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多様性について

2024年も終わりなんですね…早かった。
昨年から多様性のことを考えています。
特にトランスジェンダー問題では、当事者ですら対立するトイレ、風呂問題について答えがでませんでした。情報が色々見えるようになり、景気も良くなく人々の心に余裕がないので対立が深まっている感じにも危惧を抱いています。
しかし先日、一つ自分の価値観の基準がずらせると気づいた事について書きます。

私が尊敬する方の1人に熊谷晋一郎さんという方が居ます。

娘にはどうやら特性があるので、彼の言うところの「自立」を目指したいな、娘には沢山の人に「助けて」と言える関係性を築く術を会得させたいなと思っています。

彼の話の中の興味深い話に障害が人の表面にあるのか中にあるのか、それとも環境にあるのかというのがあります。
車椅子の人も環境が整っていて活動範囲に制限が無いなら車椅子であることは障害にならない。これもすごく衝撃も受けたんだけど、もっと衝撃を受けたのが当事者研究の話。

統合失調症は幻聴や幻覚を伴いしばしば社会生活から逸脱してしまいがち。それの当事者研究の話が興味深くて、患者本人が幻覚と向き合い周りもそれに理解をしようとし、最終的に戦っていた幻覚(上の相手)と和解に至り社会復帰を果たしたそうです。(興味があれば熊谷先生の書籍などをご覧ください)
幻聴や幻覚が消えなくてもそれとうまくやっていける関係性なら社会生活は営める、というの希望が持てませんか?

多様性ってそれぞれで良いよね?誰かの利を優先するために誰かが我慢することじゃないよね?って思った時になかなかそれは難しいことだけど、先の話を思い出すといけるかも?とも思う。

私は、陰謀論を信じる人と仲良くしたいとは思わないけど、別に彼らがそれを信じていても自分が困るかといったらそうでもない。そういう意味では、幻覚が見えてる人もお化けが見える人も別に居ても自分は困らないな、許容出来ると思った。(それよりかは反ワクチンで病気を持ってくる可能性の高い人のほうが怖い)

自分の中にもバイアスはあって“こうあるべき”はあるんだけど、来年はもう少しその“べき”で自分や周りにどういう影響があるのか、大してないなら許容してみようかな、と思った次第。

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