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『ジェーン・エア』読了

ヴィクトリア朝時代のイギリス、荒涼たる丘に生い乱れるヒースとゴツゴーシュンギクの群れ(でもちゃんと面白い)

ブロンテ姉妹の作品は、15年ほど前に読んだ『嵐が丘』以来で、ずっと読みたかった長女・シャーロットの名作。継子いじめ+貴種流離譚+同性への憧れや友情+格差ラブロマンス+クリーチャーホラー、って感じのごった煮ストーリーで、首軸の恋愛話を演出するために所々不自然な構成となっている。伏線の張り方も大雑把で、むしろ微笑ましいくらい。それでもどこかで筋運びに納得させられるのは、ジェーンの心内描写の細やかさのおかげ。おそらく作者自身の投影なのであろうが、清新で捻くれ者の人物造型が完璧で、その心情変化への解像度が半端なく、とてつもない精度で言語化されているから、「まあ、そういう行動に出るのもありえなくはないか…?」と、最終的に説き伏せられてしまう。
『ドラえもん のび太のアニマル惑星』に、「ゴツゴーシュンギク」(厳密には、その草のエキスを抽出して作った「ツキの月」)というひみつ道具が登場する。これを口にしたのび太はあれよあれよと都合の良いストーリー展開で目的の探し物を発見するのであるが、『ジェーン・エア』はゴツゴーシュンギクの大草原と言ってもよい。というか、ヴィクトリア朝文学は大なり小なりゴツゴーシュンギクが生え散らかしているものである。貧しくていびられる主人公は大概貴い生まれで、最後には莫大な遺産を手に入れて大成功、恋人とも結ばれて、ついでに周囲の縁者友人も幸せになって大団円を迎える。ベタだけど、私は結構これが好き。『オリヴァ・ツイスト』とか最初の方可哀想で読んでられないけど、最後に幸せになるんでしょ、という心理的安全があったから読み通せたわけだし。
さて、こういうご都合主義の構成で運ぶ場合、作品の面白さは専ら文章の巧さに依存することになる。結局、ディケンズもコリンズもブロンテ長女も、圧倒的な筆力で殴りかかってくる部分が大きいと思う。翻訳でもそれが感じられるんだから、原著はもっとすごいんだろうな。いいな。英語読めたら楽しいんだろうな。
というわけできちんと面白かったけど、とにかく甘ぁくて重ぉかったな。やっぱりコリンズが軽くて楽しくて好き。20年ぶりくらいに『白衣の女』再読しようかなあ。


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