「どうする家康」第38回「唐入り」 秀吉にとり憑く狐は何匹いる? ~秀吉の老境の姿が家康の晩年を占う~
はじめに
今回の物語の軸は、朝鮮出兵をとおして栄華を極めたはずの秀吉が正気と狂気の狭間を行き来する、その老醜と暴走でした。
急激な老け込みを示す芝居とメイクによって、それまでの底知れない才覚が削ぎ落とされ、実は虚ろな秀吉の本性が際立つという構成が効いていました。勿論、これはムロツヨシさんが、笑っていても眼はガラス玉のように空虚という芝居を積み重ねてきたからこそです。ブレない人物造形で栄枯盛衰の矛盾をその身一つに抱え込む秀吉が印象に残りますね。
そんな秀吉とは対照的に、中身の充実を見せるのが家康です。彼は秀吉を従順に補佐しながらも、肝心なところでは命を賭して諫める家康は、その冷静な観察眼と鮮やかな振る舞いに目指すべき「戦無き世」への固い信念が見えます。この家康の充実は、前回の関東八州への移封で、家臣団との絆を改めて確かめ合ったこと、そして江戸の町づくりという戦とは真逆の生産的な活動がもたらしたのでしょう。
つまり家康は、三河家臣団の解体という危機すらも力に換えてしまったことが示されています。これができたのは、家康が家臣や女性たちや領民と真摯に向き合うことで少しずつ関係性を深めてきたからです。
そしてもう一点見逃せないのが、老いさばらえる秀吉と入れ替わるように輝き始めた茶々です。彼女は朝鮮出兵の裏側で、計算高さと奔放さの入り交じった言動で暗躍し、人の心を弄びます。
竹を割ったような性格と一途な思いがいじらしかったお市とは真逆の妖婦のごとき危うい振る舞いに振り切る北川景子さんの芝居が魅力的ですね。
このように三者三様が印象的に描かれた今回、家康と秀吉の対比はわかりやすい一方で、茶々の暗躍が秀吉の老醜と入れ替わって比重を増していく様は、秀吉は既に家康の真の敵ではなくなっていることを示しています。それでは、海道一の弓取りとして他大名からも一目を置かれるほどになった家康にとって、この名護屋城でのやり取りはどんな意味を持ってくるのでしょうか。
そこで今回は、秀吉の老いと暴走から見える孤独、そして茶々の扇動的な言動の裏にある心の闇から、家康が真の天下人になるために対峙すべきものは何かを考えてみましょう。
1.イエスマンばかりの名護屋城
(1)「瓜畑遊び」が象徴する豊臣政権の歪み
前回、印象的だった鶴松の死の衝撃でおかしくなった秀吉が「次は何を手に入れようかのう」と虚空に手を伸ばし、そんな彼から目を逸らす三成という場面が冒頭に挿入されます。今回は、このシーンの顛末として「唐入り」が語られることになります。「唐入り」を鶴松の死から始まる狂気とする見方は、林羅山『豊臣秀吉譜』など江戸時代からも主流をなしていましたが、本作では秀吉のみならず、彼に心酔する三成という人物の今後も暗示していることもポイントでしょう。
「唐入り」の道案内を拒絶した李氏朝鮮を攻める文禄の役が始まります。この大戦のため、何もなかった肥前名護屋に巨大な城郭を築き上げ、全国の大名をこの地に集結させます。戦役中の日本経済の中心は肥前名護屋城だったと言われるほどです。このこと一つをとっても、天下人、秀吉が栄華を極めていたと分かりますが、各大名が所領を離れた際に太閤検地も行っていて全く抜け目がありません。やはり、秀吉、恐るべしなのです。にもかかわらず、そこに滅びの匂いがつきまとうのが今回の物語なのです。
冒頭には、連戦連勝の報に湧く名護屋城の様子として『太閤記』などでも有名な「瓜畑遊び」という仮装大会が挿入されます。文禄・慶長の役では、参陣した大名たちの長期滞在による退屈をしのぐため、舟遊びや茶会などの催しを多く行っていて、この「瓜畑遊び」もそうしたものの一つです。秀吉の瓜売りは勿論、家康のあじか売り(竹かご売り)も記載どおりです。松本潤くんのあじか売り、結構、堂に入っていましたけど、実際、皆芸達者だったそうです。生死の境目にいる戦国大名とは花と実もある洒落っ気もないと務まらないのかもしれませんね。
ともあれ、「瓜畑遊び」は、戦場であろうとも、常に人を楽しませようとする秀吉の企画力や余裕や破天荒さを象徴するものとして描かれることが常です。ナレーションもこの仮装大会を秀吉の象徴と捉え、関白を甥の秀次に譲り、秀吉自らが太閤を名乗るようになったこととつなげ、その栄華が極まったとしました。
事実、秀次の関白就任は、豊臣家の世襲による権力の移譲、武家関白制の完成を意味しています。文禄という元号への改号も、これに合わせたのだとも言われていますから、ナレーションの言っていることは間違いではありません。
しかし、秀次の関白就任の裏には鶴松の死が横たわっています。秀吉は老齢です。鶴松の死は血を分けた嫡男への統治権の世襲を諦めさせるには十分だったでしょう。ですから、この武家関白制の完成、その裏側に豊臣家の切実な後継者事情と秀吉の落胆を読むこともできます。
神君家康の偉業を一面的に語ることが多々ある本作のナレーション、秀吉の栄華についても一面的に語っているように思われます。なにより「次なる野望は唐入り!」という講談調の決め台詞が、ナレーションの胡散臭さを醸し出していますね。
そうなると、鶴松の死から始まることが強調されている今回の「唐入り」では、先の「瓜畑遊び」も別の側面が見えてきそうです。イベントの終盤、秀吉は脇でそれを見て楽しんでいた茶々を呼び寄せ、その中心に据え彼女を勝利の女神と誉めそやし出します。あきらかにイベントの主旨からは外れていきますが、皆、秀吉に合わせます。結果、彼女を中心にすえ天女と祀りあげて盛り上げる形でイベントは終幕をむかえます(家康は多少、冷めた表情をしていますが)。
このことから、秀吉は、茶々の関心を買うためにこの催しをしたということが見えてきます。それはひいては、子を失った彼女を慰めることが、自身の空虚を慰めることにもつながるのではないでしょうか。
つまり、秀吉が企画したこのイベントに象徴されるように「唐入り」とは、鶴松の死でぽっかり空いた秀吉の胸のうちを埋めるものだと察せられます。そして、そういう中で女王のごとく祀られ、まんざらでもない茶々、秀吉におもねるばかりの諸大名が表現されていることが興味深いですね。滑稽な話であったはずの「瓜畑遊び」は、無謀な「唐入り」へ向かう豊臣政権の狂騒曲の体を成しているのです。
(2)「唐入り」計画の無謀さから見える1匹目の狐「老い」
オープニング後には朝鮮上陸(4/12)から1ヵ月が経ち、秀吉が諸将の前で秀吉が自身も朝鮮征伐のため、渡海する意向を示します(史実は5/16とされます)。この戦の実務一般を大谷刑部吉継と共に担当する三成は、一同を前に地図を広げ、朝鮮国王が逃亡した後の首都、漢城を陥落させたと遠征軍の破竹の勢いを意気揚々と語ります。
史実では、上陸から半月ほどで陥落したそうです。大活躍といってよいですが、日本ではあからさまな侵略戦争である朝鮮出兵の詳細はあまり映像化されることがありません。ただし、韓国時代劇では定番の題材です。「火の神ジョンイ」「ホジュン 伝説の心医」あたりを見ると、民を見捨てて逃げ出し、彼らから石を投げつけられる朝鮮国王、宣祖の逃避行が描かれ、いかに見苦しいものであったかがわかります。実際、宣祖は朝鮮国王の中でもその二代後の仁祖と1、2位を争うほど評価の低い王なのです(廃位された暴君、燕山君は除く)。
なんにせよ三成の弁では朝鮮全土の制圧は間近にしか見えませんから、秀吉が意気昂揚となるのも致し方ないところ。遠征の最大の目的はあくまで唐入り、明国の制圧にありますから「余の考えを言っておく」と次なる計画を尊大かつ滔々と語ります。
その考えの要点は、一つは年内には北京へ遷都し、後々は後陽成天皇に行幸してもらうこと、次にその後、自らは寧波へ隠居し、交通の要所であるこの地を大阪のような一大商業都市にすること、そして果ては天竺(インド)、南蛮までその支配地域を広げていくことの三つですが、遠大な夢物語のようなものであることは言うまでもありません。夢を語る秀吉の姿に、家康は異こそ唱えないものの、訝しむような難しい表情を崩しません。
しかし、困ったことにこれは、士気をあげるための与太話ではありませんでした。「組屋文書」「豊太閤三国処置太早計」といった史料に書かれていることで、秀吉自身は半ば以上本気だったのですね。今回の計画では寧波と天竺に触れられていたので「組屋文書」を特に参照したようです。
そして、秀吉は、「褒美は無限である」と大名一同に恩賞を保証し、「大いに励め!」と檄を飛ばします。が、これこそ捕らぬ狸の皮算用というものです。このとき、自信に溢れてはいるものの夢想家でしかない秀吉の発言を、頼もしげに笑みを浮かべて見つめる三成と、その脇でうつむき加減でいる大谷刑部と相反する反応をしているのが印象的ですね。
「常山紀談」には、秀吉の渡海の意向に「直ちに殿下のための舟を造ります」と言ったとの逸話があります。信憑性のない逸話の類ですが、三成の秀吉に対する盲目的な献身がよく知られていたことを示すものではあるでしょう。しかし、刑部はもう少し現実を見ているようです。戦の実情を知っている彼には、秀吉の計画の不可能性が見えている。でも、同僚の三成が追随している以上、異を唱えることもできず、黙るしかできないのです。
三成の語る順調な戦況、秀吉の遠大な計画を前に諸将たちは色めき立つように喝采のおだをあげます。しかし、その座を裂くように「どうかしておる!」と一喝の声が響きます。一同から離れたところに静かに座っていた浅野長政です。寧々の義弟でもある浅野長政は、秀吉とは義兄弟の関係、最も近い縁者で、三成と同じく五奉行の一人として重責も担っています。
秀長亡き今、一門の最年長の彼をして、いや、義弟の彼だからこそ、その無謀な妄想に猛然と抗議したのでしょう。彼は「正気の沙汰とは思えませぬ。バカげた戦じゃ」と続けます。この発言に驚く一同の中で大谷刑部一人だけが「ですよね」みたいな表情をしていて、秀吉&三成と現場の板ばさみになっている彼の心中が察せられます(苦笑)この気苦労は、彼の最期までつきまとうことになります。
面と向かって秀吉を面罵した挙句「殿下は狐に取り憑かれてしまわれた」とまで言ってしまい、流石に激昂した秀吉は刀を抜き斬り捨てようとします。武芸が不得手な秀吉が刀を抜き、更に正室、寧々の義弟を斬ろうとすること自体が、長政の言葉を肯定してしまっています。天下人とたる自分を脅かす言動をする者、バカにする者が許せないという感情だけが先走り、冷静さを失っているのです。
厄介なのは、自他共に認めるほど秀吉は才覚に優れていたがゆえに、自分が一番、物事を分かっていると信じて疑わないことです。だから、今、冷静さを失っている自覚もできていないのかもしれません。
流石に各大名は間に入り、両者を引き留め、長政をその場から退去させようとしますが、長政はなおも「かつての殿下ではのうなった!」と食い下がります。一見、激昂しているだけのように見える彼の本心が、秀吉のことを心配すればこその諫言であることがわかりますね。
今にも斬られそうな長政を見た家康は「殿下!」とすっと巧みに秀吉の前に進み出て「浅野殿には、私からよく言い聞かせますゆえ」と平身低頭し、「ここは家康にお預けくださいませ」と静かに自分の顔を立ててくれるよう懇願します。その顔には邪念はありません。
皆に止められ、ナンバー2である家康にこうも頭を下げられては秀吉も矛を収めざるを得ません。ただ、刀を投げ捨てるあたりに、その怒りの収まりきらないことも見てとれます。怒り冷めやらぬまま、秀吉は「唐入り」は日ノ本、明、朝鮮三国の民のためなのだと大義を強調する秀吉に諸将もまた改めて、士気の高まりを演出して応じます。
秀吉の怒りの余韻に呆然としながらも、秀吉の激に従順に従うことでどこかほっとしている大名たちの様子からは、彼らがひたすら秀吉の勘気に触れることを恐れていることが察せられます。圧倒的な権力と武力と財力を持つ天下人の意向一つで全てが決まる、トップダウンによる恐怖政治が豊臣政権を支えているのです。
そして、そんな秀吉の意向を彼に心酔する三成のようなイエスマンたちが周りを固めています。更に義弟長政すら秀吉に斬られかねない状況を見れば、異を唱えることは自殺行為でしかない。諸将はそのことがわかっているのです。
ですから、先の「瓜畑遊び」の盛り上がりも、秀吉の渡海宣言におだを上げた姿も大名たちの本心は別にあるということになります。先の「組屋文書」によれば、毛利輝元、長宗我部元親、島津義弘らは朝鮮で10倍20倍の知行増の約束を迷惑がったとされています。悲観的な毛利輝元は、言葉も通じない朝鮮を支配するのは容易ではないとまで言っています。
また、もう一つの史料「豊太閤三国処置太早計」も、その表題で秀吉の考えは「早計」だと揶揄していますね。大名たちの多くが、異国の領地に興味を示さなかったということでしょう(安国寺恵瓊のように賛同者もいますが)。
それでも、本作の大名たちは長政を除き誰一人、面と向かっては何も言いません。家臣たちに信頼されず、本音を語ってもらえない秀吉は、既に裸の王様と言えるかもしれませんね。
その一方で、この一件で各大名たちは、秀吉のストッパーになれるのは、家康しかいないことも印象づけられたことでしょう。つまり、この秀吉の狂気に支配される状況の中、結果的に家康は各大名から一目置かれる存在になっているのです。あからさまではありませんが、着実に次の天下人への道を歩み始めていますね。
因みにこの浅野長政の発言は、『徳川実紀』にも「殿下が近頃あやしい言動をなされるのは、野狐などと御心が入れ替わっているのでしょう」と記載され、「万民も太平の世を過ごそうとしているのに、罪もない朝鮮を征討なさり、広く国財を費やし人民を苦しめなさる」とその理由も含めて、理性的な諫言となっています。
家康と近しかった浅野長政の言葉として載る『実紀』のこうした記載には、家康の朝鮮出兵への本音が見え隠れしていますね。江戸の町づくりに勤しんでいた彼からすれば、今は戦をすることよりも内政に力を入れることが国を富ませることになると信じていたでしょうから。
そして、この長政の台詞のもう一つの役割は、今回のオープニングアニメーションであった狐を軽く回収することで、狐という言葉を印象に遺すことです。そして、その狐が誰なのかということ、そしてどういう性質の狐であるのか、が今回のテーマとなっていきます。
その夜、阿茶の酌を受けながら、家康は昼間の評定での騒動を語ります。聡い阿茶は秀吉の強引な「唐入り」に対する周りの本音は長政と同じかもと応えます。それにうなずく家康は、全国の大名をまとめるには大きな夢を見させねばならないという秀吉の考えには一定の理解は示しつつも、「あまりにも用意が足らん。数で押そうとしている。戦はそのようなものではない」とその計画を無謀と断じます。
この台詞は、場数を踏んできた家康だけに重みがありますね。初陣に連なる桶狭間の合戦で戦を数でないことを知り、そして自らも小牧長久手の合戦でそれを証明しています。また、戦に必要なことは確実に勝つという見通しを立て、万全の準備を整えること、つまり「戦は勝ってから始めるものじゃ」ということを武田信玄から痛すぎるほどに学んでいます。だからこそ、捕らぬ狸の皮算用でしかない秀吉の「唐入り」の無謀が見えるのです。
そもそも、人の心に付け込み、その人心を操る調略を得意とする秀吉は本来、力押しをする人物ではありません。その彼が、真逆の力押しをすることに、長政の危惧「かつての殿下ではのうなった!」を実感せざるを得ません。
そんな家康の懸念を察した阿茶は「狐にとり憑かれている…言い得て妙かと」と応じ、更に「人は誰でも老いまするゆえ」と添え、微笑します。ここで、彼に憑いた狐の正体の一匹目として「老い」が採り上げられていることは注目しておきたいところ。年を重ねることは決してマイナスではありません。若かりし頃は、記憶力や体力などは最高潮ですが、一方で経験が圧倒的に足りず、思慮が足らないということが多々あります。
逆に年を経れば単純な能力は衰えを見せますが、代わりに広い視野や深い洞察力、経験に裏打ちされた思考力などがそれを補って余りあるようになります。この辺りのバランスが最も取れてくるのが、壮年期でしょう。
ただし、それを過ぎると頭が硬くなり、記憶力も低下し、つまらないことにやたらに固執するようになっていくものです。年寄りが同じ話を何度もする…なんていうのもその一つかもしれません。どんなに優れた才覚を持った者でも、素晴らしい業績をあげた者であっても、個人差こそあれ「老い」による衰えそのものからは逃れようがない。ああ…話していて、自分の老いを思い出してしまいました。いけないいけない(苦笑)
となれば、その「老い」とどう対峙していくのか、ということが老境の域に入ると自然と考えざるを得なくなります。阿茶は秀吉の老いについて述べただけですが、実は家康、秀吉とはたった3歳しか違わないのです。つまり、この問題は遅かれ早かれ、家康自身にも突き付けられることなのです。まあ、松本潤くんが演じているせいで美しく老いてしまっている今の家康からは、まだ老醜の匂いは微塵もしませんけどね(笑)
2.命がけの諫言をしてみせる家康の覚悟
(1)都合の悪い情報が隠蔽される豊臣政権の綻び
場面は代わり、徳川家の陣です。ここでは島津の家中の者たちが、忠勝たちに三方ヶ原合戦についての話を聞きに来ています。彼らも全国的に憧れられる有名人になったのですね。三方ヶ原合戦「涙なしには語れぬ」と言いながらも武勇伝として語ろうとするその姿には、彼らが夏目吉信や忠真を後世に語り継いでいるということ、そしてあの哀しみを乗り越えた成長が垣間見え、感慨深いものがあります。
そこへかつての将軍、足利義昭が図々しさ全開でやってきます。貧相な坊主がやってきたと見た守綱と忠勝が押し留めようとしますが、意にも介さず「わしは将軍だぞ」とかつての威光を振りかざし押し通ります。そして、あれほど「徳川」と呼ぶのを嫌がり、初対面ではほぼ居眠りし、更には瀬名たちの土産として苦労して入手した金平糖をバリバリ噛み砕いた、あの義昭が、家康を下にも置かぬようにしながら「わしは一目見た時から「あっ!この方は大成なさるお方だなぁ」と思ったものですよ」とお為ごかしを並べているのが、可笑しいやら、腹立たしいやら、複雑な苦笑いを視聴者にうながしますね(笑)
どうやら各陣地を訪れては過去の栄光をかさに接待してもらい、自慢話をしているようですが…実は義昭、秀吉には厚遇されていて、前将軍ということで政権での席次も家康たちよりも上なのですね。名護屋城への参陣も秀吉たっての依頼で、武具を揃え由緒正しい者たちを従えていたとか。ですから、家康たちもこうした来訪も無下にはできないのです。
とはいえ、そうした逸話にある品の良さを微塵も感じさせない古田新太さんの新しい義昭の再登場はひたすらバカバカしさが漂います。それだけに今回、彼の存在が、大きな意味を持ってくる終盤の展開には驚いた人も多かったのではないでしょうか。
さて、恥知らずな雰囲気の義昭を忠勝らが追っ払おうとした矢先、半蔵が朝鮮に上陸した先遣隊の思わしくない戦況を仕入れてきます。このとき半蔵が入手した「藤堂高虎の水軍が敗れた」というのは玉浦海戦のことを指しています。輸送船団が李舜臣らによって不意打ちを食らったものです。遠征軍は水軍を戦闘部隊ではなく、輸送を主体にしていたこともあり、文禄の役の海戦では大規模な海戦はないものの、海戦は常に不利だったと言われます。この一戦の被害はそれなりにあるのですが、特に大きな影響を与えてはいません。
寧ろ、遠征軍の戦略変更の契機となったのは、この玉浦海戦の2ヶ月後の閑山島海戦ですが、その後は戦略変更により被害は最低限で済むようにはなります。苦慮しながらも、なんとかできたというとところでしょう。
因みに閑山島海戦の雰囲気は、韓国映画「ハンサン 龍の出現」で楽しめます。この映画、今回の大河ではちらっと映っただけの日本側の屋形船も実物大を作っていますし、具足関係も日本で作成されているのでそれだけでも見ものです。しかし、何よりも悪役とはいえ脇坂安治がこんなにイケメンで知勇に優れた武将として描かれている作品は日本には全くないので、戦国武将好きにはおススメしておきたいところです。少しですが加藤嘉明なども出てきます。
話を戻しましょう。問題は、この玉浦海戦が5/7であるということです。先に秀吉が渡海の意向を示したのが16日ですから、この敗北の情報はそれ以前に伝わっていたはずです。となると、この情報が本当であるならば、秀吉に意図的に上訴されなかったということになりますね。
それだけにその情報の信憑性と子細を確かめる必要があると忠勝は半蔵に視線を送りながら進言しますが、半蔵は「忍びではない」「今や8000石」のれっきとした武士なのに「今さら忍び働きをせよと言うのか」とごにょごにょ言いますが、結局は喜んで引き受けます。
なんだかんだで大鼠と仕事ができるのが内心嬉しいのかもしれませんね(笑)呼び出す口笛が上手く吹けず、「おい」と呼びかけて、大鼠が天井より降りてくる始末。相変わらず、半蔵自身は、忍びとして使えるのか使えないのか分からないままなのがおかしいですね。
大鼠がいるからこそ、滞りなく任務が果たせています。今回、オープニングのクレジットが3番目と破格の扱いだった大鼠、瀬名奪還(1562年)が初仕事でしたから、30年間、忍びとして現役でいることに。少なくとも40代後半にはなっている彼女が、肉体を酷使する忍び仕事を続けていることには感服しかありませんね。
そう言えば、半蔵の思いを受け入れたのでしょうか、ぶっきらぼうで愛想のない態度からはちょっとわかりかねますね。半蔵が肘鉄食らっていてもおかしくないですから。
(2)家康の見ているものと三成の見ているものの違い
情報の隠蔽を知った家康は、早速、三成を問い質します。三成は水軍の敗北を知った上で秀吉にその情報あげていないことを認めながらも、「我らに一任されておりまする」と必要な情報は上げているのだから問題ないとの認識を示します。更に陸路では勝ち進んでいることから、水軍一つが負けたぐらいで大勢に変わりはないとも付け加えます。この認識は決して間違いではありませんが、秀吉の怒りを恐れて、都合の悪い情報を隠蔽している面も間違いなくあるでしょう。
そんな三成の楽観論に、忠勝は「敵は水軍に力を入れているかも」として敵をあなどる危険性を説き、海路が経たれた場合、遠征軍が孤立することを危惧します。敵が水軍に力を入れている、忠勝の認識もあながち間違いではありませんから、流石に理性的な三成は、忠勝の弁にはっとします。
そして、家康は「少なくとも殿下だけは渡海をお止めになっていただく」と本題に切り込みますが、三成は「兵の士気にかかわります!」と反論します。漢城を陥落させた遠征軍が、宣祖を追撃しなかったのは秀吉の渡海を待っていたためと言われますから、三成の言い分は戦略的には正しいものです。
しかし、家康が秀吉の渡海を止めるのは、そういう次元ではありません。家康は三成の実直さを信じ「わしも包まず申すが、この戦、難しいと思う。やるべきであったのか」と本音を語ります。家康は、戦略的な問題としてでなく「そもそも、この朝鮮出兵、ひいてはその先にある「唐入り」が本当に必要な戦であったのか」という「政策」の是非を問うているのです。
秀吉の意向を突っぱねただけで特に罪もない朝鮮に攻め入ったこと、日本国内の経済を疲弊させ、多くの将兵たちを死なせてしまうこと、それだけの犠牲に見合う現実的な見通しを秀吉は持っているのかということです。
一応、日ノ本の武将たちをまとめるための大きな夢を与えるという大義名分はあります。だからこそ餌として、異国の領土という「褒美は無限」と大名らにちらつかせていますが、彼らの多くはそれを欲していないというのが実態です。人の心に敏感で、そこに入り込むことを得意としていたはずの秀吉が、彼らの本心を読み違えていますね。
こうなってしまったのは、秀吉が老いたということだけではありません。大義名分とは別の理由から「唐入り」に固執しているからです。家康がその理由を既に看破していることは、その後の秀吉の説得の中で明言されます。
一方の三成は、秀吉の領土拡大政策は天下一統の先の事業として必要不可欠であるという表面上の正しさだけを見て、その実現だけを最優先事項にして心を砕いています。秀吉が間違いを犯すはずがないという盲信が、その前提になっています。
だから、円滑に勝利を収め、秀吉に「唐入り」をしていただくことだけを考えているのです。となると「兵の士気に関わります!」という反論も、戦う兵を思いやってのことではありません。秀吉の心を煩わすことなく、彼の意向を実現するためには、兵には死に物狂いで戦ってもらわねばならない、そのことなのです。家康が指摘するように遠大な野望である「唐入り」は容易ではありません。
それだけに現場の将兵の苦境は二の次、不利な案件も些末なこととして目をつむり、ひたすらに前に進まねばならないと考えているのでしょう。そして、夢が実現したその先に、秀吉は再び三成の理想の天下人として君臨するはずだと、三成は固く信じているように思われます。
おそらく、三成は、鶴松の死を前にして壊れそうになっている秀吉を直視できなかったあのとき、自分が天下人秀吉の理想の実現に邁進することがその心の慰めになると信じたのではないでしょうか。しかし、それは秀吉の心に寄り添うことではありません。あくまで、自分の理想を秀吉に押しつけているに過ぎません。秀吉を妄信するがゆえに、その心の傷には寄り添えない忠臣三成。自らの厚意がかえって、秀吉の心の闇を深くしていることには気づけないことが彼の不幸かもしれませんね。ですから、説得にかかる家康に、三成は「殿下は一度として間違ったことはしておりませぬ」という伝家の宝刀を抜きます。
しかし、家康は静かに「今の殿下はこれまでと同じであろうか」とその言葉の盲点を突きます。このとき、三成の脳裏に浮かぶのは、先に激昂のあまり、あろうことか義弟を斬ろうとするほど我を失った秀吉の姿、そして鶴松の死を前に空虚さを増した姿です。本来、秀吉を敬愛する三成は、家康の返答に返す言葉がありません。
押し黙る三成に家康は、「そなたが苦しい立場なのは察する」と思いやります。その上で、あの日小田原での三成の言葉「もし万が一、殿下が間違ったことをなさったときは、この三成がお止め致しまする」を引き合いに出し、今がその時であると念押しをして、ようやく説き伏せます。
今こそ、「戦無き世」のために二人が力を合わせる時だということです。三成にしても、今の危うい秀吉を危険にさらすのは本意ではありません。家康を見上げるその目には、秀吉を諫めようという決意が見えますね。
しかし、意見が一致したとはいえ、家康と三成の「見ている星」はやはり違うようです。家康が、領民や家臣たちのための「戦無き世」のために私を捨て、できることをしようとしているのに対し、三成はあくまで秀吉と「秀吉の考える理想郷」のために己を捨てています。三成の考える「戦無き世」は秀吉という個人崇拝の上にあります。秀吉ありきの世界なのです。どちらが拓けた世界を夢見ているのは一目瞭然ですが、今回の家康と三成の対峙は、そのことも露わにしてしまったかもしれません。
勿論、当人たちには互いの理想が似て非なるものとの自覚はなく。未だ互いの理想は近しいものであると信じていていると思われます。だからこそ、落としどころを見つけ、二人して秀吉の説得にかかります。
(2)感情を押さえられない秀吉
秀吉の御前に参上した家康と三成、まずは三成が天候を理由に秀吉の渡海を一旦保留し、天候が治まってから悠々とわたる提案をします。家康も、「殿下はこの日ノ本になくてはならぬお方。万が一のことがあれば、天下が乱れまする」と海難事故を危惧するよう三成の言葉に合わせ、秀吉の御身を案じていると援護します。
二人の落としどころは時間稼ぎだったようですね。三成は秀吉が盤石で唐入りするため戦局を安定をさせるため、家康は戦の実態を把握し、場合によっては戦自体を収束させるため、それぞれえ時間を必要としています。それぞれの思惑の違いがあります。
天 候を理由にしたのは、今にも渡海せんとする秀吉の怒りを買わないよう細心の注意を払った結果でしたが、それでも案の定、秀吉の機嫌を損ね、餅を食べる手が止まります。他大名であれば、これだけで震えがるでしょう。
そ こに覚えたばかりの中国語を話しながら茶々が秀吉のもとに現れ、緊張は一時的に収まります。彼女は、秀吉の唐入りのために語学を学んでいるとうそぶき、そして「唐には虎や獅子がおるそうな、茶々は見とうございます」と甘い声でねだります。女性たちのこういう無心が大好きな秀吉は、「虎や獅子だけなく、龍でも、孔雀でも」と安請け合いをして、茶々を楽しませようとします。女性に現を抜かし、話題を逸らす秀吉に家康は「殿下!」と厳しくたしなめます。
その言葉に目が座ってしまう秀吉は、やはり以前の秀吉ではありませんね。こういうときでもふざけた様子を崩さないのが、かつての彼です。その姿には精神的な余裕の無さが際立ちます。ひたすらに何かに苛立ち続けています。仕方なく、秀吉は「少し外しておれ」と茶々を下がらせます。やや不満げな彼女に「のう」とやさしく諭すところに秀吉の茶々への気の遣いよう、入れあげていることも見えます。
因みに秀吉にとって女性は、着飾り、甘いものを食べてキャッキャウフフとしていれば良い存在であり、彼を慰めるものです(第33回)。その点は茶々であっても同じです。ですから、茶々をこの場から外したのは、秀吉の賢明さではなく彼の一方的な女性観によるものでしかありません。無論、茶々は秀吉の希望に添う振る舞いをしながらも、そんなことに満足する女性ではありませから、別室で男たちの会話に側耳を立てています。
不機嫌を隠さない秀吉を前に家康は意を決したように「差し出がましいことを申し上げます」と切り出します。彼は、秀吉の傷である鶴松の死に敢えて触れ、「茶々さまのお心を思えば、その哀しみはいかばかりか」と真心をもって話します。家康も子を失っていますから、当然、その哀しみはよくわかった上での言葉です。
その上で「しかし、それと政とは別のこと」と本題に切り込みます。元々、頭の切れる秀吉は家康の言わんとすることを咄嗟に見抜き「余が茶々を慰めるために唐入りをしたと?」と家康にねめつけるような目を向けます。しかし、家康はそれには口を出しては答えず、ただ暗にそうではないのかと言わんばかりの表情でその視線を受け止めます。
結局、その無言の対峙に耐えきれなかったのは秀吉のほうです。「余計なお世話じゃ」と高台皿を菓子ごとひっくり返すと家康に迫り、「おめぇが口を出すことではないわ」と言い切り、日ノ本、明、朝鮮のために唐入りは必要なのだと形ばかりの大義を振りかざし、大股でその場を去ろうとします。
説得に失敗したと悟った三成は、自らと大谷刑部、そして増田長盛の三人で朝鮮に渡り陣頭指揮を取り、必ず秀吉が渡海できるようにするから今すぐの渡海を待ってほしいと追いすがります。しかし、怒りが止まらない秀吉はそんな三成を「どけ!」と蹴りつけます。このあたりは、状況こそ違うものの明智光秀を蹴り飛ばした晩年の信長を彷彿とさせますね。感情に走ってしまう権力者のあり方として相似にしているのかもしれません。
必死の三成に家康も黙っていません。この戦の拡大は結局、日ノ本のため、領民のためにならぬと信じる彼もまたどうあっても、秀吉の渡海は先延ばしにせねばなりません。「お待ちくだされ、殿下」と走り寄り、再び秀吉の前で座ると腰刀を前に置き、どうしても渡海するなら「腹を召しまする」と自決も辞さない覚悟を見せます。
そんな家康の眼差しを秀吉は、上からじっと見つめます。家康の命を賭したその態度に偽りがないか、推しはかるようなそんな目つきです。やがて、その目に真摯さと裏表のなさを読み取ったのか、秀吉は再び、顎でしゃくるような傲岸な権力者の姿勢に立ち戻ると、家康に自決させることなく静かにその場を去ります。無言ですが、二人の諫言を秀吉は受け入れたのですね。
家康の行動に驚きつつも感動したのは三成です。彼は自ずと自分が渡海して以降は「留守をよろしくお頼みもうします」と心から願います。二人で難事を切り抜けた家康も「ご武運を」とその期待に応えることを約束します。
この秀吉の説得は、家康と秀吉の腹芸による緊迫感が素晴らしく、対比として置かれた三成では、この二人には到底かなわないことを見せてくれます。腹芸を繰り広げる中、正気と狂気の狭間を行き来する秀吉の余裕の無さ、そしてかつての闊達さを失った老いも際立ちます。唐入りは大義名分ではなく個人的な事情だと図星を突かれ、屁理屈もふざけて誤魔化すこともできないまま、怒りに身を任せてしまう様子は象徴的です。やはり、1匹目の狐は「老い」ですね。
そんな彼に対して、命を賭してまで諫められる家康の覚悟と行動力には、その精神的な充実と太い信念が窺えます。二人の立場は、人間的な質の面では逆転しつつあるのでしょう。それにしても、いや、三河一向一揆の頃、空誓上人に対しては本音を隠しきれなかった(第9回)あの家康が見事な腹芸をするようになりましたね。
最近は、序盤の頃の家康たちとの違いに感慨深くなることが多々あります。こうした成長を喜び、反面かつての未熟な姿を懐かしむ…大河ドラマならではの楽しみ方でしょう。
3.秀吉をめぐる二人の女性
(1)大政所の後悔~秀吉の原点
秀吉の渡海を諫めて2ヶ月後の7月、秀吉の母、大政所がいよいよ危ないとの知らせが入ります。母を見舞うため秀吉は茶々へ「何か困ったことがあれば前田利家に相談せよ」と申し伝えて大阪へと戻ります。
前田利家は一般には秀吉の友人として描かれることが多い人物ですが、「どうする家康」でのその関係性は描かれていません。ここでは、単に豊臣政権下では家康と並ぶ二大巨頭を信用してのことという以上のことはないようです。因みに、今回初登場の前田利家を演じた宅麻伸さんは、40年前の大河ドラマ「徳川家康」で信康を演じています。
大阪へ着いたものの、母の死に間に合わなかった秀吉は、「ああ」を繰り返し、呆然としています。そして、寧々から聞かされたのは「ずっと謝っておいでだったわ」という哀しい最期の様子です。
大政所は、今際の際に息も絶え絶えになりながらも、秀吉の唐入りについて、「息子がみんなに迷惑をかけて…わしのせいだわ…」と後悔を告白します。
身分が高くなろうと、その本性が百姓であった彼女にとって、「戦の無い世」になり衣食住に困らなくなっただけで十分です。寧ろ、百姓として過ごせない窮屈さのほうが問題でした。そんな彼女には、唐入りは分不相応の望みという以上のことはなく、皆が秀吉の「何でも欲しがる病」に振り回されているようにしか見えなかったに違いありません。
実際、多くの武将が迷惑がり、また文禄・慶長の役後、特に渡海した西国大名たちは、それぞれの領地で財政の立て直し、農民の反乱に苦慮することになりますから一部を除いて踏んだり蹴ったりだったでしょう。天下人たる秀吉よりも、政治もわからない根が百姓である彼女のほうが、この戦が迷惑と見抜いているのが皮肉です。
「わしのせいだわ」と懺悔する彼女に「なんで、かかさまのせいなんじゃ」と寧々が言うのは、秀吉が欲望の権化であることは、あくまで彼自身の問題と思うからです。しかし、大政所、いや、秀吉の母、仲は、「いっつも腹いっばい食いてぇといっとった」と幼い頃の秀吉を思い返します。「いっつも」という言葉に、幼少期の秀吉の置かれた環境は、食べるものもままならない極貧の百姓生活であったことが察せられます。おそらくは、本作の三河一向一揆に参加した領民たちをイメージしてもらえれば、その実情と大差はなかったろうと思われます。
なんにせよ、子どもがどんなに食べ物を求めて、泣き叫ぼうとも与えるものがなければ、親もどうしようもありません。自分自身が生きていくことすら危うい状態の中、仲は「あれには、な~んも与えてやれんかったでよ」と言います。つまり、幼いあのときの飢餓感が彼の欲望の原点だと言うのです。
この飢餓感、まずは食べ物であったことは言うまでもありませんが、仲の「な~んも」という言葉は食べ物だけを指していないように思われます。というのも、かつて彼女は秀吉のしつけすらしたことがない(第35回)と発言しているからです。このことは、彼女は生活の大変さに追われ、幼少期の秀吉と向き合うことなく、いつの間にか家出されてしまったことを意味しています。
しかし、仲を、秀吉に愛情を注がなかった薄情な人間と責めるのは軽率でしょう。最低限の食料を確保できなければ、人間の心に他者を思いやる余裕はできません。「愛こそが全て」「愛が何よりも優先する」と安易に言える人の多くが、経済的に恵まれた人であることは世の常でしょう。聖人君子はそういないから、聖人君子なのです。
ただ、人間らしく生きていくためには、衣食住だけではなく、愛情が必要でしょう。仲はそれがわかるからこそ、こうして死の間際に苦しんでいるのです。彼女は成長して帰ってきた息子、欲望のかぎりを尽くし関白にまで出世した彼を恐れていましたね(第35回)。
もしかすると、これは自分の知る息子ではなかったということだけではなく、自分の知らない得体の知れない人間になったのは自分のせいかもしれない、そのことを直視できなかった面もあるのかもしれませんね。
何にせよ、恵まれていたのであれば、食べ物と共に与えられるべきだった愛情、秀吉はそれを知らないまま、ただただ腹を満たそうと家を飛び出していきます。秀吉は、織田家の足軽大将を皮切りにどんどん出世していく中で、どこかで必ず、腹いっぱいになるまで食べまくり、初期の願望を叶えたはずです。彼の欲望の根幹が「腹いっばい食いてぇ」という物理的なものだけであれば、そのときに満足したはずです。
しかし、彼はそれでは全く満たされなかったのではないでしょうか。自然、きっと自分を満足させる何かがあるはずと、満足を求めて手を出し続けるしかなくなります。「何故、満足できないのか」などという哲学的な問いは浮かびようもなく、何の救いにもなりません。ひたすらに金、出世、女性と次々とそして様々なものに手を出していきます。無論、ただの一度も満足することはなかったに違いありません。
以前のnote記事で、彼の際限のない欲望とは、「足るを知る」ことを知らないからだと述べたことがありましたが、その見解は少し修正が必要です。本来の「足るを知る」という「老子」の言葉は、「何事に対しても、“満足する”という意識を持つことで、精神的に豊かになり、幸せな気持ちで生きていける」という意味なのです。しかし、秀吉はその基準となる「満足という意識」自体がわからないのです。「足るを知る」以前の問題なのです。
そして、欲望のまま突き進むうち、仲曰く「自分がほんとは何が欲しかったんだか、自分でもわからんようになっとるんだわ」という状態になってしまったのが今の秀吉なのでしょう。つまり、秀吉の「なんでも欲しがる病」の正体は、あまりにも貧しく、物理的にも精神的にも何もなかったばかりに「何が欲しいか分からなくなっている状態」を指しているのです。
これを、死に際の仲が、言い当てたことは興味深いですね。彼女は、恐れてしまった我が子について、最後の最後に向き合いました。それができたのは、もしかすると秀長と旭が早くに亡くなったからかもしれません。親として、子に先立たれることは哀しいことです。何故、自分がそんな目にあうのか、それを考えたとき、どうしても自身が息子を「欲望の怪物」にしてしまったかもしれないという業と向き合うしかなくなったのかもしれません。
彼女の末期の言葉が「すまなんだ、堪忍してちょ」という言葉なのが哀しいですね。この言葉は、息子の欲望に振り回されている全ての人たちに対してだけでなく、愛情を注ぐ機会を持てなかった息子への詫びも含まれているのではないでしょうか。
ですから、母親の後悔を呆然とした表情で聞く秀吉に寧々は「これ以上何を欲しがるんじゃ、この世の果てまで手に入れるおつもりか。たかが百姓の小せがれが、身の程をわきまえなされ!」と大上段から𠮟りつけます。思わず「言葉を慎め」と返す秀吉に、寧々は「かかさまの代わりに言うとるんだわ」と、母の心、子知らずな秀吉を涙ながらに嗜めます。
義母の死を看取った寧々は、仲の心を引き取り、仲が生前してやれなかった秀吉へのしつけをしたのですね。最初で最後のこのしつけは、仲が息子を心配した愛情そのものです。「しつけをしたことがなかった」という発言が、こういう形で回収されてくるとは巧い構成です。
秀吉がこれをどう受け止めたのかはその呆然とした表情からだけでは、その死にショックを受けていること以外に読み取ることはできません。もしも、母の愛情を感じられたとしても、それを返す方法は永遠に失われました。旭が逝き、秀長が亡くなり、鶴松も幼い命を散らし、そして今また実母がこの世を去りました。彼が愛情を注ぎ、愛されるべき家族たちは、次々と彼を置いていってしまいました。
傷心であろう秀吉に寧々は「この世の誰よりも才があると信じたんだわ。だから、あんたさんと生きる決意をしたんだわ」と彼を伴侶として選んだ初心を語ります。
思い返せば、彼女は初登場のとき、数正に「我が夫も乱世を鎮めたい一心なのでごぜえます。もう皆、戦はこりごりでごぜえますでな」と言っていましたね。あれは本心からの言葉だったということです。寧々なりに今の世の中に心を痛め、秀吉ならばきっと乱世を鎮めて、皆を幸せにするに違いないと信じたのです。泰平の世のためならばと、彼の女漁りも金に汚いところは歯を食いしばり耐え、ひたすら彼を支え続けてきたのでしょう。
果たして今の秀吉は、そんな彼女に応えられているのでしょうか。それ以前に寧々の思いをきちんと分かっていたでしょうか。
そして、暴走する彼を止められなくなっている寧々は「だけど…今はそう思えん…」と哀しい顔で告げます。この突き放した物言いは、初心に還れという寧々なりの叱咤でもあるでしょう。しかし、家族を失い続け、心の闇に囚われている今の秀吉には、遂に正室にすら愛想を尽かされたように捉えてしまった可能性があります。秀吉の虚ろさが増していく表情には、精気がありません。
(2)2匹目の狐~傾国の美女~
秀吉が大阪に戻っている最中、家康のもとへ茶々が訪ねてきます。何故と問う家康に「何か困ったことがあらば、家康殿にご相談申し上げよと殿下が」と臆面もなく、とびっきりの笑顔で語る茶々の姿には、邪悪な企みがあるようにしか見えませんね。しかも、「徳川殿」でも「大納言殿」でもなくなにげに「家康殿」との名前呼びしてやがります(笑)
茶々の企みに気づく気配もなく家康は相談ごとかと素直に招き入れますが、改めて茶々のお市との瓜二つぶりにどうしても目を奪われてしまいます。こういうところが、相変わらず隙だらけの家康です。家康のそうした反応など想定内の茶々は「母に似ている? よく言われます」とこれまた用意した最も良い笑顔で応じます。完全に彼女のペースに巻き込まれていますね。
「ずっと家康殿とお話がしたかった」と切り出す茶々は、お市の初恋が家康で話を度々、聞いていたとからかい半分で話しかけると、すっかりペースに乗せられている家康はドギマギして慌てます。ウブなのかとツッコミたくもなりますが、お市の顔をした娘からお市の初恋は自分であると聞くことほど奇妙なこともないでしょうし、また若き日の彼女から直接、告白されているようなそんな錯覚すら覚えるでしょうから、仕方のないところです。
もっともそんな動揺も茶々の手の内でしょう、十分に揺さぶった後に北ノ庄城落城の件を持ち出し「母は最後まで家康殿を待っておりました。何故来てくださらなかったのですか?」と、お市を見殺しにした理由を問います。
茶々は、あのとき助けにこなかった家康について「やはりお見えになりませんでしたな」と母に皮肉った挙句に「徳川殿は嘘つきということにございます」「茶々はあの方を恨みます」と言い放っています。謂わば、家康がお市を助けに来なかったことは、今の茶々のあり方を決定づけた負の感情の原点なのです。茶々にとっては、どうしても聞いておきたい長年の疑問なのは、事実です。
ですから、この疑問は家康を心理的に揺さぶるだけではなく、彼女の真実も含まれています。真実が含まれるからこそ、家康はこの一件での古傷を抉られます。
ここで何らかの答えを与えておくこともできたはずですが、家康はその誠実さゆえにそのどれもが言い訳にしかならないことを分かっています。ですから、居たたまれない表情をして目を伏せ、その質問には答えず、「すまなかったと思っておりまする」と頭を下げるのみです。
そんな傷心の家康に「時折無性に辛くなります…父と母を死なせたお方の妻であることが」とか「はしゃいでいなければどうかしてしまいそうなときも…」などと滔々と自らの身の哀れを投げかけます。まるで自分の悩みを訴えているかのような口ぶりですが、これまた狡猾なやり口です。ここで彼女が述べている哀しみは嘘でないでしょう。実際、生きるために恨むべき秀吉の側室となっているのも事実でしょう。
しかし、ここで家康にこれを訴えるのは、家康が母を見捨てたことの後ろめたさを十分感じていると確認できたからです。その家康の後悔に追い打ちをかけるように、家康が母を助けに来なかったから、自分は秀吉などの女に甘んじる結果になったのだとなじっているのですね。
勿論、あくまで側室という身分の哀しさを告白するだけでに留め、家康を直接責める言葉など微塵も見せません。そんなことをしなくとも、家康は後ろめたく感じるでしょうし、家康を責めもしない健気さは自身を可憐に映すはずだからです。自分がどう見えるか、家康の傷がどう効果的に抉られるか、十二分に計算した上で、茶々は話を進めているのです。
茶々は家康の後悔という心の隙間を梃子にしながら、自分への憐れみと愛着を家康から引き出します。そこを見計らって、茶々は「ずっと思っておりました…父はあなた様かと」と切り出します。「いや、流石にそれは…」と狼狽する家康は既に茶々の術中にハマっています。
狼狽する彼に茶々はお市の初恋相手が家康であれば、父親が家康であった可能性を畳みかけ、なおかつ涙まで浮かべて切々とした体を装い、彼に近寄り「父上だと思ってお慕いしてもようございますか」と手を握ります…あー、最後はスキンシップですね(棒読み)。そして、遂に「茶々はあなた様に守っていただきとうございます…」とトドメの一言を家康に突きつけます。
いや、もう何というか、これ、あからさまな水商売のお店の人の手練手管でしょ、引っ掛かるなよと言いたくなるのですが、お市を救えなかった慙愧の思いをくすぐられている家康は、思わず「私が出来ることあらば、なんなりと」と応えてしまいます。この家康の素直すぎる反応は、茶々からすれば、男なぞはチョロいものだと確信したことでしょう。心のうちでは舌を出して、ガッツポーズをしているかもしれませんね。
茶々が狡猾なのは、ここまであからさまな嘘は「困ったことがあれば家康」だけだということです。後は最後の「父として慕う」も含めて一つも嘘を言っているわけでないのです。第30回について、再度、確認してみましょう。北ノ庄城落城に際して、彼女があれほど家康を悪しざまに言ったのは、家康が助けに来ることを当のお市以上に内心期待していたことの裏返しです。
この回(第30回)では他にも、茶々は浅井長政の娘であることを強調し、「もしかしたら家康が父だったかも」と言う妹らを叱りつけていますが、この言動もファザコンのなせるところです。
しかし、このとき実父は既になく、お市の再婚相手、柴田勝家は本作では夫ではなくビジネスパートナーとなった家臣でしかありませんでした。言葉とは裏腹に、彼女が父親を期待するのは、母の伝聞で知るだけの家康しかいなかったのです。
ですから、「父上だと思ってお慕いしてもようございますか」はあながち嘘ではないのですね。ただ、それだけにあの日、父として母と自分を救わなかった家康を深く恨んでいるのです。
そういう相手を苛み、そこを梃子に心に入り込み籠絡することは、復讐の第一段階としてはまずまずなわけです。そして、そういう芝居をして、彼を落とすことを半ば楽しんでいる感じが、その計算高さからは窺えます。そして、嘘をつくことなく人を騙し陥れる手練手管は並大抵のものではありません。現に家康は彼女の手の内で踊らされてしまいました。
彼女が家康のもとを訪れた本当の狙いこそはっきりしませんでしたが、その行為の裏にある家康への愛憎の入り混じった複雑な感情は危ういものを持っていると言えるでしょう。もしかすると、復讐も含めて、戯れているのかもしれません。彼女にとって男どもは、自分の手の内で踊る玩具に見えるでしょうから。
さて、この一連の籠絡が決定的なところへ進まずに済んだのは、見るに見かねてか、絶妙なタイミングで阿茶が参上したからです。登場しただけで視聴者を安堵させる凛々しさが良いですね。にこやかに挨拶をする阿茶に対して、家康が戦場に女性を連れてきていることに驚く茶々。
許可をもらっていると答える家康に合わせ「私は殿方と同様のお役目を任されておりまして鷹狩にもお供します」と切り出します。その言葉に自分にはないものを嗅ぎ取る茶々は「ここで狩りはできぬと思いますが?」と揶揄し、仕掛けます。
茶々の揶揄に急に真剣な表情を見せた阿茶は、「殿下にとりついた狐がいるとのうわさを耳に致しました。我が殿にもとりついてはなりませぬゆえ、狐を見つけたら退治しようと。お見かけになっておりませぬか…?」と真面目な体で問いかけます。阿茶は茶々こそが、秀吉のとり憑いた狐だと揶揄し返した上で、家康もその手にかけるなら容赦はしないと恫喝しているのですね。
思えば、阿茶が狐にとり憑かれているとは言い得て妙と発言した際に、入れられた回想シーンは「瓜畑遊び」で騒ぐ秀吉と茶々のシーンでした。つまり、茶々の真意は、人は老いれば余計に女性に溺れて判断を誤るという意味だったのでしょう。
ただならぬ阿茶の物言いに、家康はようやく自分が茶々に騙されているのだと気づいて「え?こいつが?」という顔をしているのが可笑しいですね。性格の優しい家康は昔からこういうところが鈍く、瀬名を怒らせていますからね。気をつけるよう側室たちの間で申し送りをされているのかもと想像すると余計に笑えますね。また、阿茶はこの察しの良さがあるからこそ、於愛の後、奥を仕切ることも任されているのでしょう。
阿茶の鋭い洞察と恫喝に流石の茶々も一拍、間が空き、目が泳ぎます。しかしすぐに立ち直ると「見ておりませぬ」と満面の笑みで返します。白々しいですが、これも嘘ではありませんね。狐本人がその狐を見ることはできませんから(笑)続けて「狐退治、大いに励んでくだされ」と励ましながら、「徳川殿、今日はこれにて」と退散します。流石にここでは「徳川殿」に切り替わっており、阿茶の手並みが鮮やかであったことを窺わせます。阿茶の穏やかな微笑が、彼女の安堵とささやかな勝利を匂わせていますね。
こうした女たちの腹芸と、自身の心にすっと入り籠絡せしめるとことまでいった茶々の手並みに、家康もやっと茶々をお市の娘ではなく、別の存在だと認識できました。しかも秀吉にとり憑く女狐であり、その手管を見ても戦慄すべき危険人物との認識を新たにします。そう、これは視聴者の誰もがわかることですが、「老い」に続く2匹目の狐が、メインの狐である女狐、「傾国の美女」茶々です。
古来、殷王朝の紂王の妲己、唐の玄宗皇帝の楊貴妃などを引き合いに出すまでもなく、名君が女性に溺れ暗君となった例(ためし)は事欠きません。これら傾国の美女たちの全てに権力欲があり、人々を惑わしたわけではありませんが、茶々は明らかに人を惑わす業を身に着けていますから要注意です。
対する家康は阿茶がいて本当に助かりましたね。男装の麗人である阿茶は、家康を表立って支えるビジネスパートナーでもあります。だから、その恰好は男性たちの評定に参加するためのフォーマルウェアも兼ねているのかもという気がします。とはいえ、これは家康にしては大きな進歩です。かつて、瀬名が評定に口を挟んだとき家康はたびたび難色を示しました。また於愛が評定に現われたときも、この場で意見をする資格はないと告げています。彼は表立って、女性が政(まつりごと)に参加することに否定的な態度をとり続けてきました。
しかし、瀬名の慈愛の国構想のスケールの大きさと知恵に驚き、家臣団だけでは秀吉との徹底抗戦という間違った選択をするところでしたが、それをお於愛たち女性たちの絆によって回避できました。女性たちの能力の高さを知り、彼女たちならではの発想が自分たちを助けることを家康は長い年月の中で学んだのではないでしょうか。
だからこそ、家康は阿茶を側室としてだけではなく、ビジネスパートナーとして活躍の場を与えたと思われます。実際、彼女は有能で最終的に朝廷から従一位を授けられていますが、阿茶が活躍する道筋は、瀬名やお葉や於愛たちによって作られたのだと考えると、阿茶の中で女性たちの絆が脈々と生きていると言えるでしょう。瀬名も生前、家康のビジネスパートナーになろうと励んでいる節がありましたからね、その願いは阿茶によって叶えられたのです。
3.秀吉の抱える孤独の正体
(1)秀吉の妄言を𠮟りつける家康の精神的充実
場面は代わり、半蔵と大鼠が島津、毛利、小西など戦場からの直接の書状を盗み出すことで、遠征軍の侵攻が滞っているという確証を得ます。兵糧は尽き、民は抗い、寒さは日本とは比較にならないという実態も明らかになります。因みに朝鮮の民が抗ったのは、ただでさえ貧しい朝鮮の民たちから兵糧を現地調達しようとしたためですから悪循環です。
また、劇中では言及されませんでしたが、漢城はハエが多く不衛生だったため、疫病も流行ったと言われます。古来より比較的、衛生面がしっかりしていた日本に暮らしていた将兵たちには過酷であったと思われます。半蔵が「かの地は今、地獄であろう」と推察していましたが、まったくその通りだったのです。
予想以上に思わしくない戦況に家康は。秀吉にこの戦を収める決断を迫る必要がある判断します。「殿下が大阪から戻られたらしかと申しましょう」と言う忠勝の言葉に家康はうなずきます。しかし、秀吉の野心そのものを挫くこの諫言は、先の命がけで渡海を諦めさせた一件以上に困難です。今度こそ首が飛ぶかもしれません。しかも、先の一件で共に諫めた三成は異国の地におり、家康一人で収めねばなりません。
それでも、家康は「戦無き世」を実現するために一歩一歩、粛々と自分のなすべきことをなすと決めています。また最初から始めていく…そのことは前回、家臣たちとも約束したことです。また、秀吉に代わって渡海した三成にも自分のいない間、殿下を頼むと約束しました。
結果的に守れないことはあっても、家康は人との縁を大切にし、その関係性に助けられてきた人間です。多くの約束がある以上、諫言をすることに否応などあるはずもない…というのが今の家康の泰然自若さから窺えます。
もうここには、かつての泣き虫弱虫洟垂れの家康はいませんね。こうして、家康は秀吉との一騎打ちに臨みます。言うなれば、この場面は、安土城での信長と闘いの秀吉版というとことでしょうか。ただし、あのときは信長の強さに必死に抗うばかりでしたが、今回の家康はあのときとは違い、多くを学び人間的にも大きく成長しています。
さて、秀吉を自陣に招き密談という形をとったのは込み入った話になると見込んでのことでしょう。家康は秀吉に酌をしますが、秀吉は無表情に虚空を見るばかりで、家康と目を合わすことがありません。無視しているというよりも、秀吉の視界には誰も映っていないようにすら見え、心ここにあらずといった体です。母を失ったゆえの様子と見た家康は、逝去した大政所のお悔やみを述べ、彼の様子を窺います。
注がれた酒を飲みほした秀吉は「んー、わしは阿保になった、皆そう思っとるらしい」と切り出し、初めて家康を見ます。さらに「狐にとり憑かれているそうな」とつけ加え、浅野長政の一件以来、名護屋城内で自分がどう思われているのは、百も承知であると答えます。そして、「このわしが小娘相手に思慮を失うと思うか?」と家康に問いかけ、自分は大義のために生きていると牽制します。秀吉なりにこの招待が諫言が目的と気づいているのでしょう。
元々、秀吉が茶々のために戦をしたと考えていた家康は、先の来訪で茶々自身の危険性を感じていますから、わざわざ彼から話題に振ってくれれば渡りに船です。くだらない噂を一蹴するためにも「「茶々さまは遠ざけるべきかと存じます」と進言します。そして、正直に「恐れながら、あのおなご、計り知れぬところがございます。いつの間にか人の心に入り込む」とその危険性を語ります。脳裏に浮かぶのは先の来訪で家康に巧みに取り入ろうとしたあの様子です。
この家康の茶々評はかなり辛辣ですが、「人の懐に入り込み人心を操る…(中略)ありゃあ化け物じゃ」という石川数正の秀吉評に通ずるものがあるのは興味深いところ。お市から織田家の気高い魂を受け継いだ彼女は、秀吉の下で育てられる中で秀吉の能力も吸収し、彼以上の使い手として、自覚的に秀吉をも籠絡しようとしています。
そんな茶々の危険性は、秀吉の際限のない欲望を止めるどころか、寧ろそれを煽り立てるブースターの役割に担っている点です。それは、床の上の話だけではなく、その言動全般にわたってのことです。例えば、唐入りに際して、茶々も獅子や虎を見たいというおねだりをしていますが、これによって彼はますます彼女のために唐入りに本腰を入れようとしましたね。
当然、巻き込まれるのは、末端の遠征軍の将兵たちです。彼女は大名や兵卒たちの労苦まで考えているのでしょうか。考えていなければ危険な快楽主義者ですし、また知った上で煽るのであれば、その目的の如何にかかわらず計算高く、それでいて破滅的な思考の持ち主と言えるでしょう。どちらにせよ、危険人物ですが。こうなると、生前の秀長の「かなり危うい者もおります」の忠告ともささやかに響きあってきますね。
秀吉の心の隙間に入り込み、彼の望む媚態を演じることで、その際限ない欲望を刺激するというのが茶々の常套手段ですが、厄介なことに秀吉はそれによって、老いを忘れたかのように活力を取り戻し、様々な無茶振りを他者に発揮します。おそらくは、それがまた秀吉にとっては、心地よいのでしょう。敢えて悪い言い方をすれば、茶々は秀吉にとってバイアグラのようなものです。精力はみなぎりますが、処方を誤れば命を縮める劇薬だと言えるでしょう。
しかも彼女の人心を惑わす技は、甘言をささやくだけで人様を自在に操る域に達しつつあります。家康は、身をもってそれを知ったから(正確には阿茶に気づかされたから)こそ、彼女を危うい存在として認識し、心の底から遠ざけるよう秀吉に進言するのです。
これは秀吉を危ぶんでいるだけではなく、邪念を捨て政治に専念すれば、状況を的確に判断し。事態を真っ当な形へと修復できるという秀吉への一種の信頼もあるからでしょう。なんだかんだ言っても秀吉は天下一統を成し遂げました。それを完成させた、政治家としての才覚や力量、経済へ明るさは認めているのです。
さて、家康の諫言ににんまりと笑った秀吉の答えは「わーっとる、あれで政を損なうようなことはせん」というものです。どうやら彼は、家康の言うことを一旦受け入れた振りをして、彼をなだめすかし誤魔化そうとしているようです。しかし、秀吉のこの答えは悪手でしかありません。何故なら、痛いところを突かれたときに「わかってるって」と返答するのは、全くわかっていないときと相場が決まっているからです(苦笑)
その言外には「放っておいてくれ」という本音が隠れています。政治もちゃんとやるから、俺から茶々を奪うな…そういうことです。こうなっては、秀吉の優先順位は、政ではなく茶々であることを暴露したも同然。同意を求める秀吉に、家康は不信の色を露わにした表情で返すしかありません。
すると業を煮やした秀吉は真顔になり、「茶々は離さん」と本音を吐きます。その答えにいよいよ、家康にも、秀吉が色ボケで、自身の欲望と政治の区別がつけらなくなり迷走していることが分かってきます。「殿下のお心を惑わす者です!」と強い言葉で、彼女の危険性を追及するのは、秀吉を元に戻そうとする家康の必死さの表れですが、秀吉は「茶々を愚弄する気か」と揚げ足を取り、家康に詰め寄りつかみかかると、「図に乗るなよ。わしは太閤じゃぞ。その気になれば、徳川家など」と義弟である家康に脅し文句を言い出します。
並の大名ならば、この言葉だけで平伏したでしょう。しかし、家康は若い頃からその得体の知れなさに翻弄され、あるいは利用もされました。また、天下をかけて秀吉率いる軍勢と直接対決をして勝ったのは彼だけです。誰よりも秀吉の恐さを知っているのは、実は家康だけです。だから、この脅し文句に、家康は秀吉の虚勢を読み取ってしまいます。最早、秀吉のほうが腹芸も出来ていない散々な有り様です。
そして、虚勢を張るだけに堕ちた秀吉をきっと睨み返し、「かつての底知れぬそなたならば、そんなことは言わん!」とつかみかかっている秀吉の手を無理矢理引きはがします。家康の怒りの籠ったこの言葉には、秀吉という好敵手への敬意、そして才気に溢れていたはずの男が見る影もなくなっていることへの哀しい思いも重ねられていますね。
だからこそ、何としても元に戻さなければなりません。それが彼のためであり、ひいては天下のためだからです。そして、「目を覚ませ惨めぞ猿」と彼の最も嫌う呼び方で敢えて呼び、一喝します。思わず腹を立てた秀吉のその機を見計らって、信長仕込みの技で組み倒します。軽々と畳の上にのされた秀吉を家康は「何が彼をこうしてしまったのか」と憐れむような視線で見つめます。
(2)天下人だけが抱える孤独感~3匹目の狐~
ここへ空気を読まない闖入者(ちんにゅうしゃ)が「大丈夫、わしゃ将軍だ」と表れます。忠勝が止めるのも聞かずに部屋に入ってきた足利義昭です。秀吉と家康の両方がいることは承知の上で入ってきた彼は一杯だけと言いながら「将軍だった頃はな、この世の一番高いてっぺんに立っているようなもんでな。下々の者がよ~く見えた。何もかも分かっておった…」と自慢話のように語り始めましたが、そうではありません。
「そう、思い込んでおった。すべて見えていると思っていたが逆であった。実は霞がかっておって何もわからん」という自戒が入り交じった警句が続きます。頂点に立った者だけが味わう、全てがクリアに見えて何もかもが自分の思いのままになる万能感。それが錯覚であると義昭は語ります。
因みに「周りがいいことしかいわんからだ」という彼の言葉からは、霞の正体は、将軍を誉めそやし、将軍に都合のよい、心地よい言葉だけをはく佞臣たちです。彼らは将軍に対する敬意からそうしているのではありません。天下人の権力に恐れをなして保身に走る者、あるいはその地位を利用し、自分自身の欲望を満たそうとする者、いずれも利己的です。
天下人を人間として見て、彼を理解し、守ろうとする人々ではないですから、彼に真実を告げません。だから視界は霞に覆われます。こうして、真実を気づかせない彼らの甘いささやきは、天下人の万能感をさらに底上げし、迷走、暴走へと招くのです。「自分はそうならんと思っていても、必ずぞうなる」、それが天下人の宿命であると言います。
続けて義昭は「てっぺんはひとりぼっちだ」と言います。頂点は一人だけです。それゆえに誰にも頼ることもできず、己一人で物事を判断し、ただ一人に与えられた強大な権力をふるうのです。その悩みは誰とも共有できません。だから、孤独なのです。
思えば、安土城で天下人の苦悩を家康に絶叫した信長も幼少期の教育とも相まって、ひたすら孤独に打ちひしがれていましたね。彼は自分のために権力を行使するタイプの人ではありませんでした。あくまで、天下一統のための必要にその力はあります。おそらく彼は、権力者の持つ巨大な権力が感じさせる万能感が、まやかしであることに気づいていたのではないでしょうか。
権力者もまた、国という社稷(しゃしょく)を守るシステムの一つに過ぎません。自分の欲望を叶えられる権力を持ちながら、ほとんど自分のためにその力を行使することが許されません。自身の簡単な言動が大きな影響を及ぼすからです。
だから、信長は己を律して、理想に燃え、そのために全てを捧げたストイックな人物でした。しかし、そんな彼をしても、孤独にさいなまれ、自身の抱えた罪の重さに独り耐えていました。それゆえに時には暴走し、その結果、彼は本能寺で光秀に討たれることになります。
秀吉はどうでしょうか。彼は欲望の権化です。ですから、次々と他人の精気を吸いあげ自らの欲望を叶え続けることに自身の権力を行使してきました。それが許されたのは、天下一統の完遂、大阪を一大商業都市にするなど、その欲望が他者の欲望と合致していたときです。他者にも利益を与えられた間は許されたでしょう。
しかし、その行為はいつしか彼個人の際限のない欲望を満たすだけに使われるようになりました。それため人心は彼から離れ、ただでさえ孤独な権力者、秀吉をさらに孤独な存在にしていきます。困ったことに秀吉は、その孤独を埋めるために今まで以上の権力を行使しますから、彼の飢餓感はある種のマッチポンプとなっています。
因みに家康に見せた茶々への妄執もこの飢餓感による点が大きいでしょう。
まず考えておきたいのは、秀吉が欲したものの一つは家族であるということです。極度の貧困生活という家族らしい家族生活を手に入れ損ねた原体験があるだけに、「普通の家族」は喉から手が出るほど欲しいものでした。
そして、極度の貧困の中を生きてきた秀吉にとって豊かな家族の絆とは、飢えを気にすることなく贅沢ができる裕福な生活を与えることでできると彼は信じたのではないでしょうか。仲を贅沢三昧できる聚楽第に押し込め、旭には嫁入り道具として南蛮渡来の菓子や最新の化粧品などを使いきれないほど持たせていることも、彼なりの家族愛だったのでしょう。
しかし、それは彼女らが望んだことではありませんでした。仲はお天道様のもとで一日、畑を耕していくことが人生そのものでしたし、旭も夫と慎ましやかに朗らかに生きられれば良かったでしょう。人間らしく生きられるだけの生活の余裕を与え、後はそれぞれが自身の幸せを求めることを見守るだけで十分だったのです。
彼らに過剰な贅沢をさせるため、ひたすらに欲望を追求し、他者を蹴落とし、あるいは取り込んでいく秀吉の姿は、逆に彼らを縛り、そして秀吉に恐れを抱かせる結果になってしまいました。つまり、彼の家族サービスは、家族のためであるように見えて、実は彼らの希望を無視し、自分の家族観を実現するだけの一方的なものでしかなかったのですね。でも、ある面では仕方がなかったのです、母に「なーんも」与えられず、一人で生き延びていくことに必死だった彼は、愛情や家族の何たるかも知る機会がなかったのですから。
結局、秀吉の一方的な家族愛の結果、腹心として自分を支えてくれた秀長も、家康との縁を取り持った旭も、そして実母も、皆、秀吉を恐れ、一方で案じ続けながら、彼を置いて世を去っていきました。鶴松についても、一説には、秀吉が公式の場に身体の弱い鶴松を連れまわしたせいだとも言われていますから、彼の過剰な愛がその死に一枚噛んでいると言えなくもありません。
そして、今また寧々もまた彼を支えきれない旨の発言をしました。勿論、寧々の言葉は彼を孤独にさせるためのものではないのですが、彼女の言葉を真摯に受け止めることよりも、寧々にすら見捨てられたとの思いのほうが強いのではないでしょうか。
そう考えると家康の自陣に招かれた際の秀吉の無表情は、ほとんどの家族に去られてしまって呆然としているようにも見えます。もしかすると、家を飛び出した頃の彼はこんな顔をしていたのかもしれません。ムロさんのあの表情の演技に深みを感じてきますね。
こうなると彼の手元に残っている人間は、秀吉の全てを受け入れてくれるように見える茶々だけになります。彼女は、彼のすることは何でも二つ返事で受け入れてくれますし、彼の自己満足をくすぐるようにおねだりをしてくれますし、彼女といるだけで自分の卑しい出自も忘れられ、亡くなったとはいえ我が子を抱かせてくれました。彼の望む家族的な幸せを与えてくれる彼女は、彼自身の飢餓と孤独を埋める存在です。だから、手離すことはできないのです。
しかし、それが秀吉の錯覚に過ぎないことは、家康だけでなく視聴者にも分かっていることですね。茶々は秀吉の孤独を埋める人ではありません。彼女は自身の欲望を叶えるために、秀吉の願望を読み取り、彼が気に入る媚態を演じ取り入っているに過ぎません。極端なことを言えば、彼女の天下取りの願望を叶える近道になる者であれば、それが誰であっても構わないのです。秀吉は救われませんね。
このように整理してみると、鶴松の死を機に始まった「唐入り」という暴走も、天下人ならではの孤独に加え、家族愛への飢餓感から孤独という二重の孤独を抱えた結果の悪循環が生み出したと言えるでしょう。
となれば、「老い」と「女性」と共に秀吉にとり憑く3匹目の狐が「孤独」であることが見えてきますね。そして、秀吉の場合、この孤独感が、茶々という「女性」と「老い」という2匹の狐と絶妙に絡み合っていることも注目しておきたいところ。この狐退治は一筋縄ではいかないのです。
それでは、孤独な天下人は何に気をつければ良いのでしょうか?経験者、足利義昭は「遠慮なく厳しいことを言ってくれるもん」がいたから自分は助かり、こうして生きているのだと、権力が生む万能感という錯覚と孤独の悪循環を回避する方法もちゃんと伝えてくれます。
諫言する助言者がいたからこそ、彼は最後には将軍職を返上することができたのでしょう。その穏やかな表情には、将軍に固執していた頃の醜悪さも、また天下人としては失敗してしまった後悔も見られないのが印象的ですね。あるいは、彼を力ずくで追放した信長や裏切り足蹴にした光秀すらも、今となっては「遠慮なく厳しいことを言ってくれるもん」の一人になっているかもしれません。
天下人から堕ちた彼だけに諫言する者を大切にせよという「信用する者を間違えてはならんのう」の言葉は、経験に裏打ちされた重みがあり、秀吉と家康の双方に深く刺さります。もしかすると、義昭を止めに部屋に入った本多忠勝の心にも。だとすれば、彼は死ぬまで家康に苦言を呈してくれる忠臣となるでしょう。元より言いたい放題ですが(笑)
こうして言うことだけ言うと、「伊達は酒が強いからの」とさっさと去っていきます。この一つの場所にもとらわれない自由奔放な姿。頂点を極めながらも、それをさらりと捨ててしまえる融通無碍(ゆうづうむげ)は、実は本来、権力者が目指す一つの道なのかもしれません。権力者の座にいかに固執せず、腐らずにいられるか、まさか、俗物の権化のようだった義昭にその答えの一端を教えられるとは、巧くできていますね(笑)どんな役にも化けられる古田新太さんならではの、義昭になりました。
それにしても果たして義昭は、秀吉と家康の一触即発に気づいて、この話をしにきたのでしょうか。それとも偶然でしょうか。どちらであっても、元・将軍の訓戒が秀吉の心を救う一端となることは確かです。そして、それは秀吉が義昭と厚遇していたからこそ起きたことです。秀吉には、彼が作った縁により、家康を含め、まだ諫言し救ってくれる人はまだいます。遅くはないかもしれません。
(3)秀吉を正気に返す家康と秀吉を狂気に戻す茶々
さて、義昭の話に毒気が抜かれた秀吉は、憑き物が落ちたような顔つきで「おめえさんはええのう、ずっと羨ましかった。生まれたときからおめえさんを慕う者が大勢おって…わしにはだーれもおらんかった」とようやく長年、家康に対して抱き続けてきたコンプレックスを告白します。
以前からのnote記事で何度も触れていることですが、秀吉にとって「良い家柄に生まれ、人質とはいえ武術と学問について高等教育を受け、祖父の代から続く粒ぞろいの譜代の家臣たち、政略結婚とはいえやんごとなき姫と恋愛結婚という」家康は、最初から全てを持っている人間に見えています。
普段から相手の望む姿に擬態する秀吉が、家康にだけはあからさまに小馬鹿にしたり、茶化したり、恫喝したり、利用したりとその本性を隠さないのは、抑えきれない嫉妬と羨望がなせる業でした。ただし、そのことを明言したのは初めてです。それだけ、今の彼が正気に返っているとも言えます。
正直にコンプレックスを吐き出す秀頼の脳裏に閃くのは、母の「自分がほんとは何が欲しかったんだか、自分でもわからんようになっとるんだわ」との台詞です。秀吉はようやく、自分の欲しいものが自分を慕ってくれる者であることに気づいたのかもしれませんね。家族に固執したのも同じことです。
彼は、裏表なく本音で付き合え、彼自身を心から敬愛してくれる友人あるいは家族との絆が欲しかった。その絆こそが、彼の渇きを癒すものだったのです。そのことがわかるのにこんなに時間をかけてしまったことは皮肉です。そういう絆を結びたい人間のほとんどが、秀吉の目の前を去ってしまっているからです。
カメラは、力なく告白する秀吉のアップから、そんな秀吉を見つめる家康の顔へとフォーカスを変えていきますが、その顔は全てを手に入れたはずの天下人の意外な言葉への軽い驚きと彼の孤独を垣間見てしまったショックと憐れみが見られ、ますます秀吉を憐れにしていきます。そして、秀吉を斜め後ろからアップで捉え、その思いがなんであるのかは視聴者の共感に委ねます。
そして、振り返った秀吉は家康を見据えて、もう信に足る者がいないからこそ「わしを見捨てるなよ」と依頼します。家康は元来、優しい人です。困っている人間や弱者を見捨てることができません。だから、秀吉の言葉に誠意をもって黙ってうなずきます。寧々曰く、秀吉が裏表のない人物と見込んだのは故・信長と家康だけです。その家康のうなずきだけ十分です。彼は、家康の諫言を受け入れることになります。
こうして秀吉は、茶々に京へ戻るように命じ「これまでのことは感謝しておる」とまで言います。本格的に遠ざける決心をしたと察せられる言葉です。一方で、泣きすがる茶々を抱きしめる秀吉の表情からは、離れがたい気持ちも垣間見えます。そんな二人をカメラは、臥所(ふしど)を入れたロングショットで捉えます。この最後の夜の営みがラストシーンへの軽い伏線なのは言うまでもありません。
そして、朝鮮から引き揚げ、思うように戦況が好転しなかったことを平伏し詫びる三成たちを「そなたらが最善を尽くしたことはようわかっておる」と労い、「万事そなたらの言うとおりにする」と一任します。明の使者も連れ帰った彼ら事務方の仕事は確かだろうとの判断です。秀吉は、憑き物が落ちれば、威嚇するようなこともなく、粛々と間違いのない決断で物事を進めていきます。「よう休め」という気遣いの言葉に三成たちは報われた表情をしていますね。ようやくまともな執政をする秀吉に家康も薄く安堵の笑みを浮かべています。
とはいえ、この間、一度も秀吉はカメラに入ってきませんから、その放心したような声からは彼の本心は窺いしれません。
さて、物事が順調に進み、文禄の役も終幕が見えたそのとき、秀吉の下へ茶々からの書状が届きます。訝しむ秀吉ですが、読んだ途端、「そんな…」と思わず立ち上がり、「子ができた、茶々がまた身籠った…」と一同に告げます。喜ぶどころか皆「え?」という表情なのが意味深ですね。三成すらきょとんとしていて波乱を予感させます。
そして、子ができた、諦めていた嫡男がまた得られるかもしれないというその機会に…最初はただただ驚いていただけの秀吉もやがてこみ上げる笑いを押さえられず「アッハッハッハッハッハッハッハッハッ」と狂ったような哄笑を始めて、今回は幕を閉じます。
この秀吉のラストの哄笑シーンの映像の構成は興味深いですね。ここでは、秀吉の笑う姿を普通の動画にせず、レコードの針飛びのようにカットを繋ぐジャンプカットを使用しています。不自然なつなぎになることで、画面全体に不安を与えているのです。ですから、こうしたカットの組み合わせで、一度は正気にかえった秀吉が再び狂気に引き戻されたこと、そして次回以降の展開の不穏な空気を強調しているのですね。
さらに、この秀吉のジャンプカットの中にお腹をさする茶々と子をなして勝ち誇る彼女のカットが挿入されているのが秀逸です。これによって、秀吉の狂気を支配しているのは茶々であることが明確にされ、そしてオープニングアニメの狐とも呼応することで、この第38回が茶々という女狐に翻弄された回であったことが説明されるのです。いよいよ、茶々が家康の敵として表舞台に現われようとしているのです。
おわりに
秀吉にとり憑く狐、それは「老い」、「傾国の美女(女性)」、「孤独」の三匹でした。しかも三匹は単体で存在するのではなく、複雑に絡みあって秀吉にとり憑いています。それゆえに母からの謝罪、義昭からの訓戒、そして家康の真心をもって一旦は退けられた狐はあっという間に復活してしまいました。
特に秀吉の場合は、老いて孤独な天下人の心の隙間に入り込んだ茶々が中心にいます。
彼女は、老いた秀吉が望む血をわけた嫡男を再び、彼に与えます。真偽は定かではありませんが、秀吉からすれば、一度失い二度と手にすることはないと思っていた我が子の再来。それだけに、今度こそ二度と吾子を失わないため、あらゆる手をつくし、彼とその母茶々の将来のためだけにその権力を振るうでしょう。関白秀次の切腹はその一つに過ぎません。最早、彼には天下人としての矜持もなく、幼子ゆえに自分を無条件に慕う秀頼しか目に入らなくなります。
結局、秀吉は孤独に耐え切れなかったが故に茶々につけ込まれ、良いように扱われることになりそうです。逆に茶々は「御袋様」と称され正室・寧々に次ぐ立場を不動のものとし、今後は堂々と大名らも惑わしていくことになりそうです。手始めに来週予告編では、秀頼が秀吉の子ではないという衝撃の言葉で、秀吉に復讐する気配を見せていますね。以前、「秀吉を翻弄する可能性もあります。その場合、例えば、秀頼は秀吉ではなく大野治長の子という説を取り、死に際の秀吉にそのことを囁き、復讐を果たす…というようなこともないとは言えません…」とnote記事で書きましたが、本当にその路線でいくのでしょうか。
ところで、注目しておきたいのは、この秀吉にとり憑く三匹の狐は、家康にとっても他人事ではないということです。
第38回の家康は、その鮮やかな振る舞い、腹芸をこなす胆力、状況を的確に生かす頭の回転の速さなどその人間性の面で、かつての面影を失った秀吉を圧倒しています。視聴者の眼にも頼もしく写ったのではないでしょうか。その一つ、一つの動きに信念を漂わせた今の家康は、おそらく人間的に最も充実している時期を迎えているのでしょう。それは、既に家康が秀吉退場後の天下を担うだけの準備ができていることを意味しています。
しかし、物語的にはまだ38回、まだ10回分、人生的にはまだ24年間が残っています。そして、まだ天下人にはなっていません。まだまだ先が長いことは重要でしょう。
今の充実した家康には、まだ「老い」は忍び寄る気配はありません。また相変わらず女性には弱いですが一方で公私頼りにできるパートナーとして阿茶がいますし、彼は女性たちの言葉に耳を傾けます。
そして、言いたい放題の家臣たちが時に諫言しつつも、その本音は家康を心から慕う者たちであることは前回、改めて確認されました。秀吉は「生まれたときから」と羨ましがりましたが、それだけではありません。数々の苦難を共に過ごし、無数の失敗を重ね、かけがえのないものを失うことで、こつこつと積み上げてきたものです。最初から慕っていた者などほとんどいません。
何にせよ、家康はその人徳と築き上げた関係性により、今の充実を迎えています。今、天下を握ったとしても、孤独とはならないでしょう。
しかし、残念ながら、家康の今の充実は永遠ではありません。今以上に老いれば、身体も頭も思うようには働きません。そうなれば、物の感じ方も捉え方も自然と変化します。死が迫る老いゆえの焦りから、家康が今までにない強引なことをしないとは限りません。
また等しく老いるのですから、家臣たちも同様です。彼を支えている家臣団もさまざまな事情から徐々に去っていきます。現在のレギュラー陣で最後まで家康につき合えるのは阿茶ぐらいでしょう。そして、天下人になってから出来る縁は、家康個人に対してではなく、天下人という地位でつながる人々が多くなります。心から慕い、諫言してくれる存在は自然と彼の周りからいなくなるのです。
こうなったとき、家康は天下人の孤独に耐えながら、耳の痛い諫言に耳を傾けられるでしょうか?
そして女性問題(傾国の美女)ですが、こちらも一抹の不安がないでもありません。家康は晩年、お梶の方という孫のごとく若い女性を側室を迎えます。彼女は心映えも良いとされますが、家康のほうが老境の淋しさから溺れないとは限りません。
このように「老い」「女性」「孤独」の問題は複雑に絡みあい、いずれ天下人になった家康も対峙しなければなりません。阿茶の「人は誰しも老いまする」と義昭の「自分はそうならんと思っていても、必ずぞうなる」の言葉が予言めいたものとして響いてきますね。
また家康は秀吉と違い子女が多くいます。後継者問題を含め、彼らの処遇も頭を悩ませることになるでしょう。
したがって、秀吉の老境と寧々の暗躍を描きながら、家康が天下人となった際の孤独な闘いを暗示しているのが今回の内容と言えるでしょう。果たして、家康は老いた天下人特有の問題にどうつき合っていくのか、それが終盤の見処の一つとなるのではないでしょうか?やはり「どうする家康」は最後まで「どうする?」を家康に問いかけるようです。
こうした天下人家康を描く終盤を考えると、彼の目の上のたん瘤として、最晩年まで茶々の存在が立ちはだかるのは、結果的に家康を謙虚にしてくれるような気がします。
そもそも、「どうする家康」では幼少期より織田家の人の想いと浅からぬ縁があります。しかし、家康を終生唯一の友と想い極めた信長の願いには応えられず、彼を初恋の人として慕うお市の命も救うことができませんでした。これは一重に当時の家康にその器量がなかったということに尽きますが、おかげでその燻った情念は茶々の中で怨念めいた火を燃やしているように見えます。
織田家の重たい情念を引き受け浄化するのは、天下人の器量を得た家康の宿命なのかもしれませんね。
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