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介護職から見えた生きる苦しみ、四苦とは 

はじめに

生老病死しょうろうびょうしについてzekkai個人の観点のお話となります。
介護職として心得ておく必要があり、この心得があるとないとでは職業人生に違いが出てくるのではないかと思います。
辛そうだな、避けたいなと思う方は無理をしないで、見ないでください。
ただ、苦しみは人として生きている限り避けられないこと。
同じく、幸せも人として感じられること。

これは個人的な主観が強い話となります。
ちなみに宗教や宗派など私は無宗教です。いいとこどりする派です。
介護という仕事は高齢者、障がい者を支える特殊な職業である。
我々は介護職は「苦しみとはなにか」考え押さえておかなければならぬと思います。


生老病死しょうろうびょうしとは

四苦八苦の四苦にあたります。
ちなみに四苦八苦とは、「人が逃れられることのできない苦しみ」であり
生苦しょうく老苦ろうく病苦びょうく死苦しく
愛別離苦あいべつりく怨憎会苦おんぞうえく求不得苦ぐふとくく五蘊盛苦ごうんじょうく
の八つの苦を現す言葉だそうです。難しい…。
こんなに苦しみだらけなんですね。でも安心してください。
これら苦しみがあるからこそ、人生は小さな喜びがより輝き「シャイニング」するのです。
確かにそうかもですね!

今日は四苦八苦のうちの四苦についてです。
これはzekkaiなりの捉えた観点のお話となりますのであしからず。


1 生の苦しみ
生きる苦しみ
生活する上での経済的、環境的、感情的な困難で苦しむ状況です。
人として生きる上で感情を持つ我々は、「お金」「住む環境」「人間関係の悩み」それらに対する「自分の心との葛藤」が必ず生じます。
欲求が満たされない状態
それが生きる苦しみなのです。

2 老の苦しみ
老いる苦しみ
人は生まれ、成人に近づくにつれ自我が形成され、思想や、体つきが変わり大人になります。少なからず思春期で様々な考え方、体の変化を感じている成長段階を「老い」と、おのずと感じ取っている人もいるのかもしれません。悲観的な若者が増えているのは社会が変わったからかもしれません。
たいていの人は30歳前後より次第に「老い」を感じ始めるでしょう
自分も35歳を過ぎたころ、人生の折り返しの年齢だと気づき焦りました。

言葉が出てこなくなりました「アレ、コレ」なんだっけが日に日に増えてますし、何もないところでつまづくようになってきたし、失禁も経験しました。(特殊な環境下だったんだけどね!笑)
こうして年齢を重ねるにつれ、身体、体力の衰えを「不安」「悲しみ」「苦しみ」と捉えていくのです。
家族、親やお世話になった年上の人を見て感じる「老い」も苦しみの一つです。

私たち介護職は老いていく人たちを常に見ています。
ある意味慣れが生じており、他人ごとに感じているかもしれませんが、
いざ、自分や周囲の人たちの「老い」を感じた時、「他人事ではない」と実感し、不安や恐れになります。

それが老いの苦しみなのです。

3 病の苦しみ
病気の苦しみ
人は生まれた瞬間から、肉体的・精神的な病に遭遇することとなります。
赤子から病を抱える子もいるでしょう。成長段階で体の病から、心の病など抱えていくこととなります。
年を重ねるということは病にかかるきっかけがそれだけ多くなるのです。
いくら気を付けていても、心がけていてもそればかりは運としか言いようがないようなことが多いです。現代科学が病を癒すことに大いに役立っており人が克服してきたことでもあり、それでもどうすることもできない病もある。
病にならぬよう生活習慣に気を付ける、心のバランスに気を付けることはできます。でも、不慮の事故からの「病」もありこれから先わからないのです。
大事な人の病も自分の「病」としての苦しみになります。
生活スタイルの変化、デジタル化が進み、近年は精神的病が増加傾向となっています。私はこれに着目しています。

4 死の苦しみ
死に対する苦しみ
生命活動が終わることを「死」といいます。
老衰や病気、不慮の事故であったり、次第に進行していく死への恐怖だったり、突然の死であったり。
自分がこの世から居なくなるという想像を絶する恐怖であり苦しみです。
愛する人が突然いなくなってしまう受け入れがたい悲しみと喪失感の苦しみ(愛別離苦)です。これは当事者でなくてはわからない耐え難い苦しみでしょう。
志村けんが亡くなった時はかなりショックで喪失感がありました。
仲本工事の時もそうだったなぁ・・・

これらの苦しみを抱え生きていかなくてはならない。
救われたい、苦しみから逃れたい
人は心の支えがないと不安定になる。
これが宗教や信仰につながる結果であったのです。

ちょっと休憩…
「苦」という字を見すぎてゲシュタルト崩壊が起こってます。笑
ちなみにゲシュタルト崩壊とは同じ字を繰り返し見たり書いたりすることでわけわからない物に見えてしまうアレです。笑
ふー。


ここから先は今のzekkaiの超絶個人的考え方になります。
一部宗教からヒントを得た解釈もありますが、それでいいと思うんです。
なぜなら、
苦しみから「今を生きる事」に後ろ向きになっては、
死んでいるも同然だと思うのです。
宮崎吾郎監督のスタジオジブリ作品 
ゲド戦記のテーマと繋がりました。
「死を拒むことは 生を拒むことだ」

冷静に考えてください、これら起こる「苦しみ」は避けることができない。
人はこれらを考え悩み苦しみ悲嘆する

だが、人以外の動物植物はすべてを受け入れている

人は死を恐れ、生きること、幸せに執着してしまう。
人は進化と引き換えに自我、理性、考える苦しみを得てしまったのです。

苦しみに対する恐れや不安、考え方に関する話

初めにも触れましたが、四苦(生苦、老苦、病苦、死苦)からは決して逃れられることはできません。

なぜなら、「それが生きる事」だからなのです。

苦しみから逃れたいがために死を選ぶ人もいます。

それもその人の生き方であったのかもしれません。

しかし、なぜ生まれてきたのでしょう。

生物学的には種の繁栄と保存の為でしょう。

なぜ生物は生存し種を繁栄させ種を残そうとするのでしょうか?

地球に生まれたからなのです。

地球は一つの生命体

地球の環境バランスを保つため地球自身が様々な生物を作り出したのです。

生態系のバランスは崩れやすいとは言いますが、崩れたその先にまたバランスが保たれるようにできているのです。

自然災害がある理由は?

地球がバランスを保とうとしているのです。それに巻き込まれるかどうか?

温暖化が叫ばれていますが億単位の地球歴史レベルでみたら何度も温暖化、寒冷化は繰り返されていたのです。そのたび生物も退化、進化を繰り返してきたのです。

すべては均衡を保つため

新型コロナウィルスが流行りましたが、コロナウィルスというもともといた生物が進化したのです。これは人類が繁栄してきた過程と同じ。

ただの地球環境での生存競争なのです。

ここまで読んで何を思いましたか?

そう、キリがないのです。書いててキリがないです。

人の苦しみは人が生存競争の進化で得た代償なのです。

つまりは地球の活動、環境の一部であるのではないでしょうか?

どうしようもないのです。

もう一度言います。

どうしようもないのです。


つまりは、「それが生きる事」だからなのです。

赤子がこの世に誕生した瞬間「おぎゃー!」ととりあえず泣きますよね。

生きる苦しみが始まった最初の苦しみの叫びなのです。

仏教での考え方がzekkaiには納得でした。

・人生は思い通りにならないものだと覚悟する
・すべては移り変わり永遠はない
・すべては繋がりの中で変化していく
・期待や結果に惑わされず、なんとなくさとる


苦しみがあるからこそ、人生は小さな喜びがより輝き「シャイニング」するのです。
人生いつか終わりが来る。誰にでも。
だったら、思う存分人目を気にせず自由に好きに楽しみませんか?
ありのままを受け入れ、「そんなもんだ」と受け流す。


zekkaiは神社仏閣でお参りするときはいつも
心の平穏を祈ります。

ぜひ参考になればと思います。
ここまでご覧になってくださりありがとうございました。



「これから起こることすべてに対し心が平穏でありますように」

「関わる世の中の人々の心が平穏でありますように」


zekkai












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