Michael Jacksonと私
死ぬまでにやりたいことの一つめが
Michael Jacksonの研究
だった私。
彼のことが大好きなのである。
大学生時代、初めて自分が好きだと言えるものに
出会えた。
最初は彼のパフォーマンスに魅せられ、歌唱力にハートを撃ち抜かれたが、最終的には「なんて面白い人なんだろう!」という尽きない人間的魅力に取り憑かれてしまった。彼が単なるミュージシャンではなく、人物として非常にユニークで面白いと感じるようになった。
彼はKING of Popと呼ばれもしたけれど、そんな枠を遥かに超えて、人種、性別、宗教、文化、時代をも超えて異彩を放つ存在として私の中に刻み込まれた。
その感動を周りの人に伝えたくて、そして世間に誤解されまくっているマイケルのイメージを覆したくて、とにかく彼のパフォーマンスを見ろとDVDを見せながら解説をしたりもしていた。
そうだ、これからまたマイケルの研究をもっと深めたい!
癌の手術を終えひとまず3年生き延びようと決めた私は、再燃した知的好奇心の欲求に突き動かされるように図書館で久しぶりにマイケルに関する本を借りた。
その中に運命の一冊があった。
安冨歩著 『マイケル・ジャクソンの思想』
これを読んだ時に、とにかくびっくりたまげてしまった。私が今まで何となく感じてはいたけど言語化できていなかったことが、非常に論理的にまとめらていたからだ。
マイケルは救世主
そこまで言い切った人がいただろうか。
大学生の私はマイケルのDVDを友達に見せながら彼の素晴らしさを熱く語っていたのだが、股間を掴むパフォーマンスのところだけは唯一ドギマギしたものだった。
なんか、エロいね
という感想に何と答えていいかわからなかった。
でもね、股間を掴んで「ポゥ!」って言うのは外面的な表現なだけであって…それが本質な訳ではないんだけどなぁ…
そういうモヤモヤとした思いがあったけれど、安冨さんによってはっきりと客観的視点から論理的に解説してもらえたことで、その漠然とした思いが確信に変わった。
マイケルは核心的なメッセージを届けるために敢えて股間を掴んでいたのだと!
そして今回の出来事
私が病気になったこと = JAM(滞る、詰まる、立ち止まる)したということ
これに気づくことができた。
システムの歯車になってはいけない。自分の本当にやりたいことをやる、それは自分にしかわからない。傷ついた自分を癒すこと、その方法は自分の子ども時代を見つめることから始まる。
マイケルのメッセージは一貫している。
無意識レベルに訴えかけるマイケルのパフォーマンスは、英語力のない私のような存在にもしっかりとそのメッセージをもって届けられていたのである。
全世界の人々がマイケルのコンサートで熱狂し、涙し、失神するあの様は誇張でもなんでもなくこの歴史上に起こった奇跡だった。そしてそれは彼の死後もなお愛の力を持って私たちに届けられている。
まさに救世主!
これを救世主と言わずして何を救世主というのか!
とにかく安冨歩さんに感謝です。
(そして読み終えてからは、安冨さん自身の面白さにもハマってしまっています)
多くの人に『マイケル・ジャクソンの思想』を読んでほしい!
人生において大事なことに気付かされます。
そしてマイケル、本当に面白い人だと思う。
私の中では宮沢賢治に匹敵する詩人であり、南方熊楠に匹敵する研究者であり
顔とかテンション高いけどシャイなところはさかなクンそっくりだなぁと思ったりしている。
私の興味ある人を全部足したみたいな、とにかく魅力的な人。
そんなマイケルをこれからも深掘りしていきたい。