『背くらべ』を歌ってみた!
5月5日。こどもの日。
昔は『端午の節句』。
昨日娘のピアノ伴奏で『背くらべ』を歌ってみた。
大正8年(1919年)に海野厚『本名厚一』が作詞
大正12年(1923年)中山晋平が作曲した。
海野は静岡市出身。早稲田大学時代から童謡作詞家として認められた。
静岡の素封家の6人兄弟の長男。一番下の弟春樹とは17歳違い。
この『背くらべ』は厚が23歳の時の作品だからその時春樹は6歳ということになる。それゆえ『富士山』が2番の歌詞の最後に登場するのだ。
『柱のきずはおととしの五月五日』とあるが
去年は厚が故郷静岡に帰省できなかったのだ。一説には『結核闘病』のゆえとも言われている。
厚は期待されながらも28歳の若さで他界した。弟春樹は11歳ということになる。一般庶民の家ではなかなか『羽織』は着られなかったろう。
この楽曲は『羽織』を着て男子の節句を祝い、『ちまき』を食べながら兄弟
で『背くらべ』をしている『微笑ましい風景』が目に浮かぶが、実際は『悩みや不安』を心に抱えながら『背くらべ』する兄弟の『切なさ』が浮かんでくる。
『海野家』はその後『没落』したという。
『背くらべ』の歌碑だけは生家の後地に残っているらしい。
私にも昔『背くらべ』をした弟が二人いた。二人とも死んだ。
明日は『こどもの日』『菖蒲湯』にでも入るとしようか!
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