持続可能性のためにすべきこと -自然の摂理単元の予習-
持続可能性のために私たちは何をすべきか?
今回の事前に出された問いは、「持続可能性のために、わたしたちは何をすべきか?」だ。
この問いを見た時に、色々なことが思い浮かんだ。
まずは、プラスチックに依存した生活からの脱却。
プラスチックを使った製品は、生活にありふれていて、ぱっと思いつきやすかったのだろうと思う。
プラスチックをゼロにした生活…
考えただけで壮絶だよなぁ。
じゃあ、スパーに買い物しに行くとする。
プラの包装が使われてない商品の方が少ないのではないんじゃないかな?
野菜や果物でさえ、たいてい個包装してくれている。
こう考えると過剰包装だなぁと思ったり、プラスチック多すぎるなぁ!と気づかされたり…
ペットボトルはもちろん、お肉なんかに使ってあるトレーは回収箱に入れないと、どんどんマズいことになるだろうなぁ。
(これからもリサイクルを続けよう、と固く決意し直す)
これ以上、増やさない。資源は循環させる。
そもそも包装などの素材も含めたデザインを変える。
プロダクトデザインも、見た目だけの話だけじゃない時代なんだろうなぁ。
自分の生活をふりかえってみる。
さすがに大学で、環境・経済・社会について学んでいるだけあって何もしてないわけじゃない。
・マイボトル、マイストロー(ガラス)
・リサイクルプラマーク付きのプラはリサイクルへ
・移動は徒歩か公共交通機関
・地元食材、国産、有機JAS、FSC認証、フェアトレードマーク付きの商品を買う
・生産過程が怪しいアパレルは買わない
・スキンケア用品は手作り
うーん、本当に効果あるのかわからない。もう一回、調べ直してみよう。
こういう生活をするのは、環境のためでもあるけど、純粋にそっちの方が自分にとって「いい」からっていう方が強い。
経済原理に乗せるんだから、単なる善意だけじゃなくて、そっちの方が「便利」とか「得する」と思わせるのは大事なんだろうなぁ。
自分が使っているもの。その裏で誰かが泣いていたら、いい気持ちしない。
クリアであってほしい。
こういうのは、高校時代にお話を聞いた中村暖さんに影響を受けてるよなぁ。
すべきことはたくさんあるんだ。
それをいかに行動に移せるか、移してもらうか。
ひとりひとりの心がけ、で大きく社会が変わるとは思えない。
やっぱり、社会構造からのアプローチは必要だよねぇ。
でも、上からの運動で生まれた成果物って、どのくらい大事にしようと思えるんだろう?
環境権の確立のように、下からの動きで手に入れた権利の方が大事にしようと思いやすそう。
もっとも、あたりまえにその権利がある『最近の人』はピンと来ないかもしれないけども。
「そもそも、ソレはなぜ必要なのか」を知ってる人は、つよい。
(つよいでいいのか?)
あ、あと。
考え方の問題なんじゃないか?と思うこともある。
例えば、ストローってそんな必要なのかな?普通にコップで水飲むじゃん。
野菜とかマルシェみたいに、バーと置いてマイバックに入れるしくみじゃダメなのかな?
とか。
残したいと思える現在を
「ダメになってもしょうがないんじゃない?」
「正直、どうでもいい」
そんな風な声があるのも、わかってしまう。
自業自得だよねって、未来のことなんか考えられないって。
現在が幸せじゃないのかなぁ
こんな世界残したって仕方ないって思うからかなぁ
この状況をもっとマシにしてから次の人たちに渡したいということと同じくらい、
残したいと思える現在をつくりたいと思う。
このあとに、もっと具体的な話をすべきだと思うし、美術好きとしてはアートの視点からこの問について考えて、言語化したいことがある。
それについては、自己満足かもしれないけど今後、書き足すと思う!
それまで少々お待ちください。
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