我が家の家族の形
今の私の暮らしは3人家族
長男 23歳 発達障害
次男 17歳 通信高校2年生
母(私)そろそろ50歳 人生模索中
住民票が3人になったのは2年前
そのずーと前から3人だったようなものでした。
いつからだったかな…
普通(普通って何とも思うけど)小学生の運動会って
お重のお弁当を囲んで家族が集まるイメージですよね
しかしそれは次男が小学3年生まででした。
地域の学校は生徒数が多くて場所取りも必要。
運動会の朝は母がお弁当作り、父は場所取りに手分けして早朝から大忙し
4年生だったかと思いますが、父親が不在の為に場所取りが出来ないのなら食事をとる場所がないと困るので先輩母友から学校そばのラーメン屋で昼食をとってると聞いたので実行!いつもなら長男もお昼時に小学校に顔を出すのですがそれも難しい心理状態だったので私と次男はラーメンで昼食
次男は以外にお気に入りで定番となりました。
中学もこれが通用すると思ってたら外出禁止令があることを当日に聞き
長男を緊急呼び出しでコンビニに走りました(;''∀'')
その頃には、基本的にはお盆、クリスマス、正月も3人
私もエッセンシャルワーカーだったので子どもたちは留守番も当たり前でした。時には子ども達は田舎へ冒険として列車旅行も良い思い出です。
そんな時、私は一人の時間を満喫するのでした。
世間の家族が集まるタイミングに父親がいないのはいつからか当然になってました。
その始まりは、東北の地震後くらいだったのかもです。
その頃に関西に住んでいたので父親の出張は頻繁にありました。
なんとか、父親の仕事を調整してもらって学校行事に参加してもらってましたがそれが叶わなくなり私はプチ家出もしたことあります。
その頃には長男も反抗期真っ最中で力ずくでねじ伏せる父親との距離に亀裂が出て来てたのかもしれません。(力ずくと言っても言葉ですけどね。)
この力ずくの言葉はASDの長男には暴力としか受け取れません。
体育会系の精神論を振りかざすのです。
私は体育会系ではないですが、少なからず精神論的な発言で反省点です。
長男が中3、次男が小2で引越した頃からは出張も長期が多くなりました。
子ども達はたまにしか帰ってこないので『お客様対応』となります。
在宅期間だけ父親が機嫌よく過ごせるようにしてました。
長男はすぐに自室に篭りましたけど。
次男はしたくない愛想を振り撒き在宅期間をやり過ごしてました。
後に父親を全否定することになります。
私は子ども達が居心地の悪い思いをさせていることに気が付かない父親への
苛立ちが余計に『お客様対応』になりました。
それが気に入らない父親は家に帰って来ても不満をぶちまけるようになりました。気に入らない返答をすると「お前たちの為に外で稼いでいる」と
階段やドアの開閉が荒くなり、自室に入ると悪態を大声で叫ぶ
時には家を出て外でも家の物を投げたりしていたようです。
一晩中車の中でエンジンかけて過ごす事もあり近所から通報されないか心配したこともありました。(父親も会社でも大変な状況だったようです。)
そんな時、子ども達は震えてました。
結果、不登校、半引きこもりで子ども2人が昼間家で過ごす生活でした。
(生活リズムを最低限崩さない為にリビングと続きの和室で
家族3人で過ごしてました。)
なんとか、長男の就労支援、次男の他校通級が決まると各自で公共交通機関で動くのが必須になったので私は思い切って引越しを決意しました。
(父親も遠方に単身赴任勤務だったのでここしかないと…)
そうして、家族3人の静かな生活は始まりました。
本当に静かですよ( ´艸`) 子ども達はそれぞれ好きな事をして過ごします。
食事も決まった時間には出来上がりますが、好きな時間、自室で食べます。
音楽や動画はイヤホンで楽しむ、家族で和やかに話すことはありません。
話し合いをしないといけない事はそれぞれと私が話します。
言葉を荒げることは、ほぼなく淡々と進みます。
いくつかの選択肢を提案して本人が決めるからでしょうか。
あったかい家族とは程遠いかもしれませんがそれぞれが家が一番くつろげると思ってるはずです(そう思ってるのは私だけかもしれません)
子ども達は自分で自由に使えるお金が僅かなので仕方なく家に居るのかもしれません。
それでも、外に興味はあまりありません。
私の若いころのように友達の家に入り浸るとかないです。
いつまでこの形が続くのか分かりません。
少なくても、今では誰かに怯えることもありません。
この生活を保てますように。。。
最後まで長々ご覧いただきありがとうございます。