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36.他人をいちいち批判している暇なんてない。【FX専業トレーダーへの道】


世の中には、様々な考え方や意見が存在している。


特にこの日本では、諸外国と比べて非常に多くの価値観が共生しているように思う。


ここで一つ、最近少し話題になったLGBTのトイレ問題を例に出したい。(※ここから少しの間センシティブな話になります。不快になられた方、本当に申し訳ないです。)


身体が男性でも心は女性。


そういった人々が女子トイレを使用することに対する世間の声には、非常に多くのバリエーションが存在している。


「実際に心は女性なんだから良いのでは?」

「いや本当の女性からしたら恐怖でしかないだろ」

「かといって本人にそのまま男子トイレを使わせるのはあまりにも酷だろ」

「でもこれを容認すると、LGBTを装った痴漢が増えそうじゃね?」

「じゃあオールジェンダーのトイレを別で作れば良いじゃん」

「でもそうするとプライバシーの問題が発生すると思う」

「しかもそれって自分がLGBTだって周囲にバレちゃうしあんまり良くなくね?」


無論、トイレ問題に関する意見はこれだけにとどまらない。


ただ、ここで確実に言えることが一つある。


どの意見も全て正しい。


というより、そもそもここに関しては正解も不正解もないのである。


むしろ、ここに正解や不正解を見出そうとしている私たちそのものが不正解と言えるのかもしれない。


私たちは全員等しく人間だが、私たちの心は驚くほどに異なっている。


この世で最も自分と近しい存在であるはずの親や兄弟であっても、その思想や価値観が自分と1ミリも合致しないことだって大いにある。


つまり、ある一つの問題について意見が一致しないことはもはや至極当然のことであり、本来そこに正解や不正解、優劣、善や悪といった価値観を無理矢理持ち込む必要は無いのである。


ここまでで私がお伝えしたかってことを一言でまとめると、


「価値観が人によって違うのは当たり前」


これのみである。


無論、このようなことはもはや周知の事実であり、今更私から懇切丁寧に聞かされたくもないような話だと思われる。


だが、この前提を自分自身が真に理解しているかどうかを、次の問いを見て是非判断していただきたい。


「あなたは決して他人を批判しませんか?」


他人を批判するということは、ある意味で自分の価値観をより優れているものとして他人に押し付けている行為に他ならない。


この現状が顕著に表れているのはYahooのコメント欄やYouTubeのコメント欄である。


一度見たことがある方はご存知だと思うが、あそこはさながら地獄の窯の底である。


一見平和で明るいコメントや単なる感想のつぶやきにさえも群がる様々な批判コメの嵐。


そして、彼奴等はそのコメントの返信欄で批判するだけして、不満をぶちまけるだけぶちまけて、また新たな標的を探すべく他のコンテンツへ移ってゆく。


これではもはやゲリラ的に作物を喰らい尽くすイナゴそのものではないか。


誤解を招くようで申し訳ないが、私は他人を批判すること自体を否定したいわけではない。


ただ、それは自身の成長に対する甚大な弊害になり得ると主張したいのである。


何故、ヤフコメ欄やYouTubeのコメ欄などでああいった現象が起きてしまうのか。


それは、そもそも人間という生き物が皆すべからく自身の思想や価値観こそが至高のものであると信じたいからだ。


そう思いたい気持ちは大いに理解できるし、それが生物の闘争心そのものであるとも言えるのかもしれない。


だが、ここで少し考えてみてほしい。


そもそも、私たちに他人をいちいち批判している暇なんてあるのだろうか?


少なくとも私にはこれっぽっちもない。


何故なら、私はこの一度きりの人生において、何としても自分の目標を達成したいからである。


他人を批判している間、言い換えると、他人の抱えている問題にその時間と労力を費やしている間、自身が自動的に成長するということはまず無い。


自己成長とは、常に、自身の抱える問題にフォーカスし続けることによってもたらされるものだからである。


更に、他人をただ徒に批判することで優越感を得ていると、無意識下で自身を他人よりも上の存在に置く思考の癖が付いてしまう。


このような状態に陥っていると、もはや自己成長する理由すら失ってしまうのではないだろうか?


そもそも、私たちが自己成長しなければいけない理由とは、元を辿れば、他人に勝つ為に他ならない。


つまり、他人批判によって勝利の感覚を得ているうちは、自己成長、ひいては目標達成から大きく遠ざかっていると言えるだろう。


他人を批判することで手に入る即席の優越感は単なる虚構に過ぎない。


他人を格付けすることよりも、常に自分自身の問題にフォーカスすることを心掛けることによって、初めて私たちは真の意味での自己成長を遂げることができるだろう。




いかがだったでしょうか。


自分とは違う意見に触れた時、瞬間的にムカつくことは誰しもがあると思います。


でも、地球上に70億人も人間がいるんだったら、そもそも自分と意見が完全に一致すること自体が稀ですよね。


しかも、よくよく考えると、というかよくよく考えなくても、腹を立てる必要は全くありませんよね?


別に自分の生命が脅かされるわけじゃないんですし。


むしろ、いちいち腹を立てる行為そのものが、自分を苦しめているんです。


自分とは異なる意見に、いちいちコメントやツイートで一言反論せずにはいられない。


こういった姿勢は、自己成長や目標達成には絶対に欠かせない「自分自身と向き合う」という作業から一番自分を遠ざけています。


私自身、自分の物差しだけで他人を指摘しても良いと思えるほど人間が出来ていませんし、その余裕すら持ち合わせていません。


それに、これはあくまで個人的な見解なんですが、視野を狭めることなく、色んな意見に対しても鷹揚に構えられる人の方が単純にカッコよくないですか??


自分とは全く価値観が違う人に対して異論反論抗議口答えを一切せず、それどころかその価値観とその人自身を心の底から認めている。


シンプルにかっこいい。


私は単にこういう人になりたいだけなんです!!!!


今の私を突き動かしているのは、間違いなく、こういった人物像に対する憧れと、何がなんでもそういった人になってやるという目標そのものなんです。


価値観に絶対的な正否も善悪も優劣もありはしない。


これからも私は、仮に到底理解できそうにない価値観に出会ったとしても、少なくとも全力で理解しようと努めます。


そして、仮に理解できなかったとしても、そこから吸収できるものは全部吸収して、自身の糧としていきます。


その方が結果的に他人に対しても優しくなれそうですし、自分もイライラしなくて済むし、何よりこっちの方が成長スピードも早いでしょう。


全ては自身の目標達成のため。ただそれだけです。


ということで、今日はこの辺で。


最後まで読んでいただきありがとうございました。









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