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「どうする家康」第31回「史上最大の決戦」 秀吉の恐るべき本性と家康&家臣団の理想の違い

はじめに

 第31回は、小牧・長久手の戦い前夜における徳川家と家臣団の結束とそれを一手に引き受け対峙する秀吉の恐ろしさが対比的に描かれました。そして、その狭間で人知れず苦悩する石川数正が印象に残りましたよね。


 さて、家康と秀吉の唯一の直接対決として知られる小牧・長久手の戦いは、徳川家では特に顕彰されています。これは、関ヶ原の戦いでは徳川軍の主力が活躍出来なかったことが大きく、徳川四天王の活躍が随所に見られるこの戦のほうを重視したためです。

 徳川家の正統性を描いた頼山陽『日本外史』(後に尊王攘夷派に誤読されますが)にも「公(家康)の天下を取る、大坂に在らずして関ヶ原にあり、関ヶ原に在らずして、小牧にあり」と記され、家康の天下人への基礎になったとしています。『日本外史』は史料的な価値は低いですが、神君家康公神話がいかに浸透していたかは端的に示しています。


 ただ徳川史という縦軸の意味が強調される一方で、この戦の同時代的な意味、あるいは戦略的意義はあまり重要視されません。そもそも、「小牧・長久手の戦い」という局地戦のような名称とは裏腹に実際は織田・徳川による長宗我部、雑賀、佐々を巻き込んだ秀吉包囲網VS秀吉軍という全国規模のものでした。結果的には、天下の趨勢を決めたという点においては、関ヶ原の戦いに匹敵する天下分け目の戦いでした。

 勿論、直接対決は家康の勝利に終わるのですが、天下は秀吉のものになりました。つまり、「戦に勝って、(天下取りの)勝負に負けた」のが、小牧・長久手の戦いなのです。この辺りが、小牧と長久手の名前だけが残り、局地戦の部分だけを肥大化して顕彰の対象となった所以の一つでしょう。


 果たして「どうする家康」は、秀吉包囲網という家康側の戦略を受けて「史上最大の決戦」というサブタイトルを付けました。つまり逸話として顕彰される面を描きながら、神君家康公神話が触れない「家康と秀吉の覇権争い」そのものの推移を大局的に描こうとしているのですね。

 実は前回の天正壬午の乱から、家康の戦が変質していることにお気づきでしょうか?本能寺の変以前の家康の戦は、目の前の危機に対する対処療法でした。しかし、天正壬午の乱については、劇中、家康自身が秀吉を討つための力を蓄えるためと明言し、信長の仇討ちやお市への救援という彼自身の心情を後回しにして行動しています。以前、姉川で感情的に浅井長政に付こうとしたあの愚かしい若さとは対照的です。
 つまり、ここからの家康の戦は、天下取りのための具体的な方策として、自ら進んで選んだ戦となります。状況に右往左往していた戦とは、描き方が根本的に変わってくるでしょう。


 となれば、小牧・長久手の戦いも家康なりの天下取りのための大局的な策として描くほうが自然になってきますね。秀吉VSお市が主になっていた前回では描き切れなかった新しい家康のあり方も今回でより明確になってくるはずです。また、大局的な視野で描くことで、局地戦としての小牧・長久手の戦いだけでは見えてこないものもドラマとして描けるはずです。
 それでは、家康と秀吉による覇権争いはどういう意味を持つのでしょうか。今回は、この点について家康と秀吉の違い、数正の様子から今後の展開も含めて考えてみましょう。



1.本音と冷酷な打算が入り混じる秀吉の心底の分かりづらさ

(1)秀吉への戦勝祝いをとおした家康の算段

 今回の導入は、直政から北ノ庄城落城の報告を受け打倒秀吉を決意する家康と「えびすくい」の替え歌を謡う秀吉という前回のラストシーンの抄訳が挿入されます。いわゆる「前回のあらすじ」と少し違うのは、このラストシーンに前回にはなかった以下のシーンが追加されていることです。秀長は柴田勝家の討伐をもって「これで、兄さまの天下だがや」と破顔するのですが、秀吉は真顔のまま「めんどくせぇのが残っとるがや」で返し「なんとかせなあかん…」と寧ろ危機感を募らせます。


 この「めんどくせぇの」が家康たち徳川勢であることは言うまでもありません。前回のnote記事で「織田家の筆頭だった柴田勝家亡き今、秀吉にとって最も邪魔なのが高い兵力を持つ家康」と指摘したとおりです。その後に、例の歌詞を白兎に換えた「えびすくい」の歌が流れますから、歌ったときの秀吉の心情は、やはり次の敵である家康をどう始末をつけるのかの算段をしていたことが確認できましたね。そして、秀吉もまた家康を狩るべき「兎」だと認識していることが分かります。
 対等なようで対等ではない…前回のnote記事でラストシーンは秀吉に支配されていると読み解きましたが、まさに時代を支配しつつあるのは秀吉のほうなのです。家康の決意すら秀吉の家康抹殺のための材にしかなりません。


 そして、この前回ラストを冒頭に入れたことで、お市が織田家の理想と共に滅びた北ノ庄城の戦い、家康にとっての痛恨事が、家康と秀吉の覇権争いという数年にわたる攻防の序章でしかないことが見えてきます。したがって、今回から描かれる小牧・長久手の戦いは、覇権争いの第二章として位置づけられることになります。



 オープニング後は大阪にいる秀吉の元へ使者として訪れた数正です。そこには秀吉との謁見を求めて順番待ちをする各大名、公家、商人らが行列をなしています。明智討伐の武功、そして織田家家中を掌握した秀吉の声望は日に日に高まっていることが一見にして分かるという光景です。数正は、その圧倒的な様子に呆気に取られながらも、その行列に並ぼうとしますが、秀長は徳川様をお待たせするわけにはいかないと風下に置かぬ待遇で秀吉の元へと連れていきます。


 カットは浜松城へ切り替わり、数正が秀吉の元へ派遣された事情が、家康と家臣との会話でやり取りされます。概ねは、前回、本多正信が家康に「お市と秀吉、勝ったほうに祝いの言葉でも送ればよい」と進言したことを実行したのですが、敢えて対決姿勢を露わにしなかったのは、秀吉が建前は、信長の直系の孫、三法師を立て、信長の三男、信雄を後見人とし、自身はあくまで織田政権下の実力者という立場に収まっているからです。実質はともかく、道理に合わせている以上は彼を攻める明確な大義名分はありません。まして、家康はお市たちとの騒動を謀反とせず、織田家中の出来事だから無関係と静観する立場を取ったのですから尚更です。


 内心、苦々しくもその判断の妥当性には異を唱えることもない家臣たちですが、戦勝祝いの贈り物が、「唐物肩衝茶入(からものかたつきちゃいれ) 銘 初花(はつはな)」であったことから色めき立ちます。「信長さまからの形見の…」と絶句し狼狽える忠世の反応だけで、どれだけの名器であるのかは知らない人にも分かるという演出で十分なのですが、一応、説明すれば、初花は、楢柴(ならしば)肩衝・新田(にった)肩衝と並んで天下三肩衝と呼ばれた茶器の一つです。

 肩衝(かたつき)は肩が張ったようで武士が座っているように見える茶入れということで、武士の間では人気の茶器。その頂点たる天下三肩衝は後々、全て秀吉のものとなりますが、最終的には全て家康、徳川宗家のものとなります。そして、行方不明になった楢柴以外は、現在も徳川財団が所有保管しています。ですから、悔しがる家臣団と共に「あんな猿ごときに…」と悔しく思われた視聴者の方もご安心ください。ちゃんと家康の手元に戻ります(笑)刀剣や茶器が贈答品となったのは、戦乱が続き、分け与える領地や金銀が不足した結果、その代わりとなったのが始まりなのですが、刀剣の宗三左文字といい初花といい、天下の名品は結局、天下人を渡り歩き、落ち着くのだというのが面白いですね。


 ともかく家臣団の心配は、それほどの名器を差し出すことで、秀吉を恐れていると足元を見られるのではないかということ、そして、その果てには臣従を求められるに違いないということです。要は、家康は既に秀吉に屈服するつもりなのではないか、ということを案じているのです。武田の遺臣を任され、正式に評定に参加できるようになった直政が、若く血気盛んであるがゆえにその危惧を代弁するあたり、家臣団の役割分担が出来ていて良いですね。
 「そう見えるか?」と答える家康の容易に本心を見せない様子に後々の狸親父と呼ばれる老獪さが窺えます。今回、家康を始め、全員が一様に年を重ねた風貌になり、家康も髭を蓄えるようになりました(大河ドラマは髭が生えたら中年期ですね)。演技もそれに合わせたかのように少しずつ貫録が付いてきましたね。


 ここで忠勝が、その家康の言葉を引き受け、「そう見せかけて秀吉を油断させる、あるいは腹の中を探る」と主君の意図を汲んで説明します。初花はあくまで、秀吉にこちらの心底を掴ませず、攪乱するための道具であるというのです。茶器は道具です。コレクターであるならば後生大事に抱えるのもありですが、そうでないならば使えるときに使うものだという家康の割り切りが良いですね(使い方は茶の湯ではなく駆け引きですが)。

 初花が駆け引きの目くらましになるという家康の算段には、それなりの理由があります。家康が信長所有の初花を所有できたのは、ある種、偶然なのですが、一方で信長の弟分としては妥当なところです。それを、秀吉に献上するということは、秀吉を信長-信忠に続く後継者として認めるというニュアンスを含むからです。実際、秀吉は初花を入手した後、細川幽斎、千宗易、津田宗及、今井宗久など錚々たる面々を招いて、大阪城で初の大茶会を開き、自身の権威づけを内外に行っています。


 こうした家康の考えを、阿吽の呼吸で若い直政に説明するというシチュエーションが良いですね。本質はかつての猪武者のままである彼も長年の経験から直情的な面は影を潜め、家康との関係の深まりを感じさせます。それと同時に忠勝なりに直政に対して、主君の意を汲み方や直線的ではない物事の捉え方を手本として見せているのでしょう。

 実は忠勝は、物語中盤、秀吉との戦に向けて出陣が決まった際に皆で「異存なし!」と声掛けをする際にも、鼓舞するように直政の肩を叩いています。叔父の遺志を継ぎ、またかつて年配勢が自分にしてくれたことを後輩である直政にしている…忠勝の成長を見せると同時に、徳川家臣団が同輩との横のみならず、世代という縦のつながりにおいても組織として上手く機能しつつあることをも見せていると言えるでしょう。


 そして、家康は忠勝の言葉に深く頷き「数正がしかと確かめてくるだろう」とその場を収めます。徳川家の宿老である数正が家康の使者として選ばれているのは、秀吉を軽んずることのない家中での地位、そして家中での信頼度、そして、家臣団の中で比較的冷静にものを分析し、視野が広いこと、この三点であることが示されています。本来なら、実直な数正よりも、胡乱で口八丁な本多正信のほうが、何を考えているか分からない秀吉の相手には向いているのですが、最初と二つ目の条件に合わないのですよね。まあ、偽本多だし(笑←



(2)数正を通した家康と秀吉の腹芸の勝敗は?

 こうして、数正の秀吉との謁見が始まります。平伏する数正に秀吉は最初こそ「大義であった」と杓子定規に応じたもののすぐに「堅っ苦しいのはやめだわ~!」と上座を降り、「まぁ…いつ見てもええ男っぷりだわ」と下にも置かぬ親しさで接します。これは、相手が緊張していることを見て取り、人懐っこく、気さくに応じることでその虚を突いて相手の心の懐に飛び込む…秀吉が相手を籠絡する際の十八番ですね。こういうのはタイミングが肝心ですが、秀吉は天才的なものがあります。

 ただし、いつもどおり目の笑っていない満面の笑顔ですから、よく知る者には考えが読めないだけに怖いだけです(笑)そのせいか、渋面が素面の数正は平伏したままで、その手に乗ることはありません。「お戯れを」などという合いの手も入れません。数正も数えで51歳となり、一段と老けた顔になっていますので、秀吉の台詞はあからさまな世辞と分かるのもあるでしょう。それを臆面もなく言えるところが秀吉の心臓の強さですが。普通は相手の無反応に心が簡単に折れます(笑)
 因みに余談ですが、皆、今回から急激に老けましたけど、実はこの時点では本能寺の変からまだ一年と経っていません(笑)


 ところで、その世辞の後の「徳川殿が羨ましい」と呟きつつの「わしもそなたのような家臣がほしいのう…」という言葉は、存外、嘘ではありません。以前の記事でも触れましたが、秀吉にとって家康は最初から全てを持っている人間に見えています。生まれつき良い家柄の武士、人質とはいえ武術と学問について高等教育、祖父の代から続く粒ぞろいの譜代の家臣たち、政略結婚とはいえやんごとなき姫が正室…と秀吉が望んでも簡単に得られないものを、当然のように与えられるのが松平家の嫡男なのです。
 勿論、視聴者は、これらを形だけではなく真に手に入れるため、家康が相当の苦労をしたことを知っていますが、何も持たぬ百姓であった秀吉に比べれば大きなアドバンテージがあったことは否めません。


 人は生まれを選べません。だからこそ、秀吉は自分の才覚のみで後付けで様々なもののをもぎ取ってきたのです。そうした秀吉からすれば、家康は憧れであり、そして許せないほどに妬ましい存在です。だからこそ、最初からずっと事あるごとに家康の世間知らずを小馬鹿にし、からかい、また使えるときは利用してきたのです。
 ですから、「徳川殿が羨ましい」のも本音ですし、「わしもそなたのような家臣がほしい」もまた最初から数正のような優秀な家臣がいたら苦労は少なかったという思いがあります。そして、あの家康から数正を引き抜いたらどんな顔をするであろうか、そんな下卑た快感も考えていたかもしれません。


 が、ここで秀長が献上品の話をして話題を逸らします。おそらく、弟である秀長は、兄、秀吉の人を羨み、妬み、人の持っているものを欲しがる性質をよく知っているのでしょうね。横から口を出したのは、秀吉が本音を漏らし、深みにハマる前に彼をフォローしたように思われます。本作の秀長も出来た弟かもしれません。
 ただ、秀吉は恐ろしく頭の回転の速い男ですし、今後の展開を考えると、この時点でも嫉妬と羨望を募らせつつも、同時に結束の固い徳川勢をいかに内部から切り崩すかの打算も直感的に働いているでしょうね。家康の家臣団の強さの源を断つことは重要ですから。


 そして、件の初花が献上されます。しげしげと眺める秀吉に数正は「はて…おきに召しませぬか」と挨拶以外で初めて、秀吉の腹を探るべくご機嫌伺いをします。秀吉は「もったいねぇ、そんな…」と絶句したように言うと「徳川殿はこの卑しい身の上の猿に、下さるっちゅ~んか?」と遜ったように泣きます。先に述べたように秀吉は、大阪城で初の大茶会に始まり北野大茶湯まで権威を示すための茶会という茶の湯政策を取った人です。ですから、欲深い秀吉は、こうした茶器には目がなく、咽喉から手が出るのも事実。これが入手出来たこと自体はかなり嬉しいはず。そのことは、大阪城で初の大茶会が証明しています。

 しかし、「徳川殿が卑しい私に名器をくださる」という喜び方には「家康、おみゃあ、わしを見下して、これを与えてやりゃあ喜ぶと思っとりゃあせんか?」という家康の心底を見透かす皮肉が込められていますね。感激したかのように大泣きする様は、さっきの本音と違い、誰でも分かるくらい嘘全開です。


 秀吉の凄いところは、それが嘘だと見抜かれていることも承知の上で余計に多弁になることです(笑)ですから、秀吉は数正に「徳川殿に伝えてくりゃあせ!徳川殿が頼りじゃと!支え合って、あ…仲良くやろまいな!」と心にもない言葉を次々と連ねます。
 口から生まれたとは、このことでしょうね。こうして矢継ぎ早に言葉を繰り出すことで、相手に考える暇を与えない。これによって、少なくとも自分の心底がどこにあるかを、相手に掴ませることなく、会話の主導権を握るのが、秀吉の常套手段です。信長に対してもやっていましたし、また家康とのお忍びの鷹狩のときもこの手を使っていましたね。彼特有のポーカーフェイスの一種なのです。

 因みに家康の嘘がバレたときの対応の基本は、「とぼける」です。信長や秀吉に対してだけでなく、瀬名や家臣にもこの手を使っていますので、前の話を見直されたときにでも確認してみてください(笑)


 そして、出来上がった新たな城に招待したいという秀吉の言葉で謁見は終わります。後で分かりますが、これは本音。暗に家康の上洛を促しています。謁見の間の背後にそびえ立つのが建設中の大阪城です。秀吉の威信をかけたこの城を見れば、その権勢に心から跪くしかなくなるだろうとの算段はあるでしょう。後に大友宗麟は大阪城を訪れた際に「三国無双」と感激しています(ゲームのタイトルじゃありませんよ)。因みにこの大阪城築城、総指揮が黒田官兵衛です。未だキャスト発表もなく、出るかどうかは不明ですが、少なくとも今回この付近にいたかもしれません(笑)



 数正の謁見の報告は、家康、忠次、数正の最上級幹部三人の密談として行われましたが、秀吉の心底が見えない以上、あまり有益なものとは言えません。聞くなり忠次は「やはり猿芝居か」と苦虫を嚙み潰したように冗談ともつかないことを言いますが、直接対峙した数正は「赤子のよう」でもあると少し違う印象を指摘し、無邪気さと狡猾さとが同居する秀吉の人となりを「得体が知れん」と危惧します。家康たちの総論としては秀吉の恐ろしさが際立ったと言えますが、数正だけはその奇妙で不安定な人となりが不思議な魅力を放ってきているのかもしれません。


 一方の秀吉は「当人が来ねぇとわな」と吐き捨て、不貞腐れます。この時代、当主が相手方の城へ無条件で挨拶に行くということは臣従を意味します。ですから、初花という最高級の贈り物の価値に惑わされることなく、家康が秀吉に敵対するつもりであることを正確に見抜いたのです。コンプレックスの強い秀吉は、寧ろ、あの初花にこそ、家康が自分をバカにしていると直感したのではないでしょうか。元々、武士階級である家康は、出自から来る強烈なコンプレックスを理解できていなかったのかもしれません。環境的に恵まれた人は得てして、それに恵まれない人の気持ちを想像できないものですから。

 こうして家康の心底を見抜いた秀吉は、次の策を講じることになります。つまり、秀吉と数正の謁見…数正を通した家康と秀吉の腹芸は、秀吉の本音と打算、虚実の入り混じった複雑怪奇な心模様と話芸に翻弄された結果、その心底を掴めず、更にこちら側の心底を見透かされてしまった家康の負けだと言えそうです。


 さて、一方、数正は役宅へ帰ります。出迎える妻の鍋の「大阪はどうでしたか」との労いの問いに数正は答えようともせず、疲れ果てたように一人物思いに耽ります。暮ゆく夕陽に背を丸めている数正をロングショットで捉えるショットには、数正に忍び寄る老い、あまり役に立てなかった使者役の疲れ、そして自分の行く末を案ずる孤独さが見えます。
 しかし、謁見の様子は報告した数正ですが、ますまず権勢を増す秀吉勢の威容までは報告したのでしょうか。家康の志を慮るばかりに、現在の圧倒的な秀吉の力について、敢えて報告しなかったとしたら…数正の抱える苦悩は今後、より大きくなっていくように思われます。



2.家康の人心掌握術~徳川家の強さの秘密~

(1)秀吉の罠と宿老たちの悩み

 家康の心底を見透かした秀吉の次の策、それは信長の三男信雄を安土城追い出すことでした。
 和田竜「忍びの国」や三谷幸喜「清須会議」でも描かれますが、信雄の将としての器量の無さは、信長に相談せず独断で伊賀に攻め入り大敗した天正伊賀の乱、近江まで進軍しながら引き返し父の仇討ちを果たせなかった件などに表れています。それでありながら、家督争いには名乗りをあげて一歩も引かないなどプライドの高さも見受けられます。

 その後も、豊臣政権下では領地替えを嫌がって改易され、関ヶ原の戦いでは日和見で改易され、大阪の陣では間者と思われ大阪城を退去、でもおかげで大名に復帰…と一貫性のないふわふわした行動で酷い目に合いながら、何となく戦国を生き抜いて天寿を全うした人物です。本人の名誉のために言えば、政治センスはゼロですが、能においてはかなりの名手で芸術には秀でた人です。ダンスもキレキレのミュージシャンである浜野謙太くんが、信雄を演ずるというのはなかなかハマり役ですね(笑)
 ともあれ、面白い人物ですが、人の上に立たれては困るタイプに人です。まとめれば、状況判断が甘く、度胸がないくせにプライドだけは高い人物というところでしょうか。


 こういう人間を動かす、秀吉の信雄に対する辛辣な物言いと恫喝は秀長との連携と相まって巧みですね。「己の器を知るっちゅうことは大事なことでごぜぇますよ」「できもせんことをやらされることほど、つれぇことはございませんぞ」と子どもを諭すように、そしてお前のためだと言わんばかりに彼の無能を告げます。伊賀天正の乱での無能ぶりからして、有能な父に対するコンプレックスがあるであろう信雄の痛いところを突くのです。
 彼の「必ず天下人にする」に乗せられていた信雄は、ようやく自分が良いように操られていたことに気づきましたが、時すでに遅し。多くの戦場をくぐり抜け、自身の武功のためには悪辣なことにも平気で手を染めてきた秀吉とは貫録違い。日和った彼はすごすごと清州に戻る他ありません。

 狡猾な秀吉は、武田勢と長らく戦い続けた徳川勢の精強さをよく知っています(第30回)から、家康に直接、自らが攻撃をしかけるような愚は冒しません。盤石に勝てる見込みを作ってから、動かなければなりません。
 その状況作りをするため、まず、然したる力量もない小者を駒として動かすことで、様子を窺うのです。ですから、秀長に信雄をよく見張るよう指示を出します、「誰に泣きつくか」と嘯きますが、清須の近隣にいる家康しかいないことは明白です(越中にいる佐々成政では遠すぎます)。


 果たして、信雄は清須に家康を招き、天下を取り返してくれと頼み込みます。この申し出に薄く笑みを浮かべる家康の評定にもまた老獪さが少し出ていますね。彼にしてみれば、やっと舞い込んだ大義名分だからです。だから、「織田と徳川は、何をおいても助け合う」とこの清須城で誓ったと信長が亡くなり事実上反古となった清須同盟の盟約を持ち出し、それを長らく守ったことを信雄に伝えます。未遂だけど家康、信長を殺そうとしたじゃないかとツッコミを入れたい人もいるでしょうが、ここで大事なことは、兵を集めることのできる大義名分の確認ですから、良いのです。どのみち未遂の暗殺計画なんて信長しか知りませんし、これくらいは破廉恥でなければ秀吉には勝てません。
 そして、大義名分を確かにするため、家康は「今の秀吉と戦うのは並大抵ではござらん。」とその難しさを敢えて指摘し、「刺し違える覚悟がありますか?」と信雄の覚悟を問い質します。

 秀吉との直接対決をするためには、確たる大義名分の旗が揺るがずはためいている必要があります。前回の内容からすると、本来、その旗の役割を果たすのは、織田家の理念をその身に体現しようとしたお市でした。しかし、時の運を得られず、それは叶いませんでした。信雄にお市に代わるだけの覚悟を持つことを家康は求めているのです。
 また、小牧・長久手の戦いの結末を知る方は、この大義名分の旗としての信雄が不甲斐ないことをご存知でしょう。前回の峻烈なお市との落差をもって、この戦における不安要素の一つを暗示する演出にもなっています。



 さて、大義名分が確たるものになったとしても「今の秀吉は破竹の勢い」(正信)ですから、戦をすること自体が容易ならざることです。ですから、忠次、数正の両宿老は揃って反対します。忠次は、秀吉の手勢が10万人という埋めがたい戦力差を理由とします。単純ですが、最も重要なことです。その彼我の差を埋められる策があるのかと問うているのです。

 そして、数正は、信雄が家康を頼り同盟を結ぶこと自体が、秀吉の手の内の可能性があることを示唆します。実は、現在の秀吉に直接会い、その磨きのかかった恐ろしさを知っている数正だけが、この件を最も大局的に見ていて、秀吉の意図を正確に言い当てているのですが、ここでは答え合わせはできません。結局は家康の「わかっておる」に引き下がるしかありません。これまでどおり、最終的に家康は正しい判断をしてきた、それを信じるしかないからです。


 一方で、二人の的確な反対理由をもってしても判断を保留にした家康を見た二人は誰よりも、家康が秀吉との戦に臨むであろうことを察していますが、「お止めすることができそうにない」と嘆く数正に対して、逆に忠次は「戦うことになれば、これがわりの最後の戦になるだろう」と覚悟を述べます。これまで二人は共に家康を支え、時には二人して彼を命がけで諫めてきました。その二人の方向性が微妙にズレ始めています。

 このズレは、忠次57歳、数正51歳という年齢差によるものでしょう。若いときのこの年齢差は大したことはありません…というか、当人たちも気にしませんが、年配になってくると結構、響いてくるものです。老境に差し掛かりながらも、やるべきことをなす数正に対して、忠次は還暦が目の前です。今ならば還暦は通過点ですが、平均寿命の短い当時であれば、隠居を考えてもおかしくない。だからこそ、最後の奉公とは何かを考えているのです。

 唐突な物言いに呆気に取られた数正に忠次は「お主はまだいける」と笑って胸を叩きます。忠次にすれば、年下に対する単純な事実と励ましです。しかし、大阪から帰宅したときに見せた寂寥感溢れる数正の姿は、自身の老いと孤独感が表れているようです。こういう心境の中、一番の朋輩が一線を退こうとしている事実は、独り置いていかれるような孤独感が増すだけではないでしょうか?視聴者には明確にはなっていませんが、数正の秘めたる思いは、忠次の引退宣言でより深まっているようにも思われます。
 数正は、組織の中での自分の立ち位置というものに揺らぎを感じ始めているのかもしれません。



(2)徳川四天王の若手衆への根回しが意味すること

 宿老二人の心はいざ知らず、家康は最終的な判断をするため、薬研を回し、薬の調合をしながら再び、自身の心に問いかけます。第26回でも描かれた、家康の調薬シーンは、自身の心の中にある瀬名との対話です。再び、彼の中で「戦のない世の中」を作ってほしい、貴方ならできるという言葉がリフレインされていきます。瀬名が亡くなって以降、恐らく、何千、何万回と家康の中で瀬名との最期の約束と別れが繰り返されているのでしょう。心優しい家康にとって、最も辛かった最愛の人との別れと約束とずっと向き合い続けることは、真摯であるけれど一時期までは地獄であり、彼の心を苛んだに違いありません。意地になって信長暗殺に突き進んだのは、その罪悪感でした。
 しかし、今の薬研を轢く家康の表情は、暗く影を落としよく見えなかったあの頃とは違い、穏やかです。安土城での信長との対話とその後、暗殺を断念するまでの苦悩…それらを通じて、ある種、憑き物が落ちた家康は、「今が立つべきときなのか」という算段、「瀬名との約束を果たしたい」という使命感との間で静かに自問自答を繰り返しているようです。

 そんな家康の手元に木彫りの白兎がいますね。今なお、瀬名は家康の思案と行動を見守っているのでしょう。



 一夜明けた家康は、まず井伊直政のところに表れます。直政は、与えられた武田の遺臣たちを相手に猛稽古に明け暮れており、傷だらけです。信玄の敷いたスパルタ教育(第16回)を生き延びてきた面々ですから、いかに才に溢れた直政でも手こずるのは仕方ないでしょう。しかし、気負いと使命感から「最強の兵を率いるのは私で良いのでしょうか?」と家康に改めて問います。家康は自然と直政の手当をしながら「手なずけられるのは、負けず嫌いで、人たらしのお主しかおらんと思うがな」と茶目っ気たっぷりに励ましてのけます。
 傷だらけの可愛げのある青年武将の手当をする主君というシチュエーション自体に所謂「尊み」を感じた人もいるでしょうが、気軽に手当ができるというこの距離感は、言いたいことが言い合える徳川家の主君と家臣の距離感なのですね。物理的な距離がそのまま心理的な距離にもなっている辺りに、互いの信頼関係に嘘偽りがないことが示唆されています。だから、家康の励ましは、直政の心に染み入るのです。序盤の秀吉と数正との謁見の場も物理的な距離は近いですが、やっていることは腹の探り合いであり、更に秀吉は決して本心を相手に見せません。対照的ですね。
 そして、家康は「近いうちに戦になるが、武田の遺臣たちを思いのまま扱えるか」というようなことを問います。いえ、これは問いではありませんね。「わしのためにやってみせてくれ、期待しているぞ」という命令であり、信頼からくる期待です。家臣を追い詰める悲壮感はなく、とても前向きなものなのですね。だからこそ、直政は必ずやってみせますと意気込みます。

 


 次は、若い家臣たちに学問を教えている榊原康政のところです。講習を終えた康政へ家康は、我々は秀吉に勝てるかと率直な疑問を投げかけます。ここにも家康の人を動かす真心とその術が表れています。それは、自分が相手の力を借りたいときは、まず自分が胸襟を開いて不安を明かすべきだということです。家康は三河一向一揆以降、常に「家臣を信じ抜くこと」を旨としてきました。時には家臣を罵ることもありましたが、基本は変わっていません。そして、信じるということは自分自身を隠さないことから始まるのです。三方ヶ原合戦の評定でも、信長暗殺を断念するときでも、家康はそれをしていましたね。

 果たして、聡い康政は家康が、秀吉と戦えると後押ししてほしいことを察し、秀吉軍は「寄せ集めの大軍」だが、徳川軍は「固い固い一丸」とその結束力で差があると述べ、これまでの長い戦いの中で鍛え上げられた徳川軍は、一つの意志の元に一枚岩となって縦横無尽に働くことができる安心と安定があると説きます。つまり、彼我の戦力差は戦術次第で埋められると答えているのです。

 しかし、この一戦は今まで以上に厳しく、皆に過酷を強いるだろうことも家康は言います。対して、康政は不敵な笑みを浮かべ(杉野遥亮くん、最高に凛々しいですね)、次男坊である自分が「ここまで出世し、長生きできるとは思っておりませんでした」と述べ、この戦で死んでも「何の悔いもありませぬ」と答えます。これは、つまり、自分を遠慮なく存分に使い、場合によって死地に送っても構わないという覚悟ですが、一方でそう簡単に死にはしないという自信も垣間見えますね。やはり、悲壮感は微塵もありません。

 その前向きな覚悟と戦術次第との言質を得て、家康は康政の知恵に期待するとし、戦略のための絵地図を彼に託します。その地図には目星がつけてあり、既に家康なりに色々と考えた様が窺えます。つまり、家康の存念が明かされた地図を託され、その考えを共有し、そして、自身の命もまた彼に預ける一蓮托生が示されています。こうなっては、理知的な康政の心にも更に火が点きますね(笑)



 最後は蜻蛉切を振り回す本多忠勝の元へ…開口一番「俺に聞くまでもないこと!」「やるべし!」というのが、全く彼らしく、そして「皆まで言わずとも殿のしたいことは分かっている」という殿大好き加減が面白過ぎます。先の評定での阿吽の呼吸といい、最早、言葉すらいらないというところに康政や直政にすらない深い絆を窺わせます。そして、このときを待っていたとばかりに「天下の覇権を巡って戦えるとはこの上ない喜び」と素直に武人としての想いを告げます。そう、当初からずっと忠勝はこういう戦いに身を置ける名誉を欲していました。初回から第31回まで見続けてきた視聴者からすると感慨深いものがありますね。


 そんな自信に溢れた忠勝の姿が見られるだけで、家康の志を貫く想いは後押しされていきます。思わず綻ぶ笑顔にそれが表れます。そして、桶狭間の戦いで逃げ出し引きずり戻された件を懐かしみ、あの時は主と認められていなかったと苦笑いしますが、ここで忠勝「今もまだ認めておりませぬから!」と返します。聞いた家康の真顔の「え?」という表情が良いですね、「嘘、まだ認めてくれてないのか」とか「なんで??」という戸惑いが素直に出てしまいます。最も情けない姿を見せてきた忠勝には、自然と胸襟を開いてしまうのですね。


 忠勝はそんな家康の反応を楽しむように「天下をお取りになったら…考えてもようござる」とどこまでも上から目線で言います。要は、「自分が好きな家康は、自分の夢や志を叶えるために前に突き進む姿であり、そのためには何でもする。だから立ち止まったり、振り返ったりするな」ということなのでしょう。つくづく、ツンデレが過ぎる家臣であるのが可愛い忠勝なのですが、忠勝の終始変わらない家康への態度、実は主君とは何なのかという本質を突いているのでないでしょうか?

 主君とは生まれが主君だから主君なのではありません。家臣や領民を思い、夢を抱き、それを叶えようと前に突き進むという主君たらんとする日々の努力が、主君を主君たらしめるのです。忠勝は、家康に「どうなさる?」と言い続けてきた家臣の一人ですが、それは家康に主君であろうとしているかどうかその覚悟を常に意識させてきたとも言えます。苦しい戦場を一心同体で歩んできた家臣だからこそ言葉はいらない。そんな二人には、忠勝の叔父忠真譲りの瓢箪酒を酌み交わすだけで十分ですね。



 徳川四天王の若手三人の元を訪れ、彼らの覚悟を確認し、期待を込めて彼らに願いを託していく。自身の進むべき道のために、家臣たちの元を訪れ根回しをする家康というのは、これまでにない姿です。築山・信康事変までの家康の決断とは、目の前の状況と周りから「どうする?」と迫られて動くという受動的なものでした。しかし、今の家康は瀬名との約束「戦の無い世」を作るために天下を治めるという明確な目標の上で動いています。

 その手始めに実行しようとしたのが、例の信長暗殺計画ですが自分の未熟から断念することとなりました。その頓挫の原因である家康の「未熟」とは、後先を考えていなかったこと、信長に代わり苦難を引き受ける覚悟がなかったことなど様々なものがありますが、そのうちの一につは家康の独断専行で行った計画だったからというのがあったのではないでしょうか。いつも家臣たちに助けられることで、生かされ、守られ事を成してきたし、その自覚もあったにもかかわらず、後ろ暗い策に一人邁進してしまいました。

 そして、その闇が解けたとき、そこにあったのは気持ちを同じくする、信じられる家臣たちの姿でした。口々に家康の想いを叶えようと「いずれ必ず」と唱え、忠勝が「いずれ必ず天下を取りましょうぞ」とまとめていました。そして、その根底にあるのは、忠次の「お方様の思い大切に育みましょうぞ」ということです。徳川家の皆が、瀬名の抱いた「慈愛の国」「戦のない世の中」の元に志を同じくした瞬間でもあったのが、あの暗殺断念です。家康は改めて、独りではないことを知ったはずです。

 今回、秀吉に対峙することは決して後ろ暗いことでもなく、大義のもと堂々とした行いであり、またそのための力もそれなりに整備してきています。だからこそ、自身を以って、同志である家臣たちに頼むぞと根回しに行けたのでしょう。つまり、あの信長暗殺計画があってこその、家康と家臣の絆であり、またあの事件が家康を成長させたのです。



 また、家康の根回しがなかなか巧妙であったのは、相手に合わせた対応であり、またその得意とするところを任せるという適材適所の観念が働いていたことでしょう。だからこそ、誰もが「お任せください」と答えられるのです。家臣の誰がどんな能力を持っていて、それをどう生かすべきなのか。その辺りの見極めができることも主君の大切な能力の一つと言えるでしょう。

 因みに家康は武芸、知恵、人たらしと全部の才をバランスよく持っているのですが、忠勝、康政、直政の三人は、家康の持っているそれらの一つを極めている面々なのですね。だからこそ、余計に適材適所的な根回しが上手くやれたとも言えます。

 このように相手の能力を活かすことでやる気を引き出す人材登用の仕方が、家康の人心掌握です。それは各自が「なすべきことをなす」やるよう分業、役割分担が出来ている徳川家の強みがあればこそ上手く機能しているのだということが見えてきますね。
 役割分担…ということは、目的は一つ、組織としての意識があるということでもあります。



(3)徳川家を今も見守る瀬名の想い

 主要な三人の根回し(他の家臣たちにもやったかもしれません)が済んだところで、改めて秀吉に対する対応策を練るため評定が開かれます。一同の結束が固まった以上、必要なのは秀吉と対抗していくための現実的な戦略です。こうなると伊賀越えで既にその関係性が強化されている本多正信の出番となります。諸国を回り、情勢に詳しい彼が、未だ人望がなくとも自然と軍議の中心になっていく辺りも、家康の適材適所が効いていると思われます。

 さて、正信は、今の秀吉の隆盛は、明智討伐以降の政治的、軍事的で主導権を握ったことで皆が従っているが、実際は面従腹背で心から従う者はいないと分析しています。そのため、大名や織田家旧臣の多くが秀吉を「卑しき猿が」と蔑み、内心は嫌っていることを利用し、共闘態勢を作ることが肝要なのです。具体的には、織田家の親戚筋である大垣の池田恒興、加賀の前田利家、越中の佐々成政、四国の長宗我部元親、紀伊の雑賀衆と手を組むことを献策し、これ以外に秀吉に勝つ手段はないと断言します。西の中国地方との関係はまだ安定していませんから、これらと組むことで秀吉を取りか囲むことができます。

 こうした構想が、俗に言う秀吉包囲網です。かつて、信長が苦しんだものとよく似ています。それぞれが攻めることで、、秀吉も大軍勢を各方面に割るしかなくなり、全戦力を傾けることができなくなります。そうすることで物量的な彼我の差を埋めようというわけです。これを聞き、勝利を確信した家臣団は宿老二人を除き、「今おいて他になし!」といきり立ちます。
 なおも逡巡し、不安視する忠次と数正の様子を見て取った家康は、秀吉という人間を野放しにする恐ろしさを正直に語ります。それは以下のことです。

  何も持たぬ百姓であった男が、ありとあらゆるものを手に入れてきた。  
  それが羽柴秀吉じゃ。そういう男は欲に果てがない。
  もし秀吉に跪けば、我らのこの国も奴等に奪われるのではないか
  わしは身に染みてようわかっておる。
  力がなければ何も守れん、強くなければ奪われるだけじゃと。
  乱世を鎮め、安寧な世の中をもたらすのはこのわしの役目と心得ておる

 
 この一連の言葉は、第1回から第30回までの「どうする家康」劇中で歩んだ家康の半生が凝縮されていると思われます。少し細かく見てみましょう。
 まず、家康は、秀吉について、領土や金銀財宝や女性といった有形のものから、地位や名誉といった無形のものに至るものを、腹が減れば平らげるようにただただ自身の利己的な欲望を満たすだけに生きていると分析しています。全てを力づくで自分のものにして、自分の好きなように弄ぶ快楽主義者という秀吉の本質だと言うのです。そこには自分しかいませんから、他人への配慮や思いやりなど欠片もありません。欲しければ、自分で取ってみろというだけです。

 そして、その欲望の際限の無さから、彼には天下人になって天下を治めるビジョンがないことも看破しています。秀吉に支配される世の中は、誰もが欲望を満たすためだけに争う弱肉強食の世界です。信長のような理念や規律がありませんから、弱者にはより過酷です。だからこそ、秀吉に跪くことは、自分たちが必死で守ってきた領民や家臣の生活を破壊することだと言うのです。

 この家康の分析は一理ありますね。秀吉は、流通の整備や公共事業で経済を活性化させ、大阪を中心に国を富ませていますが、一方で多くの富は結局、秀吉に集中するようにしています。常に自分優先です。また、分配する領土がなくなったことで、それを求めて明を攻めるという途方もない計画を推し進めようとしたことも、際限のない欲望が理由の一つとはなるでしょう。


 「力がなければ何も守れん、強くなければ奪われるだけじゃ」との弁には、信長が教え込んだ地獄での生き方、そして信玄の「弱き主君は害悪」という言葉が家康の中に生きていることを窺わせます。理想なき力は愚かですが、力なき理想は無力です。それを痛感する家康には、乱世では戦う意外に道はないと覚悟しているのです。

 しかし、一方でそれに呑み込まれない強さを最後に示します。それが、「乱世を鎮め、安寧な世の中をもたらすのはこのわしの役目」の部分です。ここには、本能寺の変のあの日、堺で家臣たちと共に誓った瀬名の願う「戦のない世の中」、慈愛を持った徳によって治められる国を目指す志があります。つまり、瀬名との約束でもある「厭離穢土欣求浄土」という理想を守り、実現するためには、進んで戦に臨むこともやむを得ないのだというわけです。

 ですから、「秀吉に勝負を挑みたいと思う」と静かに力強く宣言します。信長暗殺のときのように、反対することは許さんという強引さはありません。共有した願いを再確認しようと心を砕くのです。第28回のnote記事で、「家康には瀬名の理想と信長の地獄での生き方の両輪が必要であり、それらが全て噛み合ったとき、家康独自の天下取りへの道が拓けてくることになるのだろう」と考察しました。
 そのとおりに瀬名と信長の教えてくれたそれぞれが、家康の中で確実に昇華されていることが、この一連の台詞から確認できるのではないでしょうか。だからこそ、家康は、これから自ら望んで戦に関与し、そのためには様々な恨みを引き受ける過酷な道を歩むことになります。そして、それを家臣団が支えるということになります。次々と湧き上がる「異存なし!」の言葉が、それを象徴しています。
 一人一人の優秀さがバラバラに働くのではなく、理想を掲げる家康を中心に有機的につながって一つの動きとなっていく、徳川家が真に組織として機能し始めたということなのでしょう。


 この言葉と家臣団の一致団結に家康と徳川家の成長を静かに感じ取った忠次は満足そうな笑みを浮かべ「ご奉公いたしまする」と応じます。ただ、数正だけはどうしても不安が拭えぬのか、最後まで渋面のままで横を向いています。しかし、最後には「猿を檻に入れましょう」と賛成の意を示し、冒頭の檻で暴れる猿のアニメーションを引き取ります。この数正の言葉は、今後の展開に何らかの意味を持つのかは気になるところです。




 そして、家康との絆を確かめ合い、彼の想いに呼応していくのは家臣たちだけではありません。於愛も同様です。子守に疲れ果てて寝ていた於愛を見て「こっておるな」と家康は肩を揉みます。「戦になるのでございますね」という於愛の問い掛けは城中の様子を察しての確認でしょうが、家康は「すまぬな…」と謝り「おなご達は呆れておるじゃろう。懲りずに愚かな戦ばかり」と続けます。彼自身が自分のこれから進む道の矛盾と愚行をよく分かっているのは大切ですね。そして、瀬名との対話の中で、男たちの理屈で銃後を守る女性たちを苦しめていることも自覚できるようになったようです。奇しくも、家康は知らないはずのお万の言葉と家康の台詞が微かに響き合っているのが巧いですね。


 そんな家康の自虐に於愛は「愛には難しいことはわかりませぬ。でもお方様が目指した世はなんとなくわかっているつもりです。それを成すためでございましょう。」と答えます。於愛の言葉にハッとする家康の表情が良いですね。調薬しながら思い返した瀬名との約束から家康は、秀吉との戦いを決意しています。その決意を信じているものの、それが瀬名の望んだことであるのかは、結局は分かりません。
 しかし、瀬名の想いを引き受けるような於愛のこの台詞によって、家康は決心を後押しされます。瀬名は於愛を通して、今も家康を見守っていることを細やかに実感した、そんな表情と察せられます。


 瀬名が家康を於愛に託したのは間違っていませんでしたね。そして、こういう於愛だからこそ、家康もまた大切にしているのでしょう。於愛の「お家のことは愛にどーんとお任せくださいませ」が力強いですね。そしえ、忠次の妻、登与も、数正の妻、鍋も於愛と共に城へ詰め、彼らを支えます。こうして、徳川家は確実に一つになって、秀吉との決戦に赴きますが、思えば、家康の決意も、家康と家臣団の絆も、於愛に引き継がれている真心も、皆、瀬名とのかかわりがずっとずっと生きていることがもたらしたものです。実は、今回のオープニングのクレジット、またもや回想だけの瀬名が二番手。その意味は、今もまだ瀬名は、徳川家の柱石であるということなのでしょう。




3.前哨戦で際立つ徳川家臣団の臨機応変

 話は前後しますが、家康が信雄と組んで、秀吉との戦いを決意して直後、信雄の元を訪れた家康は人払いをし、織田家の縁者である池田恒興の調略を信雄に任せます。そして、信雄の元に秀吉の間者がいるから、人知れず事をなすように念押しをしています。戦力の劣る信雄・家康側の事情ともう一点は、諜報や調略に優れた秀吉を警戒してのことです。

 結局、史実通り、信雄は間者の疑いがあった家老三名を誅殺。これに秀吉が激怒したことで、小牧・長久手の戦いの事実上の火ぶたが切って落とされます。一応、激怒したことになっていますが、実際の秀吉の評定は待っていましたと言わんばかり。「まんまと」相手が乗ってきたという言葉に、全てが計画どおりではないにせよ、概ね秀吉の思ったとおりに事が進んでいることが窺えます。嬉々とした「まとめて滅ぼしたれるわ」には、事が面白いようにハマっていることへの快感が混じっていますね。やはり、数正が危惧したとおり、家康と信雄の同盟は秀吉の手の内だったのです。

 恐るべきことは、家康を倒す口実を作るために秀吉が直接したことは、「信雄を安土城から追い出す」ということだけです。これに多少の台詞をまぶしてやるだけで、プライドが高いだけで気の弱い信雄は自分の留飲を下げるためだけに家康を巻き込みます。また戦勝祝いから見えた家康の敵意は、大義名分欲しさにこれに乗ると見ていたのです。信勝を少し動かしただけで、後は秀吉の思うままドミノは倒れていったに過ぎません。


 この秀吉の恐ろしさは、ルイス・フロイスの「彼は本心を明かさず、偽ることが巧みで、悪知恵に長け、人を欺くことに長じているのを自慢としていた」という秀吉評に準拠しているようにも思われますが、大事なポイントは、何故、秀吉は、ここまで正確に彼らの動きを察知できたのかということです。家康が看破したように、秀吉は際限なく欲深い男です。自身が飽くなき欲深さを持つからこそ、逆に他人が奥底に抱えている欲望にも敏感に察知できるのです。

 信長の草履取りの頃から、家康という例外を除いて、秀吉は巧みに相手が望む秀吉を演じてきました。そこには処世術もあったわけですが、こうしたセンスが最も発揮されるのは調略です。相手の欲望を見抜き、相手が望むものを与えることで籠絡し、あるいは取り上げることで相手を意のままに操ることができます。
 例えば、信雄は柴田勝家との決戦においては、天下人で釣られ籠絡され、またその道を断たれることで家康と組んでいますね。自身が欲深いからこそ、人の欲望を見抜く策を講じ、他人を操ることができるのです。

 そして、彼が人の欲望を刺激して、操ることができる点には秀吉の人間観があると思われます。「何も持たない百姓」だった彼は、人々が争って、欲しいものを手にしようとする場面を多く見てきたことでしょう。おそらく、そうした中で彼は、人は結局、自分が大事、自分を優先する、利己的なものであるとの割り切りがあるのではないでしょうか。誰も彼もが信じるに足らない利己主義ならば、蹴落とそうが何をしようが気にする必要はありません。だからこそ、人を巧みに操ることも楽しめるのでしょう。
 そして、弟以外の者を信じず、本心を見せない理由、サイコパスにも思える笑っていない空虚な目も、ここに理由がありそうです。彼からすれば、瀬名や信康が見せた利他的な行動は、意味不明でしょう。自分が死んでどうするのかというところです。
 こう考えていくと、秀吉の恐ろしさは、本人の下卑たサイコパス的な人間性だけでなく、その半生から培われた人間観がそうさせているのかもしれません。


 何はともあれ、秀吉の人の心を操る巧みさは、秀吉以外には真似のできない狡猾さがあることに代わりはありません。
 ですから、忠吉、忠世、親吉に真田家を警戒するよう伝えつつ、「機は熟せり!」と盛り上がり、おなご衆も「勝て勝て勝て」と鼓舞し、意気揚々と清須に向かう家康たちですが、あっさり味方に付いたはずの池田恒興に寝返られ、犬山城が落城、出鼻をくじかれることになります(因みにここで言及された真田と秀吉がつながっていることは言うまでもありません)。

 裏切りに際して、恒興は「秀吉は嫌いだが、気前がいいから、最初から付くほうは決まっている」と森長可に豪語し、その欲望を露わにしています。信義など目先の利益からすればゴミのようなものです。
 秀吉の約定は尾張一国だったそうですから魅力的だったのは勿論、そもそも、彼は清州会議の時点で秀吉に籠絡されています。信雄は親戚なのに何故裏切るのかと言っていましたが、彼は既に秀吉との縁戚関係の約束をしています。どちらの親戚を大切にするかと言えば、確実に利益をもたらすほうということになります。人は欲深く、そして戦国時代は力さえあればそれが叶う時代です。秀吉はこうした時代の空気を大いに利用し、恒興が欲を刺激したのです。欲を満たすことは楽しいですからね、誰だってそちらに流れやすいでしょう。



 ただ、こうした事態にも、戦い慣れし、覚悟の座っている家康は冷静です。もう座っているだけで貫録とか、初回の家康の面影はどこにもありませんね。それどころか、恒興の裏切りに狼狽しまくりの信雄を、秀吉との戦が思いどおりにならないことなど「元より承知」、士気が下がるから総大将は狼狽えるなと一喝します。「はい」と素直に応えてしまう信雄に苦笑いですが、もう既に主導権は家康にありますね。あくまで、この戦いは家康VS秀吉なのです。

 こうした中、「秀吉は必ずやってくるぞ」と事態を重く見た忠次は、戦局を打開するために夜襲を提案します。共に参ろうとする数正を「数正、お主に死なれては困る」と押し留めます。数正の心に去来する寂しさを考えると、この一言は居たたまれないのですが、忠次はあくまで戦後の徳川家を見据えての判断です。
 ですから、忠勝の「左衛門尉殿もしかり。俺が出る!」を始め、「私が!」「いや、私が!」と次々、上がる忠次を慮っての申し出も、忠次は断ります。因みにこの場面、一人だけ桶狭間の戦いの古疵(たぶん仮病)を理由に出撃を申し出ようともしない本多正信が、何故か画面のセンターにいる構図なんですよね。実は一番、居たたまれない状況は正信で、何とも言えない顔をしているのが可笑しいです。


 それは、ともかく忠次は「私には、この辺りがちょうどよい死に場所と心得ます」と述べ、「秀吉には勝てぬと思うておりました。しかし、そう思っていた自分を恥じている」と自身が新しい時代にはそぐわないほど年を取ってしまったと言います。

 その上で、今の徳川家には頼りになる家臣が揃ったことを称えます。これは、前段の評定での盛り上がりを受けてのものですね。そして、若者たち一人一人に肩の叩き、「お前たちがやるんじゃ」と鼓舞します。この際、一人押し黙る正信の肩にも手をやってしまい、その胡乱な表情に一瞬、場が凍るのが可笑しいのですが、そんな正信にも期待を寄せるようにして、忠次は夜襲へ出かけます。まだ完全に馴染まずとも、必要な男であることは事実ですから当然です。彼が画面のセンターにいることは、今後、正信の家中での存在感が増すことの暗示でもあるでしょう。
 徳川家は個人のスタンドプレーで成立する組織ではありません。それぞれが信頼し合い、各々が役割を果たす…信頼関係による有機的な動きをする集団としての強さが、徳川家の強さなのです。忠次は改めて、若い家臣たちにそれを伝えたと言えるでしょう。


 ただ、感動的にも見えるこの場面、設楽原の戦いでも似たことがありました。あのときも散々、死亡フラグを立てながら全部折って帰ってきたあれです。今回も折るためだけに死亡フラグが立てられていますから、ツッコミを入れたくなるところです。ですが、まあ、定年間際で終活考えている武将の繰り言と思い、今回ばかりは許してあげてください。因みに酒井忠次、70歳で天寿を全う、畳の上で死にますので、今後の彼の死ぬ死ぬ詐欺はネタと思いましょう(笑)

 ともあれ、最後のご奉公と意気込む忠次たち酒井勢(先鋒は亀姫が嫁いだ奥平信昌)の勢いは凄まじく、鬼武蔵と呼ばれ、人間無骨と呼ばれる十文字槍(最近「刀剣乱舞」でも実装されましたからタイムリーですね)を振り回す森長可すら退けます。この森長可が、城田優くんだったのはサプライズでしたね、来週には戦死するのですが、贅沢なキャスティングです。



 酒井勢の活躍で一矢報いた機を逃すわけにはいきません。ここで、正信は「秀吉本軍との兵力差を鑑みれば、岡崎辺りまで引いて籠城するのが得策かと」と献策します。正信の定石どおりの策について、家康は正しさを認めながらも「いや、待っているだけでは勝てぬ。前に出るぞ。」と却下します。このまま引き下がっても、単にジリ貧になるだけですから、死中に活を求めるということです。
 戦で大切なことは敵の殲滅だけではなく、どう戦を自身に優位な形で収めるかにあります。つまり、交渉などの駆け引きも重要です。ですから、まだ戦術的にやれることがあるうちは引き下がれないのです。ただし、物量があるほうが勝つことは歴史的に証明されているますから、その基本に立つ正信の献策は長期的な戦略の面では正しいことも押さえておきたいところです。



 さて、事態の打開を戦術に求めるとなったところで、自分の知力を発揮したのが康政です。彼もまた家康の期待に応えます。彼は小牧山を土塁や堀、虎口などを備えた防衛に特化した陣城へ改修する案を提案します。家康に渡された地図を頭に入れての献策です。とはいえ、時間がありません。10日かかるという康政に家康は5日でやれと厳命します。あの日の城内での根回しが効いて士気の高い康政は必ずやり遂げてみせると言います。

 この件は、逸話を上手く組み込んでいます。実際に康政は、5日間でこの改修を終わらせたとされているからです。単に康政一人の才覚にするのではなく、家康の期待に応えようとして才を発揮したという主従関係の強固さと、康政の才を引き出した家康の差配の見事さに繋げたのですね。ナレーションが最後にこの城を「強靭な城」と言っていますが、実際、この城のおかげで戦局を膠着状態に持ち込めています。珍しく、ナレーションと史実が一致しています(笑)



 こうして家康側が不利な状況をある程度覆し万全を期したところで、いよいよ楽田に秀吉が陣入りします。趣味の悪そうな陣羽織をバックからゆっくり捉え、歩いていく秀吉を捉えます。そして、次には段を上がる足元が…もったいぶった見せ方に敵の総大将としての貫禄を見せる演出が見えますが、戦場で妙に芝居がかった言動が多い本作の秀吉にはお似合いですね。陣羽織の下品な雰囲気は、彼の悪食的な欲望の在り様かもしれません。対する黒一色の落ち着いた雰囲気の家康。双方の顔のアップが何度も交互に映されるカットバックの連続で対決姿勢が最高潮になったところで今回は幕引きとなります。




おわりに

 今回、戦に入るまでを丁寧に描くことで、家康と秀吉の違いは明確になったと思われます。

 前回のnote記事で、正信の秀吉評「あれは人の心をつかむ天才じゃ」について、人間の根底にあるあさましい欲望を使い操ることだと考察しましたが、それがより具体的に示されました。好条件で相手を引き抜く、バラマキで庶民の気を引くといった餌で釣る手段だけではありません。

 時には人から欲しいものを取り上げ、その渇きから秀吉が望む行動に誘うこともします。また、目標に直接働きかけず、人を駒のように使い、望む結果を得ることも巧みです。相手を自滅させる道具としても、人の欲望を使うのです。その複雑な糸の繰り方は、欲望を知り尽くした秀吉だからこそできることで、他者のマネできることではありません。更に秀吉には、こうした行為を楽しみ、人を苛む悪癖があることも見逃せないでしょう。

 そして、この人の心を操る根底には、恵まれた人間への強いコンプレックスと何も持たなかったがゆえに全てを欲する飽くなき欲望があります。
 繰り返しになりますが、「何も持たなかった百姓」だった彼が見てきた底辺層の民たちの生活はどんなものだったかを考えてみましょう。「どうする家康」では、戦に疲弊し貧しいばかりの領民のありようが描かれましたが、秀吉もスタートはそうだったはずです。そして、生きるために、我先にと争い、奪い合わざるを得なかったのではないでしょうか。

 こうした中で自分の才覚だけで欲しいものを手にしてきたとすれば、エゴイスティックであって何が悪いのかという考えに取りつかれるのは当然です。また人間は所詮、利己的なものであり、信用に足るものではないという人間観も形成されていくことでしょう。彼は、弱肉強食の戦国の世の犠牲者であり、時代が生みだしたモンスターなのかもしれません。


 そのモンスターは、貧しい者たちを睥睨(へいげい)する地位にいて、全てを持っていた家康をターゲットにし、かつての持たざる者としての黒い欲望を満たそうとしています。その着地点がどこかは、未だ本心を明かさない秀吉からは窺い知れません。単純に邪魔で家康を滅ぼすことかもしれませんし、家康の持っているものを全て奪いたいのかもしれませんし、あるいは家康と徳川家そのものを自分のものにしてしまいたいのかもしれません。どれも恐ろしいですね。

 


 一方、家康は、秀吉の欲望の赴くままの利己的なエゴの世界の過酷さを看破しています。全員が全員、利己主義に生きていけば、その行末に待つのは、現実的な荒廃と人を信じない心の荒廃だけです。ですから、それを家康は防ぎたいのです。
 その根底にあるのは、一つは瀬名から託された「戦の無い世の中」という理想、信長の天下を治めるための生き抜く技術と覚悟です。その二つが昇華される中で自身の「天下に安寧をもたらす」役割を自覚し始めました。これからは、その理想の実現のため、悪名を覚悟してでも天下を取る大計を勧めようとしています。目的と方法が明確になり、大局的な視野を持ち始めています。
 もっとも、家康自身の夢や理想もエゴの一つですから、そこを秀吉にいいように利用されているのが現状ですが、それでも秀吉の存在を見過ごすことができません。

 そんな家康の武器は、長年築いてきた徳川家の人々との信頼関係と絆です。これまでの出来事による経験の全てが集約されたその集大成的が特に徳川四天王たちとの間で示されたのが興味深いところです。実は忠次を除く四天王と家康の関係は忠義では結ばれていませんでした。忠勝は家康を主君と認めず、康政も松平家家中でなら出世できそうという打算、直政に至っては憎み殺そうとしました。そんな彼らがどうして今、家康を主君として盛り立てようとしているのか。


 一つは、瀬名がもたらした大きな理想を志として共有しているからです。そして、その理想の実現のために彼らはそれぞれが自分のなすべきことを自分で見つけ、粛々とこなしてきました。家康自身もそれをよく分かっています。だからこそ、主君自身が動こうとしたとき、自分の才覚で協力することができます。

 もう一つは、自分の言いたいことが言える風通しの良い家中であることです。彼らは家康に対する敬意は割とありませんが、胸襟を開いて悩みを打ち明け、彼らの忌憚ない意見を求める彼に好感を抱いています。人は頼られれば嬉しいものですし、必要以上の嘘がないことで家康を信頼しているのですね。

 この理想の共有と風通しの良い家中のあり方が、友垣のような家臣を生み、家康を自分たちが何とかしてやらねばと思わせるのです。本当の意味で、人の心をつかむ天才とは利害を超えて、人の助けを得られる人徳の持ち主です。確かに秀吉は巧みに人の欲望を刺激し人に取り入ります。しかし、利害のみで結ばれた関係の維持は、秀吉が永遠に一方的に彼らに利益を与え、奪う関係、秀吉の相手への優位性が保持されてなければなりません。ここには、他者との相互理解は起きません。秀吉が、利害関係にはない秀長以外には本心を明かすことがないのは象徴的です。
 
 このことは、組織論としても大きな違いを見せてくれるでしょう。秀吉の与える欲望の世界は、個人の才覚で切り取り次第ですから、実力を発揮する機会に恵まれます。しかし、それは各自のスタンドプレーであり、横のつながりはありません。寧ろ、邪魔なライバルを蹴落とすだけです。信長という精神的支柱を失ったエゴ剥き出しの利己的な世界には限界があります。
 逆に理想を共有し、そのためにお互いを信頼し合う徳川家は、個人の才覚を発揮する機会が多いことは変わらないものの単なる個人芸には留まりません。理想という大筋のために働くがゆえに、彼らの才覚は化学反応を起こし、組織としての力を発揮することになります。今回の前哨戦での忠次、康政の活躍がよい例でしょう。


 全ての人間が欲望を叶えるために他者を蹴落としエゴイスティックに生きていく孤独な世界(秀吉)か、人を信じ、人々が手を携え、様々なものを共有する心豊かな世界(家康)か。
 どちらが魅力的なのか、それは今回、家康と家臣団のやり取りに一喜一憂した皆さんがよくお分かりでしょう。しかし、人間には愚かしいほどに強い欲望があり、殺伐としていようが、秀吉にコントロールされようが、欲望を叶え続ける世界も抗しがたいのも事実です。現に多くの者たちが秀吉になびき、自身の欲望をかなえようと群がっています。
 そうした人間の本性を前に、家康たちの理想はどこまでその純度を保ち続けられるのでしょうか。あるいは、折り合いをつけることができるのでしょうか。こればかりは、小牧・長久手における局地的な勝利だけでは、どうにも片付かない問題になりそうです。

 家康と秀吉の覇権争いは、この世界のあり方を巡る熾烈なものとなるのかもしれません。とりあえず、数正だけが秀吉の描く欲望の社会の恐ろしさを目の当たりにし、徳川勢が呑み込まれていくことを危惧しているようにも見えますが。


 と話が小難しくなってしまいました。次回は徳川四天王たちの逸話が盛りだくさんのはずです。今回の家康と家臣団のつながりが活きてくるような場面も期待できます。まずは家康たちの活躍に期待しましょう。

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