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『ツインピークス』 Every family has a skeleton in the cupboard. 狭い世界の中に閉じ込められた善と悪の物語

久しぶりに『ツインピークス』を通しで観た。TSUTAYAレンタルの最盛期に観たので25年以上も前の話。通しで24時間以上らしいけど、中毒性がある作品なので最後まで飽きなかった。流石!デビッド・リンチ。ツインピークスという狭隘な街の閉じられた世界の中で蠢く善と悪。善よりも悪が跋扈している世界。際どい話のオンパレードであるが、誰のこともとことんまで憎めないように描かれている。ローラ・パーマーの遺体が発見されて哀しみに街が沈むシーンが、この世界の色調を決める。町の住民すべてが、悪の世界に誘わられ、生贄にされてしまった彼女を愛していたことがわかる。そして、皆この世界も愛してる。当時、最もきれいな死体などと言われていたローラ・パーマの死体。つまりは善なるものとして描かれていたのだと思う。善なるものが葬られ、皆大きな衝撃を受けるものの、誰も強い怒りに駆られることはなく、もののあわれとでも言いたくなるような、なんとはなしの哀しみが街に溢れ出す。誰の中にも巣食う小さな悪。その悪には簡単に抗えないことを知っているからこその諦観があり、ローラの死を悼むことしかできないのだろう。

          ☆

そこに異邦人であり正邪を区別せんとする世界からの使者クーパーが現れ、情熱を持ちながらも淡々と捜査を進めていくが、謎が謎を呼び簡単にその本質には辿り着けない。彼はツインピークス(土地の持つ神話に根ざした世界)に住む仲間たちに囲まれ、FBI(現代の科学を善とする世界)の力も借りながら粘り強く闘いを挑むが壁にぶち当たるばかり。そして、次第にこの街の優しさに包まれて、住人になってしまう。

リンチの描く世界は数多の珍奇な人たちが常識を外したおかしな事をしている。それは、人間の持つ生来の弱さをあくまでも肯定しているからこそ描ける場面にも見える。ロングショットで見れば人のやることは大抵が愚かで滑稽なものだから。ところどころに挿入されるエピソードの数々に救いがある。煎じ詰めれば人の行いは善きも悪きも大差はない。格好をつけても一皮剝けば本能が命じる行動に操られてしまう。まあまあ同感する。

初見では赤のカーテンの世界まででしか見てなかったと思う。今回、初めて最後まで見た。なるほどと思わせるラストシーンだった。水戸黄門のような勧善懲悪の世界とはかけ離れていたわ。当時このドラマがアメリカならず日本にも熱狂を呼び起こしたことが改めて興味深くなった。

全編を見終えて
Every family has a skeleton in the cupboard.(どの家庭の戸棚にも骸骨が潜んでいる)なんて慣用句が唐突に浮かんだ

名家にも平凡な家庭にもドクロがひとつは戸棚に入ってるよ。怖っ。どんな人も矛盾の中で生きてるのが真実。戸棚には愛も入ってる。

ローラから「25年後に会いましょう」とのお言葉も頂戴してるので「ツインピークス リミテッド」も続けて見ようっと。

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