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ターゲット設定の前に、自分の声を大切にする理由

  • この1ヶ月noteの記事を書いてみて、アクセセス状況などをみてふわっと分析。私が、誰かの役に立つといいな、と思って書いた記事より、体験談や感情を吐露したようなそういう記事の方がよく読まれているようだ。

  • それに関連して?最近気になる事に、商品設計がある。ペルソナ、ターゲットを身近な人に設定して、その人の困り事の中で自分の中で提供できるものを探してそれを商品とする、というアプローチについて。

  • 実際、私が資料作成というサービスを思いついたのは、今振り返ってみるとそのアプローチに乗っかっている。上司に日頃から頼まれていたことが、そのままこれ仕事になってるじゃ〜ん、と気がついたこと。

  • 片づけコンサルタントを目指していた時、仕組み化デザインで教わったように、もちろんそのアプローチで取り組んだ。だけど全然手応えがなかった。なので私は結果的にそのアプローチは自分には合っていないのではないかと思った。

  • こんまり流片付けコンサルタントのモニターレッスンというのは、ルールが厳しく縛られているので、商品設計できる部分は限られる。商品そのものをいじることはできないので、どうやってターゲットにサービスを伝えるかという部分とかそういうところのみ。

  • 原因はそこに合ったのかもしれない。そういう場合はこのアプローチは向いていないかもしれない。私はペルソナとして私の母親を設定したが、母の困り事を私なりに妄想したり、聞いてみたりしたが、結論として母は大金を払ってまでも片づけをして現状を変えたいとそもそも思っていなかった。

  • 売りたい商品が先に出来上がっている場合、身近な人をターゲットに置くことは難しい。運良くいればいいけど、いなかったときのアプローチはどうしたらいい?

  • 全然違うアプローチとして、私自身を曝け出す、というアプローチがある。ここまで果たしてきたアプローチが他人本位だとすると、このアプローチは自分本位のアプローチ。これは私がnoteでやり始めたこと、やろうと思っていることに近いのかもしれない。

  • 自分自身を曝け出すこと。自分の中でやりたい方向性が見えるまで素直に正直に自分自身と向き合う。向き合っている過程を発信すること。自分が好きなものを作っている。そこに同調してくれる人が集まってくれる、というのが自分本位アプローチ。

  • 自分のやりたい方向性が見え、提供したい商品が自分の中で形になってきたら、ターゲットやペルソナを商品を明確に作っていくために設定する。AIに「こういう商品を作りたいと思っている。ターゲットとペルソナを考えて」でもいい。具体的な例があれば、それが商品づくりの指針となる。

  • 他人が困っていることを見つける。そこに自分が持っているものから提供できるものを探す、というのが他人本位アプローチ。他人本位アプローチと自分本位アプローチのターゲットやペルソナの作り方は、似ているようで全然違う、と思う。

  • どちらのアプローチもタイミングによって、噛み合ったり噛み合わなかったりすると思う。アプローチはこれだけではなくて、もっとたくさんあるとも思う。

  • これが唯一の方法ですとは言わないけど、その方法がそのタイミングの時には合わないと感じていた私に「実際に私の方法で成功しているので(あなたの方法は間違っています)」というような・・・
    なんだろうな、いっさいこちらに歩み寄ってくれようとしないメンターのそぶりに腹を立てたりもした。

  • 私は自分本位アプローチが好きだ。人によって成功の定義は違うので、人によるのだろうが、少なくとも私は幸せでいられる仕事がしたい。

  • 商品がどれぐらいまで出来上がっているのか、可変部はどれぐらい残っているのかで、やり方を変えた方がいいと思う。というか、その点自分に向き合うというのは最強な気がする。商品がある程度出来上がっている段階で、他人の中に困り事を見つけようとすると、妄想の域を出ないというか。他人について妄想しても、それは都合のいい解釈なわけで。そこに時間をかける価値はないように思う。

  • こんな商品はどうかな?って思いつく段階では他人本位アプローチでOKなのかも?この商品を世の中にどう売り出すか、という段階まで来てたらそこはもう時間をかけて考えず、AIに頼ってサクッとペルソナモデルを作って、やってみる。

  • 実際にそんなペルソナが世の中に存在するかどうかで勝負するわけではない。仮説を立てて、実験をして、仮説が正しかったか、間違っていたかをはっきりさせるためだ。検証するために、フィードバックを得るために仮説を立てる=ペルソナモデルを作る 必要があるだけだ。

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