『アリスとテレスのまぼろし工場』再び観ましたー。
昨年の9月に劇場に観に行った劇場アニメ『アリスとテレスのまぼろし工場』がNeflixで早くも配信開始されたので、再び鑑賞してみました。
映画館で一度観ただけではイマイチ分からなかったことが解消されたり、新しい発見があったりしたので復習も兼ねて記録していきたいと思いました。
内容のハイライト
始まり
内容的には、製鉄所の爆発による山の崩落をきっかけになぜかその地域に住んでる住民全員が町から出られなくなり、そのうえ爆発事故発生時の冬の季節のままで歳もとらなくなり、隔絶された変化のない世界で日常を演じて過ごしている人々を通して、死生観を考えさせる物語です。
主人公・菊入正宗は女の子っぽい容姿をした中学3年生の男子で、将来はイラストレーターになりたいという夢を持っていますが、事故発生時から時が流れなくなったため、20年程度経っても変わらず同級生と中学生生活を送っています。
この世界では変化は身に危険が及ぶ脅威であり、禁じられています。そのため肉体的にも精神的にも基本的にルーティンワークを求められ、住民同士はそれを暗黙の了解として「自分確認票」なる書類を定期的に提出しています。
蠱惑的な睦実
そんな日々の中、クラスのどこか陰のある美少女・佐上睦実が学校の屋上に立っているのを正宗は目撃します。まさか飛び降りでも考えているのかな…と心配げに見つめていると、彼女は制服のスカートをたくし上げ、パンティを正宗に見せつけてきます。
屋上に駆け上がり行動の意図を問いただすと、睦実は『全部退屈の仕業』として達観しており、日々の表面上の出来事に心を動かしていないことを述懐します。そして、退屈が吹っ飛ぶ存在を見せてあげようかと言って、正宗を製鉄所に誘います。
ついていった先の製鉄所第五高炉には、睦実に顔立ちが似た野生児のような女の子が監禁されていて、睦実は義父の命令でここに閉じ込めて世話をしていることを告げ、食事・排泄・入浴の介助を平日1日交代で手伝ってほしい旨を正宗にお願いします。
五実との触れ合い
正宗は女の子が睦実によく似ていること、第五高炉にいることから、『五実』と呼ぶことにします。また、最低限の面倒だけでなく絵本を持って行ったり、得意の絵で五実をスケッチをしたりして一緒の時間を多く過ごすようになります。
そのべー事件
そんなある日、正宗と睦実とクラスメートたちは列車が通らなくなった廃トンネルで男女ペアの肝試しをすることになります。正宗はみんなから”そのべー”の愛称で呼ばれているぽっちゃり女子の園部裕子とペアになり、睦実をライバル視している彼女はこの機会に乗じて、おもむろにトンネルの壁に正宗×裕子の相合傘をスプレー落書きします。
この後、そのべーの所業はクラスメートたちの晒し物になり、睦実の侮蔑的な視線に耐え切れず、そのべーはその場から逃げ出します。
「恥ずかしくて恥ずかしくて逃げたいよ…好きな気持ち、見世物になった」
心に強いダメージを受けたそのべーは、泣き笑いしながらそう言うと全身に砕け散る前のヒビが入り、それにリンクするように亀裂した空から現れた狼のような雲に飲み込まれ消えてしまいます。
そのべーの事件を直接目にしたことで、心の動揺や変化が自分たちの存在消滅に直結することを悟った正宗たち。睦実の義理の父親で神主の佐上衛は、住民集会で「生き永らえたければ心を動かさないこと。私たちは運命共同体です。同じ世界で同じ苦痛を味わっている。だからこそこの世界から逃れようなどと、ゆめゆめ考えてはならないのです」という思想を披瀝します。
睦実の怒号と世界の真実
そのべーの死の遠因が明らかに自分が彼女にとった態度にあること、なぜそのべーは自分を好きだったのか、そもそも人を好きになるとはどういうことなのか、といった考えに苦悩する正宗は五実のもとを訪れます。正宗は不潔な五実の臭いを嗅いで「臭いけど、なんか落ち着く」と呟きます。
そして、自分にとって好きと大嫌いはとても似ていて、どちらも痛いと言って無意識に泣き始めます。すると、五実は本能的に慰めたい衝動に駆られたのか、正宗を押し倒し顔を舐め始めます。正宗もそれが心地よくてされるがままになります。
そこに現れ、激高した睦実に罵倒され、今にも殺されそうな勢いで胸倉を掴まれる正宗を見て、狼狽える五実。そんな五実を見て、正宗は五実を自由にしてやりたいと思い外に連れ出します。
五実が外に出ると、空に大きく亀裂が入り始め、正宗も追従する形でふたりがクレーン貨車によじ登ったあと、「もっといろんな世界が見たい。もっともっと!もっとーッ!」と叫ぶと、空の亀裂は砕け散り、季節は夏へと変わり廃墟となった製鉄所が見えます。その反面、正宗の体は一瞬半透明になり存在が不安定になります。
しかし、その状態は工場が出す煙”神機狼”によってすぐ元通りに修復されます。
この時点で以下のことが判明し、②③が住民たちに周知されます。
①空の亀裂が割れたときに見えたのは現実世界であること
②正宗たちがいる世界は非現実空間で、実際に生きているのは五実だけだということ
③五実を外に出すと世界崩壊すると考えられていたため閉じ込めていたが、それだけでは崩壊しないこと
④五実は外の現実世界からこの世界に後からやってきたこと
真実を知って
自分たちが置かれている状況を把握した住民たちは戸惑います。もう自分たちは死んでいるのか、実体のない思念体として幽霊のように存在しているのか、だから正宗たちは『気絶ごっこ』など痛みを伴う遊びを好んで生の実感を得ようとしていたのか、と。
事件を受けた集会で、佐上衛は「この世界が現実じゃなくて、何の問題があるのです?心にヒビさえ入らなければ問題はないのです。はかなき幻だからこそ、我々の命は永遠に続いていけるのですよ」と言って、五実をこの世界の維持機関である神機のもとに返すべきだと主張します。
しかし、住民たちは緩やかに終局に向かう変化を許されない不自由な永遠世界ではなく、たとえ破滅しても自分たちの意思で自由に行動し生き抜く世界を選択します。
その結果、心にヒビが入って神機狼に消し去られる住民が続出し、睦実と五実は正宗の厚意でともに暮らすことになります。するとその晩、夜中に起きた正宗は睦実と、突如として現れた亀裂の向こう側に現実世界を見るのでした。
生きてなくても存在する意味、そしてその先に待つ答えー
正宗は睦実に「好きだ」とストレートに告白するも、現実世界の自分たちの結果を見てからの告白に過ぎず卑怯であるとして拒否します。私たちは現実と違うし、そもそも生きてないのだから好きになっても意味がないと嘆きます。それに対し「ちゃんとここに生きてるんだって、お前といると強く思えるんだ」と、訴えかけてキスします。
しかし、その様子を五実に目撃されてしまい、世界の崩壊が始まります。
五実は正宗に恋をしていたのです。
亡き父から
市内には避難指示が出されます。荷物の整理中に、正宗は母から父・昭宗の残した日記を渡されます。そこには、五実が現実世界から貨物列車に乗って来た「菊入沙希」で現実の正宗の娘であること、沙希の心の大きな動きでこの世界に異変が起きる可能性があること、現実世界に戻すという提案を「神に選ばれし女が心を動かしてはならない」として、佐上衛が反対し閉じ込めたことが記されていました。
昭宗は、アリストテレスの『希望とは、目覚めている者が見る夢である』という名言を引用しつつ、正宗の絵の上達を喜びながら、沙希を犠牲にして彼女の可能性を奪ったことを悔悟していました。
そして正宗のように、未来に繋がらなくても、日々の生活の中で努力し、不自由を楽しめかったことに対する意気地のなさを嘆息する記述が最後に大きく書かれていました。
終局へ
父の日記から貨物列車を使えば五実を現実世界に戻せると知った正宗は、睦実やクラスメートに協力を依頼しますが、自分たちの行為が原因で五実の心が傷つき、世界崩壊を急激に速めたことに対する顧慮と言及のない自分の女扱いに睦実はふたたび正宗を詰めます。
一方、佐上衛は五実を「神の女」にするため誘い出し、ウェディングドレスを着せます。亀裂の向こうの現実で盆祭の風景が見える中、正宗と睦実は嫌がる五実を連れ出して列車に乗せ、出発します。
しかし妨害により列車は脱線します。クラスメートの運転する自動車同士での五実の争奪戦を経て、正宗は自分で自動車を運転して亀裂の向こうの現実世界の列車に近づき、列車が停止したところで睦実が誘う形で五実は列車に乗ります。
列車の上で睦実は五実に、「トンネルの先」には自分には手に入らないいろんなことが待っている、だから「正宗の心」だけは自分が手に入れると話します。五実は「大嫌い」と言いながら睦実に抱きつき、頭のベールを睦実に被せます。
列車が神機狼を振り切ってトンネルに突入する直前に睦実は飛び降ります。自動車で追いついた正宗に、睦実は「正宗がいるから私は生きているんだって細胞から分かる。今日この世界が終わってもいい。残り時間なんて関係ない。私は今生きてる」と悟ったように心情を吐露します。
現実世界の数年後。列車で見伏駅に下りた菊入沙希は、タクシーで製鉄所跡に向かいます。ほとんどの建物がなくなった中で、第五高炉跡はその姿を留めていました。その中の壁には、製鉄所閉鎖時に書かれた多くの惜別メッセージに交じって、睦実と五実を描いたような絵が残されていました。
個人的な評価
各要素
ストーリー B+
脚本 B+
構成・演出 A
思想 A+
作画 A
キャラ B+
声優・歌 A+
バランス A-
総合 A
S→人生に深く刻まれる満足
A→大変に感動した
B→よかった
C→個人的にイマイチ
感想
『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない』通称あの花などの脚本家として知られ、『さよならの朝に約束の花をかざろう』で監督デビューを果たした岡田麿里監督第2作目で、『どろろ』『進撃の巨人』『呪術廻戦』などのアニメーション制作会社MAPPAとタッグを組んだオリジナル劇場アニメという本作。
劇場で初めて鑑賞した際は、登場人物たちが置かれている状況と今までの自分のアニメ視聴歴からラーゼフォンやスカイクロラに似ているかな?という印象を受け、展開を予想しながらストーリーを追いました。
主人公らが亡くなっているのか、あるいは外の世界のほうが消えて無に帰しているのか、外の世界と行き来できるようになるのか、自分が同じ条件下でこの不安定な環境に身を置くことになったらどう感じるだろうと、中学生時代を回想しつつ楽しみました。
ストーリーは思春期の少年少女たちを使って、コロナ禍以降の強烈な精神的な抑圧感、あるいは経済的に衰退し滅び行く日本の現状の雰囲気や空気感、女性の人生における葛藤を巧みに変換し描かれています。
序盤から性的な描写が多く、男性目線でみると睦実は一発でやられてしまうキャラクターに思われます。
劇場で観たときは睦実中心の鑑賞スタイル(今の30~40代?)になってしまったのですが、Netflixで何回も観ているうちに五実の立場(現在の若者)に立った見方ができました。
岡田監督の作品というと、あの花やさよ朝のように容姿が成長しない肉体の時が止まった孤独な女の子が出てくるのに対し、今回は五実だけが生きていて、不自由を強制され閉じ込められているという孤独の種類が変わった点にノスタルジーではない内省を見ることができました。
男性の自分が観ると、いつまでも昭和の遺産にすがり、先行き不安な世の中を憂いても仕方なく、結果にこだわらずやれるだけのことはやるんだ!というDo your best作品に思えます。
しかし女性目線で観ると、友達である恋敵との水面下の攻防、父親との確執、母親VS娘の愛憎が描かれ、そしてそれが現実世界の自分たちがもたらしたカルマの話と捉えることができます。
タイトルに使われ、作中で二回その思想が引用される古代ギリシャ哲学者アリストテレスですが、その中核的な思想の中から物語に関係の深そうな倫理学の一部分を抜粋してみました。
総合して振り返ってみると、生きるとはどういうことなのか?人は誰のために生きるのか?という問いの連続でした。現実の我々は生きてはいるけど、あらゆることを諦めて、見て見ぬふりして、実体の心は死んでいるのではないか?という反駁が自分の中に生まれる作品でした。
負の感情に身を委ねると神機狼に飲まれて存在が消滅することから、物質的な事象に振り回されることなく、私たちひとりひとりが心の在り方を見つめ直し、ダメなところはダメなところとして受け入れたうえで、そのうえで前を向いて生きていこうよ、という岡田監督の精神性とその思想を強く感じ、受け取ることができました。
ここまでお読みいただきありがとうございました。このアニメの素晴らしさがより多くの方々に届きますように。
中島みゆきさんが歌う主題歌『心音』が切なる思いを補完していますね。
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