世界のベストセラー『幸せなひとりぼっち』は、オーヴェという架空の中年偏屈男のキャラクター設定から始まった。
『オットーという男』の原作が『幸せなひとりぼっち』だと知り、読んでみた。
著者は、1981年生まれのフレドリック・バックマン。彼が、偏屈で頑固な中年男のエピソードをオーヴェという架空のキャラクターを創造して人気ブロガーになり、またまたそれを長編小説に仕立てたのがこれ。
成り立ちから興味を惹くじゃありませんか。
訳者あとがきを読んで知ったのだけれど。(笑)
『オットーという男』は、良くできた映画だと思ったけれど、原作を読んでさらにオットー=オーヴェについて深く知ることができた。
著者本人が「父のロルフ・パックマンへ。僕はあなたと最大限違わない人間でいたいと想っています」と謝辞を捧げているように、自分をつくってくれた父への伝えきれない感謝がひとつの軸になってた。
オットー=オーヴェという男がどのようにしてその人格を形成していったのか?という映画では描いていなかった部分も丁寧に描写されてる。
映画レビューを見ると、オットー=オーヴェという男が、不釣り合いとも思われるとても素敵な妻ソーニャのハートをどう射止めたのか?と思う人もたくさんいたらしい。確かに。
蓼食う虫も好きずきでは、真面目な人やソーニャのような人に出会った経験のない人を納得させられない。
この疑問も原作を読むと同じように解消される。彼女の生い立ちや考え方もちゃんと描かれてる。
ほぼ、オットー=オーヴェと同じ年齢の自分からすると、結晶化されたキャラクターなので100%の共感はなくても、オットー=オーヴェ、きみの気持ちはわかるくらいのシンパシーが随所に出てくる。
この時代に生きて、変えて良いもの、変えてはいけないものを選ぶことは実は骨の折れること。
いまや、効率重視の世界、瞬間で決めろと追い立てられるような時代。そして、その規準はほぼ自分にとっての損得勘定。そこに他者との利害が絡んでくる。こんな世界に誰がした。(笑)
迷いがないオットー=オーヴェの行動は現代の風潮への釘の一刺し、アンチテーゼ。
けれども、いまこの時とまったく相容れないのでは生きづらくてしょうがない。
「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」
漱石の頃から変わってないかも知らんけど。
とすれば、頼るのは未来。じいさんになれば、穏やかになるのは次の世代に託せる気持ちになれるから。孫たちは、気難しいじいさんが掘った深い溝を軽々と飛び越えてくる。
そんな場面が微笑ましい。こんな世界に愛想を尽かしていても、大切な子どもたちがこれから生き抜いて行く世界だと思えばネガティブな考えも一旦は止まる。
物語の中で越境してくる人は、いつだってストレンジャー。隣に引っ越してくるバルヴァネは映画も小説も素敵。あら、自分の趣味にも気づく。(笑)
彼女は、オットー=オーヴェが未だかつてあったことのない人種。けれども、彼の中で変化が起きた時、その人がかつて出会ったあの人だと気づく。
そうだよ。自分のことを教えてくれる人は姿を変えて何度も目の前に現れてくれるんだよ、と読了して合点がいった。オットー=オーヴェが持っていたのはビッグハート。
自分の与えられた役割を終えなければ、神様からまだ生きてろー、とお許しが出ない物語だった。
もっと容赦がないのが、現実だと知ってはいるが、だからこそ物語の中で遊ぶことも必要だろう。
『オットーの男』見たときにも、逝く前に宿題終わらせられるかな、とつぶやいてみたが、眼の前のことを精いっぱいやって一日を終わらせることが、実は幸せの鍵なのだろうと何の変哲もない結論に至る。(笑)