? や~いッ😁 女に泣かされてやんのッ😁
僕は第三者的にはヲタクなんでしょうが、それでもヲタクたちにもエッ? 何々も観てないのッ? ──よくいわれるんですよね😢 長浜ロマンロボシリーズとかに関しよくいわれるんです😢 だから僕にはチャンネル権なんてなかったんだってっ😡
この記事、「#有料記事書いてみた」の今月のテーマ = 「キャリア・受験」の記事ということで投稿しようかと思っていたんですが、さすがにそれでは詐欺なるなと思いまして、そういうわけで、普通に投稿しておきますね😊
それとここ『no+e』様にくるようになって早十ヶ月強、最近三点リーダーのペッタン問題に苦慮しています😢 そのための似合わない絵文字でした😊
以上身バレ防止のためちょっと脚色😊 それでは😊