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正月行事と子ども

今日はどんど焼きでした。見ているうちに思うことがありました。
うまくまとまりませんでしたが、つらつら書いてみます。

今のどんど焼き

私が子どもの頃、うちの地区にどんど焼きはなかった。各自の庭先で燃やしていた。だいたい門松はA4を半分に切ったくらいの大きさの印刷されたものが配られて、それをぺたりと玄関先に貼っただけだった。
繭玉もテレビでしか見たことがなかった。

今はどんど焼きをやる。正月のお飾りも印刷物なんてことはなく、地味なものから洒落たものまで、いろいろなお飾りが集まる。
繭玉もみんな作って持ってくる。とは言っても、統一した作り方なんてない。
市販の繭玉(スーパーに売ってます)を柳に刺している家、色とりどりに染めた団子を好きな形(飛行機とか)にしている家、餅を焼くために枝の先につるして持ってくる家など、様々だ。
今年はどんど焼き用のマシュマロが売られているのを、スーパーで見た。

かつてはこの地区でも「ちゃんとしたどんど焼き」をやっていたんだろう。それが廃れて何もやらなくなっていたのが、いつの頃からか復活し、アレンジを加えて、地区や子どもたちにやりやすい形になっているってことなのかと思う。

それで思い出した。地区の行事としてどんど焼きは残っているけれど、今どき、凧揚げやコマ回し、お手玉をする子どもなんて見たことがない。

昭和末の正月の子どもの遊び

いるわけないだろう、令和なんだから、となるかもしれないが、私が子どもの頃(昭和末)だって、自主的に凧揚げや、コマ回し、お手玉をする子どもなんかいなかった。「凧揚げ大会」とか、「コマ回し、お手玉大会」があったから、やってただけだ。
凧は冬休みの宿題で作ることになっており、毎年大変だった。壊れると大変だから、凧揚げ大会には「カイト」を買ってもらって持っていった。

こういうのです。

町外れの田んぼしかないところで凧揚げをした。
あそこは今でも田んぼしかないが、凧揚げをする子どもはいない。

コマは「手作りコマ教室」という行事があり、そこで太い木の枝を削ってコマを作った。大人が枝の先をナタで整えてくれて、あとは子どもが削る。私みたいな不器用な子でも教わりながら毎年作った。
ふだんはコマ回しなんて全然やらないけれど、正月シーズンだけはみんな一生懸命やった。紐の巻き方を工夫する男の子たちもいた。
(*画像検索をしたが、私が作ったタイプの手作りコマは出てきませんでした。上部が真っ平らなタイプのコマです。)

お手玉も手作りだった。私は親戚のおばさんに教わって作った。お手玉を入れる専用の袋も作り、教室に置いておいた。皆が色とりどりのお手玉を持ってきていた。小豆の入れ具合も人それぞれだった。
これまた「お手玉大会」のために一生懸命練習した。お手玉を握った時の感覚や、小豆の音が心地よかった。

こういうのを手作りするわけです

大人がお膳立てをしてくれたのをやっていただけだ。それが嫌だったわけではない。面白かった。
今の子どもだって、そりゃ、ゲームとコマ回しを比べればゲームの方が楽しいだろうけど、コマ回しと勉強を比べたら、コマ回しの方が楽しいんじゃないだろうか。なぜやらなくなったんだろう。

やらなくなった理由を考えた

私が考えた理由はこうだ。
昭和の末、子どもたちはもはや自主的に凧揚げもコマ回しもお手玉もしなくなっていたが、大人たちはそれらを自主的に楽しんだ経験を持っていた。だから作り方や遊び方を教えることができた。子どもたちも大人に指導されればそれなりに楽しめた。

しかし、現在、自主的に凧揚げやコマ回しやお手玉を楽しんだ世代は年を取りすぎてしまった。教わって楽しんだ世代が親になっていて、凧やコマやお手玉を作ることはできない。購入してやるほどの遊びでもない。そもそも、今の小学校で「凧揚げ大会」とか「手作りコマ教室」とか、やっている時間はないだろう。

今、教わって楽しんでいることを、自分がその魅力も含めて教えるところまでになれるのか、ということを考えてしまった。

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たか
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