自己紹介
空々漠々たるこのインターネットの世界で、本ページに辿り着いてくださって、ありがとうございます。
リンク踏むのも他生の縁、ということで。
素性・略歴
私、うちだあつこと申します。
高校の国語教員を務めております。
国語、特に古典を愛するようになったきっかけは、高校生の時、教科書で出逢った紀貫之の一首、
桜花散りぬる風の名残りには
水無き空に波ぞ立ちける
と、『伊勢物語』筒井筒の章段に出てくる、
風吹けば沖つ白波たつた山夜半にや君が
独り越ゆらむ
で、和歌の世界に夢中になってしまいました。
(これらの歌が如何に素敵か、についてはまた稿を改めて、いずれ。)
大学では念願の国文学専攻へ。学内には当時西日本最大級?の立派な図書館があり、小島憲之氏の蔵書を収める貴重書庫に出入りもできるという夢のような環境で、ぬくぬくと四年間を過ごし、さらに二年延長、修士をおさめた後も飽き足らずさらに三年―
課金、はしましたが、努力能力の不足にようやく気付き、あえなく退学を決めました。
今は夫の生地である東海地方に在って、色々と思う所もあるのですが、かえって国文学への情熱が強まっているのを感じます。単に年を取ったのもあるのかもしれませんが。
今後の目標
不惑を前にしての目標は、生きている間に貫之の和歌の良さを論文の形で説明すること。田舎での在野研究は障害が多いですが、ネット上の情報が助けになる時代、できることをこつこつ究めながら、その方法についてもシェアしたいと思います。研究余滴、というほど大それたものではないですが、何かそのようなものを自身の備忘録として、言語化して残したい。
あと、大学(院)の「国文あるある」とか、自作の短歌とか、貫之の生涯について小説的に書けるといいな、など。
飽き性なので心配ですが、断続的に続けられたらと思っています。どうか宜しくお願いします。
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追記
プロフィールに引用した文言について。
「じょくせのこと、かくのごとし。ちょうたいそくすべきなり」と読みます。
※厳密には目崎徳衛『紀貫之』からの孫引きです、いつか原典にも当たりたいです…。
「阿衡の紛議」でへそを曲げた基経のご機嫌取りに奔走して、思わずこぼされた宇多天皇の愚痴の一言です。人間味があって、しかも現代人にとっても汎用性の高いフレーズで、好きです。
何か理不尽なことがあったときは、ぜひ呟いて、長大息してみてください(あんまり大袈裟にやると見咎められるので、ふーーーぅ、くらいがおすすめ)。1000年以上前から人間って変わらんなあ…、と思えて、眼の前の事がちっちゃく見えてくるかも!?
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