ルックバックしてみた。誰でもそのひと固有の物語を生きている。
まさにルックバックだったよ!
背中を追い続ける、追われ続ける、光と影みたいにかけがえのないものの話だったね。京本が言ってたように、1人でも生きられるし作品は創れるんだろうけど、お互いの存在が唯一無二過ぎて良かったわ
、と娘からメールが来た。
二人では見に行けなかったけれど、その後に見て感想をくれた。
ちょっと原作も読んでみようという気になったので、アマゾンをポチッとして漫画を購入した。
映画をぎゅっと凝縮したストーリーが迫ってきた。小冊子のような本に大切なことが詰まってる。
藤野と京本の表わす二つの人格の交差を描くことで世界に奥行きを持たせる話。
世代を超えて、共感を呼ぶのは、「純粋に好きなものへの憧れが、導いていくれる場所について想いを馳せられること」「熱中できるもの(こと)が、自分自身と=(イコール)になるときに起こること」「自分で創り出したものが人に届くことで初めて作品となること、その喜びや力」などなどが知らず知らずのうちに心の隅々に響き渡るからだろう。
自分をルックバックしてみる。
私は、すでに十分な距離を歩いてきた。辿り着いているこの場所は、自分の好きなことを見つけ、それを生業とすることでお金を頂戴し命をつないでいることに気づく。
二十歳の頃だったか、やんちゃな飲んだくれのタクシー運転手の叔父さんが酔っぱらって説教をしてきた。
「いいか、お前。仕事に惚れろよ。惚れた仕事をするほど良いもんはないぞ」
まったくの昭和エピソードだが、芯はついてる。
学生時分に倫理学の授業でサルトルの提唱したアンガジューマンについて熱く語られたガラルダ先生を思い出す。神父さまはスペインから来られたので、アンガジェと発音されていた。私の学生時代は、とうに熱き政治の季節は終わっていたが対象は政治とは限らない。自己投企して自由に生きる実践をしてる人に会って自分を高めたいという気持ちに駆られたものだった。考えてみれば神父という生き方はそのものズバリであるわけだが。そんな熱病のような気持ちは、長続きはしないのだけれど、頭の片隅には生き残ってる。
振り返れば、これまで何人か実際にそのような気質の人と出会ってきた。みな、社会にコミットしながらも世界の中心よりは周縁にいる人こそを大事にする人たちだった。その方たちとの交流を通じて自分が惹きつけられるものは何かを知った。
師匠もその中の一人だ。「人は人の中で生きてこそ人になる」が信条としていた言葉。若い頃、重度の障害を持つ人たちが人里離れた施設の一室で暮らしその生涯を閉じることを目の当たりにして「これは違う。違ってなければおかしい」と強く感じたことが一生をこの仕事に賭ける契機になった、とよく語っておられた。重度の障がいを持つ人たちとその家族がふつうに地域でみんなと暮らせることを実現することにその人生を賭けた。そして、どんなに重い障がいを持っても当たり前のように外に出かけてそれが日常の光景になっている地域をつくった。その現場のそばにいられたことは私にとってもかけがえのないことだった。
ホントに言行が一致してる方だなぁと思うのは、齢80歳を超え、一緒に歩いてきた障がいのある方のお父さんやお母さんたちとは専門職とその家族という関係を超えて長年共に歩いてきた同志になり、いまや真実の親友となっている。その生き様は凄いこと!そして、その実践は、彼女の語りとともに日本の各地に伝えられ今も芽吹いている。
ひとつの物語は、良い聴き手があれば次の物語を産むことさえあることを知った。「人はひとの中で生きてこそ人になる」という言葉は、すべての人がそのひと固有の物語の作り手であるとしたならば、必ずや聞き手を必要とすることにもつながる。だって、聞き手がいなければ、語り手の言葉は闇に消えてしまうのだから。
ルックバックに帰ろう。
一見すれば漫画とソーシャルワークはかけ離れた仕事のようだけれど、架け橋となる定義があることに気づいた。社会福祉学者バワーズ曰く「ソーシャルワークは、人と人とをつなぐアートである」
アートを訳すとストレートに芸術と取るよりも工芸などの技芸に近いニュアンスらしい。漫画にも「人と人とをつなぐアート」であるという側面がある。漫画は、作者とファンを!作品とそのひとりひとりの読み手の固有の物語をつなぐアートである、と言い換えられそうだから。ようやくその近親性に思いが至って、自分の中に響いた音の根っこを理解できた。
すべての人が、かけがえのないそのひと固有の物語を自由に生きられる世界であれ!と想う。