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「どうする家康」第37回「さらば三河家臣団」 家族の絆を作ってきた家康の安定と家族を失っていく秀吉の不安定

はじめに

 第37回は、秀吉の冷遇策に追い詰められた家康と家臣団が胸襟を開き、互いを思いやり励まし合う姿と絆が印象的とも言える回となりました。女性たちの生き方が重なりあった第36回に対して、今度は家臣団という男性陣の物語です。つまり、第36回と第37回は対比的であると同時に、二つの回で徳川家中のあり方を示そうとする試みであることが見えてきます。

 特徴的なのは、三河家臣団が領地から引きはがされ、大名になることで家康から独立させられるというある種の離散を描く物語でありながら、全体は爽やかで、中盤まで家康だけは苦悩していますが、最終的には悲壮感はなく、いずれまた共に戦おうと誓い合う希望のある内容になっていることです。追い詰められたにもかかわらず、しなやかな強さを持つに至った家康と家臣団の安定感は抜群です。

 逆に不安定さを露呈するのが、秀吉たち豊臣家です。序盤は、秀吉に待望の嫡男が産まれ、小田原征伐も思いのまま、そして遂に天下一統が完成します。つまり、我が世の春というのが、今回の豊臣家です。しかし、終盤は秀長の死、鶴松の死が重なり、秀吉は虚ろな顔で笑った挙句にその空虚を埋めるために「唐入り」という無謀な海外出兵に突き進もうとしています。この秀吉の不安定さは、次回の不穏な空気を相まって、豊臣家の崩壊をイメージさせています。

 そこで今回は、家康と家臣団の安定感の理由と秀吉の不安定さの理由を追いながら、前回も踏まえて徳川家の強みとは何かを考えてみましょう。



1.三河家臣団崩壊の危機を招く外圧の正体

(1)豊臣家の歪み

 前回、衝撃的な登場を果たした茶々が、秀吉にとって待望の長子、鶴松を産んだことから物語は始まります。皆が待望の和子を見ようと茶々の部屋に集まりますが、その思いは様々であることは注意が必要です。

 鶴松誕生に湧く一同で真っ先に「よう頑張られましたな」と茶々の労をねぎらい、礼を述べたのは寧々です。寧々は秀吉の茶々への執心を危ぶむものの、茶々自身については寧ろ気遣っています。正室と側室の関係は良好であると同時に、自身が秀吉との間に成せなかった子どもの誕生を素直に喜び、安堵していることが窺えます。

 寧々は当時の武家の女性ですから、子を成せなかったこと自体に後ろめたさがあったであろうことは想像に難くありません。女漁りを病として容認せざるを得なかったのもその表れでしょう。信長が書状を送り彼女を慰め、義弟秀長が気遣うのも、その悩みの深さを知るからです。また、奥を預かる正室として、一に秀吉自身、そして二に豊臣家の安泰があります。因みに鶴松誕生に豊臣家の安泰を見るのは、周りの多くも同様でしょう。

 次に「殿下のお子でございます」と鶴松を差し出す茶々です。まず、彼女の行動原理を第30回から確かめておきましょう。彼女は、お市の「織田家は死なぬ。その血と誇りは、我が娘たちがしかと残していくであろう」という覚悟を聞き、「母上の無念は茶々が晴らします。茶々が天下を取ります」と答えました。そして、北ノ庄城落城の折、お市の代わりとして自身に興味を持つ秀吉の手を、両手で包み微笑みかけ、更なる関心を買おうとします。
 茶々の天下取りの孤独な闘いは、母が死んだあの直後、まだ少女だったときから始まっていました。

 そして、前回、母を助けに来なかった家康に向けた銃と一瞬のあの眼差し。彼女は、あの日から痛々しいほど純粋に誓いを胸に秘めていると察せられます。それは、言い方を替えれば、彼女は身体的には大人にはなったものの、心は少女のままであるということです。哀しいかな、その後、幼い妹たちを守るため、よき大人たちに恵まれることなく、孤独な闘いを続けてきたのでしょうね。

 そんな彼女にとって、鶴松とは我が子である前に、彼女の天下取りの足掛かりであり、また自身と妹たちの立場と身を守るための保身の道具なのです。だからこそ、「殿下のお子」と秀吉の子であることを強調するのです。天下人の嫡男の母は、国母も同然ですからね。自然と天下も彼女の元へ転がり込んでくるというわけです。しかし、この発想自体が幼いですね。彼女の伯父、信長が言ったとおり、天下は統一することよりも維持することのが大変なのですから。姫として育てられ、外を知らぬ彼女の視野は狭い。頭の回転は速くとも、現状、天下へのビジョンはなさそうです。今のところ、豊臣政権のシステムを乗っ取るくらいのようにも思われます。


 さて、最後は秀吉です。彼についても、同じく第30回から確かめておきましょう。今の秀吉こそ、茶々に入れあげぞっこんですが、元々はお市の代わりです。そのお市について、秀吉は「お市様。欲しいのう、織田家の血筋が。そうすりゃあ、わしらを卑しい出だっちゅうてバカにする者もおらんようになる」と述べています。主家の美人の妹をものにしたいという征服欲よりも、貴種であることに価値をおいています。

 小牧長久手の合戦でも見られましたが、彼の欲望の原動力になっているのは卑しい身分として虐げられてきた経験です。家康へ見せる複雑な心境も身分から来るコンプレックスが多分に影響しています。このコンプレックスは、関白となり、豊臣姓を賜るという形だけでは足りません。
 真の意味で家柄ロンダリング、それは貴種の血と交わり、自身の血が貴種として残ることが必要なのです。つまり、際限ないように見える秀吉の野望の到達点の一つが、貴種との交わりによる卑しい身分の払拭だと言えます。

 ですから、彼にとって鶴松とは主家である織田家と秀吉の血筋が統合された存在、彼自身が貴種の一員になった象徴なのですね。念願の存在にはしゃぎまくる秀吉の無邪気さは演技ではないでしょう。そして、更に茶々に「殿下のお子」と強調し手渡され、自らが抱いたことで、今までになかった感情、血のつながった我が子への愛情を感じたのかもしれません。その後、彼は朝鮮通信使との謁見などの重要時にも幼い鶴松を引き回しており、後継者としての強調だけでなく、老境の域に遂に我が子を得たはしゃぎぶりが表れています。
 なんにせよ、自身の血を尊いものへと変えた鶴松とそれを産んだ茶々の虜になっていきます。それは、自身のコンプレックスの裏返しでもあるのですが。



 さて、場面は代わり、未だ上洛しない氏政、氏直ら後北条家を征伐する話が進みかけています。

 挿入された氏政が、汁かけ飯を食べているのは、飯にかける汁の適量がわからなかった氏政を見て、父の氏康が汁かけ飯の量も量れぬ者に、領国や家臣を推し量ることなど出来る訳がないと嘆息したという「二度汁かけ」の逸話からです。しかし、駿河太郎さん演ずる氏政は一度しか汁をかけていません。つまり、氏政を暗愚とするのは後世の逸話であり、実際はそうではなかったということをビジュアル的に見せているのです。しかし、寡黙な彼の真意はまったく読めません。


 そんな真意を測り切れない後北条家を家康は「今しばらくの猶予を」と庇い続けます。あくまで平穏に「戦無き世」を実現しようという一途な思いからですが、北条家に嫁いだおふうの頑張りも進言するあたりが、家族を信じる家康らしいところです。

 そんな家康の進言を、でんでん太鼓を弄び聞き流す秀吉…最初から北条を滅ぼすつもりの秀吉には意味のない引き延ばしでしかありませんし、また今はそれよりも鶴松の相手をすることに関心があるのですね。あやす道具を手放さないところに片時も鶴松のことが頭を離れないことが窺えます。そんな秀吉の意向を汲む織田信雄と西笑承兌(さいしょう じょうたい)も和睦にこだわる家康を強く非難し、強硬策を支持します。
 ここで西笑承兌が出てきたのは意図的ですね。秀吉の外交顧問として活躍した彼は、二度の朝鮮出兵でも秀吉の側近として活躍していますから、彼の登場はそれを予期させるものになっているのです。因みに彼は秀吉没後は家康と故意になり、外交ではなく家康の出版事業に深く関わります。


 そして、側近の二人の言葉に追い打ちをかけるように、秀吉は北条を滅ぼせばその領地を全て大納言(家康)にやると言い出します。投げやりでぞんざいな言い方のときこそ、秀吉の本音が表れます。心理戦に長けた秀吉の恐ろしいことの一つは、何でもないことを話すように、突然、爆弾発言をぶっ込んでくるとことです。虚を突かれ戸惑う家康に「良かったのう、褒美だがや」と相変わらずでんでん太鼓を弄びながら、おためごかしを続け、興味はなくなったとばかりにその場を去りかけます。

 「その褒美、お受けするわけには」と家康がにじり寄って答えたのは、褒美への遠慮や北条への配慮だけではありません。気前のよい過分な褒美には裏があります。家康は戸惑いからすぐに立ち直りそれを悟ります。同時に北条攻めの狙いが北条ではなく徳川家の力を削ぐことにあると察したのです。ですから、北条との和睦を盾にその意図を封じようと試みますが、秀吉は家康とは視線すら合わすことなく「どれほどかかるきゃ?」と問いかけます。これはこれまでの単純な工作ではなく、武力をもって北条攻めを行い、降伏させるのにかかる時間を聞いているのです。

 秀吉の真の狙いが徳川家の弱体化にある以上、最早、戦を止めることは不可能です。かくして家康は3ヵ月で後北条氏を降伏させるよう命じられます。意に染まない戦であっても、臣下である以上は応じるより他ありません。それは、設楽原の合戦以降、信長に臣従を誓った頃と同様です。



 オープニング後は、伏せっている旭の元を家康と寧々の二人が見舞っている場面です。旭は、家康から薬湯を飲ませてもらいながらも「とうとう戦でございますか」と残念な思いを口にします。「とうとう」という言い方に、彼女も家康の尽力は知っていたとわかります。もしかすると家康を支えるため、秀吉へ一言添えることもあったのではないでしょうか(前回、京での役目を家康に与えられていますからね)。

 旭の世話をする(おそらくよく見舞っているであろう)寧々は「若君を授かって以来、淀城に入り浸って、私の言うことには耳を貸しませぬ」と秀吉に会う機会すら限られ、往年のように、ときにたしなめ、ときになだめすかして助言、苦言をすることができなくなった無力を嘆きます。膨れ上がった豊臣政権下では、寧々もまた役割があり昔より自由ではありません。その上、秀吉がそもそも近くにいないのではどうにもならないのです。


 そして、そのことは秀吉の関心時が、血のつながった我が子鶴松への執着、そしてその母である身分高き美しき茶々への寵愛だけになっていることを意味します。彼は生まれて初めて「家族」というものを手に入れたように感じ、その幸せに溺れているのでしょう。ですから、小田原征伐は天下一統の総仕上げであると同時に、鶴松と豊臣家の盤石を整えることも重要です。豊臣政権下の実質ナンバー2である家康の力を削ぐことも至極、合理的な判断と言えるでしょう。ただし、その根源は、茶々×鶴松妻子への溺愛です。その感情の大きさは、一歩間違えれば大きく判断を狂わせるものということは見逃せません。まして秀吉にとって、今まで味わったことのない幸福ですから、バランスを崩しかねません。


 そして、そのバランスを崩しかけた兆候は、かつて独り言ちているところを秀長に見られただけの「唐入り」を公言し始めているという寧々の愚痴からも察せられます。強大な明を攻めるという途方もない野望に目を丸くする家康に「流石に戯言」と思うと苦笑いする寧々ですが、止まらない欲望自体には懸念を示し、秀長が病に伏せっている今は「殿下にもの申せるのは、徳川殿と旭殿だけだわ」と二人に期待をかけ、病気の旭を励まします。その言葉に少し照れたような旭が良いですね。

 ここで寧々が、家康だけでなく旭も含めたのは、家康の「秀吉の義弟」という立場を意識してのことです。義弟だからこそ、実弟秀長にかわって、秀吉の手綱を絞れるということです。秀吉が「家族」(茶々×鶴松)のために野心を膨らませている中、寧々はその歯止めとして「家族」(義弟夫妻)の絆に期待をかけたのですね。しかし…残念ながら旭はm家康が小田原征伐の準備をしている最中、病で亡くなってしまいます。寧々の一縷の望みは絶たれてしまいますし、また秀吉は実妹を失い、ますます目の前の妻子に入れ込みます。


 それにしても、病を匂わせるのみで旭の死を直接、描かなかったところにはスタッフの愛を感じますね。歴代の朝日姫の中でも特に家康に大切にされた旭。壮年期に亡くなったことは残念ですが、その人生は決して哀しいばかりではなかった。彼女はそれなりの幸せをもって、人生の幕を下ろしたということでしょう。
 この点は、前回の於愛も同様です。決定的な死を描かないわけにはいかなかった瀬名と信康を除き、徳川家の人々の死は、こうした描き方をするのが「どうする家康」流かもしれませんね。




(2)いざ、小田原征伐~勇躍する三河家臣団と秀吉の策略~

 駿府に戻った家康は早速、家臣たちを集めて陣触れを言い渡します。多くの戦いを経て、哀しみを乗り越えた歴戦の勇士とも言うべき家臣たちは、家康の命を静かに聞きます。そして、簡単な命の後は、家臣たちが阿吽の呼吸で軍議を始めます。現在の徳川家臣団の優れたるところは、家康が逐一、指示を出さずとも、自分たちで考え、自分たちで行動できるところです。そして、これが出来るのは「殿のために」という軸がブレなくなったから。そのことは、信長暗殺未遂、伊賀越え、小牧長久手の戦い、更に秀吉臣従に至るここ10話ほどでじっくり描かれたことです。
 彼らのこうした反応は、家康の成長とその人徳を表しています。だから、家康自身も、彼らを信頼し、彼らが案を練り、それを提示するまで任せて待つのです。


 それにしても、戦というのにその表情は、皆、楽しげです。ようやく評定に参加できるようになり気負う服部半蔵をからかう彦右衛門たちにも余裕があります。武勇に優れた彼らの本質はマッチョイズムだけに、その様子は多分にホモソーシャル的ですが、こればかりは時代性として致し方ないところでしょう。ここは、戦があるたびに「どうしますか、殿!」と慌て右往左往していた大昔を思い出し、頼もしくなったものとその成長を楽しみましょう。


 さて、軍議が始まる中、彼らに全てを任せた家康は正信にだけ目配せをし、自分と共に退出するようにします。正信は大きな絵図面を描く戦略家ですから、局地的な戦術の議論は忠勝らに任せ、あまり発言しなくても大丈夫なのでしょう。抜けたところで誰も気にしていません。そして、正信は家康の自室へ向かいます。自室前には、側室の阿茶局が控えており、「私も御無礼ながら」と家康と正信の謀議に加わります。

 遂に家康、正信、阿茶局の謀略三人衆が揃うときが来ましたね。劇中でもナレーションがその出自と才覚が語られていましたが、阿茶局はこのとき家康の側室になってから10年以上が経っています。小牧長久手の陣中にもいたほど智勇兼備の才女です。於愛亡き後は、彼女の息子たちを養育し、また奥向き諸事全てを任されていますから、その信頼も厚い女性です。
 近年の大河ドラマでは「真田丸」(2016)で斉藤由貴さんが演じた阿茶局の老獪さが面白かったですが、個人的には「葵 徳川三代」(2000)の三林京子さんの泰然自若ぶりが清々しくて印象的でした。あの口やかましい津川雅彦さんの家康を理屈でへこませる頭の回転の速さと口達者ですから(笑)
 今回の松本若菜さんの阿茶局は、男装的な衣装と知的で凛とした佇まいが魅力的ですね。


 さて、謀議の中心は、秀吉から言われた北条の関東八州を褒美に取らすという話です。正信は淡々と「そんな上手い話があるわけがない」とし、その褒美は現在の三河、遠江、駿河、信州、甲斐の五領との引き換えだろうと察します。阿茶も同じく、秀吉の狙いは体の良い国替えであると見抜きました。無論、家康はとうにそれを察知しており、そのため褒美の件をさっきの陣触れでは一言も触れなかったのです。正信と阿茶の意見を聞いたのは、あくまで自身の読みが正しさを確認するためのものです。


 秀吉は、自分の格をあげるために家康の身分と実力を利用し、そのために彼を厚遇しました。また家康は臣従して以降、律儀でした。秀吉の関東・奥両国惣無事令(大名同士の私闘の禁止)を守るため、家康は関東・奥両国の監視を忠実にこなしていましたし、その仕事ぶりは信頼に足るものだったはずです。

 しかし、その一方で秀吉を小牧長久手で一敗地にまみれさせた家臣団は危険な存在です。彼にとって、あの敗北は「「わしの策でねぇ、わしの策でねぇ…」と自己弁護を繰り返さなければならないほどに衝撃を与えていますから、忘れるはずがないのです。

 ですから、数正を調略で切り崩しましたし、他の諸将も切り崩そうとしてきました。とはいえ、根本的な解決にはなりません。結局は、家康たちをその力の源である領土と領民から引き離すのが一番なのです。しかし、畿内に近い五領に自身を脅かす実力を持つ政権ナンバー2を自分の戦力を全く割くことなく、どう退けるかという史上命題を解決するのは容易ではありません。そこで、小田原征伐を利用することにしたというのが、「どうする家康」の解釈のようです。


 阿茶はようやく駿府が統治も進み落ち着いてきたところだというのにと顔を曇らせますが、家康は当時、領内で「五ヶ国総検地」という大規模な検地を行い、領内の実態調査をしてその支配体制を確立するところまで来ていたからですね。

 そして、阿茶は「このことを御一同が知れば動揺が広がると存じます」と進言しますが、彼女の懸念は当然です。初期の「どうする家康」でも幾度か描写されましたが、三河家臣団は元々、平時は農民として食い扶持を耕さねば生きていけないほど貧しい人たちでした。半農半武士というよりも、農民がたまに戦に出ている感じに近い。
 それだけに、領地や領民との関係は深く、国を守るために戦うという意識が非常に強いのです。国があるからこそ、その国を守るために家康の下で戦っているのです。国替えは、その彼らの生活と働きのモチベーションの基盤を揺るがすことです。早々受け入れられることではありません。数正はかつて、国を失うことを受け入れない者を「説得するのも殿の役目であろう」と言っていましたが、簡単ではありません。


 結局、今は家臣団に関東八州の件は伏せて時間を稼ぎ、約束通り3ヵ月で北条を降伏、臣従させ、彼らの所領を安堵させる、秀吉の国替えを封じるしかありません。国替えできる土地がなくなれば良いのですから。後は家康の交渉次第となります。そのように、密談が終わったところで軍議を重ねる皆のところへ抜き足差し足で正信がやってきて、忠世をこっそり呼び出し何やら話します。これが何かは後半で明かされます。



 さて、徳川家は遂に出陣します。この小田原征伐は多くの城の攻防戦があるのですが(その中でも有名なのは忍城攻防戦を描いた和田竜「のぼうの城」でしょう)、今回は端折られ、一部の家臣の活躍のみで描写されました。一人は服部半蔵で、彼は小田原征伐の功績で、家康の関東入国後8,000石を領して、現在に残る服部家の基盤を築いています。後半の論功行賞の話とつながってきます。もう一人は大久保忠世です。今回の裏主人公だからですが、隠居間近の老体であの鎧を着こんで、宙に舞っていましたね。源義経もビックリです。



 前線で勇躍する徳川家の家臣団と違い、秀吉は一夜で城が建ったように見せかけ、相手の戦意を挫いたという石垣山一夜城の逸話に見られる心理戦で巧みに北条家を追いこんでいきます。秀吉は自らの才覚に酔い、語りまくっていますが、確かに冴えたものです。側にいた家康と正信は秀吉の才を誉めそやしますが、目的はあくまで北条との和睦の件です。なんとか説き伏せないと徳川家にとっても国替という危機が訪れますから、尚更、必死です。

 秀吉はまったく聞こうともせず、よい風景を前に小便をすると気持ちが良いと小便を始めます。下品と思われた方もいるでしょうが、元ネタは秀吉が、家康と石垣山から小田原城を見渡しながら連れ小便をし、「小田原が落城したら関八州を貴殿に進ぜよう」と関東移封を決めた「関東の連れ小便」の逸話です。相手の虚を突いて自分のペースに持っていく秀吉の才覚と小便のついでにとんでもないことを決めてしまえる秀吉の権勢を表すこの逸話、流石に家康は小便はしませんでしたが、逸話どおり終始、秀吉のペースに巻き込まれ、話すことすらままなりません。


 更にここに秀吉が呼び寄せた茶々が表れます。鶴松の育児放棄をしているのではなく、養育と留守は寧々、御慰めは茶々と役割分担しているということです。小田原征伐など物見遊山でしかない秀吉の退屈しのぎの相手に来たのでしょう。茶々が現れ、ますます家康は国替えの件が話しづらくなりますが、秀吉は茶々の相手をしつつも、家康に改めて国替えの命を厳命し、更に赴任先を湿地帯が多く、支配に適さない江戸を指定します。驚く家康を正信が取り成そうとしますが、なしのつぶて。江戸は、街道が交わるから関東の要に相応しいとまで言います。


 更に加えて、重臣たちを独り立ちさせよと口を出し、彼らを家康とは独立した大名にせよと家中の人事にまで口を出し始めましたからたまったものではありません。

 流石に「我が家中のことには口を出さないでほしい」と激昂しますが、横で聞いていた茶々はさも今思いついた体を装い、天下の武家は皆、殿下の家臣だからと秀吉をフォローします。家康への嫌がらせか、鶴松の邪魔になる者の排除なのか、彼女の真意は分かりませんが、彼女の助言で勢いづいた秀吉は再度、厳命すると茶々と楽しむために去っていきます。

 正信は「とことんまで我らの力を削ぐ気でござる」と察し、国替えが不可避との認識を示します。江戸を使える街にするには莫大な資金が必要です。秀吉は家康の蓄財を減らそうとしているのです。また、関係性の深い重臣との関係を絶つことで戦力低下と孤立化を狙っています。

 更に、ここでは言及されませんでしたが、北条氏は四公六民という当時としては極めて低い税率を採用しています。移封されても、これをむやみに上げるわけにもいかない以上、秀吉に提示された石高ほどには実収入を見込めなかったのですね。よしんば、税をあげてしまえば領民の反発を招きますし、北条方の残党と組まれて反乱でも起こされた一大事です。その場合、領国支配ができない無能とみなされ、改易になる危険もあります。家康はとことん追い詰められているのです。



2.家康と家臣団とのつながり

(1)北条氏政と織田信雄の共通点

 遂に氏真・氏直親子は秀吉への降伏を決め、現当主である氏直は自身の命と引き換えに将兵の助命を請うため、秀吉方の陣中へ出向きます。彼に付き従って現れたおふうに家康は「よくやった」と労いの言葉をかけます。この降伏における氏直の神妙な態度の一端は彼女の尽力であり、その神妙な態度と家康の婿であることから氏直は死なずに済みます。おふうあっての降伏なのですね。お葉が育てた娘は、信念をもって役目を果たしたのです。

 家康の心からの誉め言葉におふうも笑顔を見せ「ありがたきお言葉でございます、父上」と返します。彼女から「父上」との言葉が添えられるところに、親子の絆も感じられます。家康は娘を信じ、娘はそれに応えたのです。第10回で彼女が産まれたとき、家康が喜んでいたのが思い出されます。その後については描かれていませんが、家康はそれなりにかわいがったのでしょう。だからこそ、徳川家のために彼女は北条へ嫁ぐ選択を自らしたのだと思われます。


 しかし、後北条家の実質的な支配者である氏政に関してはそうはいきません。小田原城内に入った家康と康政は「四月に及ぶ籠城お見事でございました」と最大限の讃辞で礼を尽くしたうえで、助命が叶わなかったことを伝えます。

 「わかっておる、わしは腹を切り申す。参ろう」と動じることなく退去しようとする氏政の背に、家康はたまりかねたように「お聞かせ願えますか、なにゆえもっと早くご決心をされなかったか」と問いかけます。再三、北条家にとって決して悪くない条件での和睦に尽力してきた家康からすれば、氏政の行動と真意は不可解だったのです。その結果、五代続いた後北条家は滅びてしまうのですから、回避する手段がなかったのかと思うのは当然でしょう。


 すると、一拍おいて氏政は「夢を見たから…ですかな」と笑みを浮かべると「かつて今川氏真とその妻である我が妹を通じてある企てに誘われました。小さな国が争わず助け合ってつながり一つになるのだと」と思わぬ話をし始めます。そう、これは瀬名の謀(はかりごと)、慈愛の国構想です。彼女のこの構想は、東国一円を囲う貿易圏を各国の合議制で運営していくというものでしたから、氏政はそのことを改めて言っています。

 音声はありませんが、回想では必ず兄を説き伏せると請け負った氏政の妹であり氏真の正室である糸が映ります。そして、心ある人々に協力を頼み込む瀬名の姿も。糸と氏真は、瀬名との約束通り、氏政を説得しようとしていたことが改めて知らされたことになります。氏政の話にはっとした表情になる康政が良いですね。かつて、危ぶみながらも皆が命をかけ、そしてそれがために家康共々、自分たちも長年苦しみ続けることになったことですから。思いも寄らない人の縁には驚くしかありません。

 そして、「バカげた話だと思いつつも、心奪われました」と続ける氏政の背中をカメラは捉えます。彼の顔は映りませんが、おそらく複雑な笑みを浮かべていることでしょう。その背を追う家康の目線は淡々としています。驚きはあるでしょうが、一度整理し、今は封印した思い、静かに耳を傾けるのみなのでしょう。そして、穏やかに「我らはただ関東の隅で侵さず侵されず我らの民と豊かに穏やかに暮らしていたかっただけ…」と自身の真意をようやく口にします。



 しかし、この氏政の言葉は、鵜呑みすることできません。何故なら、実際の氏政は家康とは旧今川領や旧武田領も巡って何度も争ってきているからです。「関東の隅で侵さず侵されず我らの民と豊かに穏やかに暮らしていたかった」という言葉と矛盾するこれらの行為はどう考えたら良いのでしょうか。

 まず、彼もまた乱世を生き抜いて来た戦国大名だということを忘れてはいけません。つまり、氏政の長年の生存本能は、他国から奪えるだけ奪う弱肉強食の論理に支えられています。糸が語った瀬名の慈愛の国は「バカげた話」と乗るに乗れなかったのでしょう。一方で終わらない戦を厭うときもあったでしょうから、瀬名の企みに「心奪われ」る魅力もあったのかもしれません。

 結局、勝頼の野心により瀬名の企みは瓦解します。氏政は「心奪われ」ながらも、やはり現実を見ない「バカげた話」と結論づけるしかなかったのではないでしょうか。こうなれば、自分たちを守り、領民を富ませるには、これまでどおりの侵略戦争しか手段はないわけです。


 ただ、氏政の台詞から察するに、彼の野心は、信長のような天下一統の大望のような理想はなく、まして秀吉のような際限のない欲望という卑しさはないようです。家康の秀吉への進言に北条は民に慕われているというのがありましたが、この理由の一つは、先にも述べた四公六民という税率の低さがあるでしょう。増税ばかりで苦しめられている令和の私たちからするとありがたい話です。この税率を維持して領内を運営していくには、それなりに広い領土が必要だったかもしれません。また小田原を守るための安心できる防衛ラインを確保する必要もあったでしょう。

 つまり、彼の野心は、あくまで自分の目の届く範囲で領民たちと豊かに暮らせる体制を維持したいという限定的かつ現実的なものだったのでしょう。だからこそ、「関東の隅で侵さず侵されず我らの民と豊かに穏やかに暮らしていたかった」なのでしょう。勿論、侵略される側からすれば勝手な理屈ですが、根底にはるのは「自分たちの生まれた土地に愛着を持ち、その地で豊かに穏やかに生きて死んでいく」という素朴な観念なのです。氏政が瀬名の企てに「心奪われた」のは、この自分たちの素朴な考えを決して否定しないものだったからかも、とすら思えます。



 「自分たちの生まれた土地に愛着を持ち、その地で豊かに穏やかに生きて死んでいく」というのは人間の生活の本然の一つでしょう。降伏によって、その素朴な本然を否定された氏政が、一寸無念の表情を浮かべ、震えるように「何故、それが許されんのかのう!」と絶叫するその姿は、駿河太郎さんの好演もあって同情を禁じ得ません。

 秀吉への臣従が、生まれた土地に寄り添う生き方の否定となるという氏政の直感は結果的に正しいものです。国替えを秀吉から打診されている家康は、そのことを知っています。謂わば、この氏政の姿は、国替えを迫られている家康の合わせ鏡になっているのですね。だからこそ、家康は今の自分の立場を考えながら、努めて冷静に「世は変わったのでござる」と…天下一統の本質を語ることで、氏政の問いに応えます。

 この家康の応答は、第33回の数正の「国?国なんてものは無くなる。全て秀吉のものになるのだから」という台詞に見られる、天下一統とは「国の境目のない世」のいう論理を回収していますね。このとき、数正の言葉に左衛門尉は「国を失うことは誰も受け入れん」と応えましたが、今まさに家康たちにそれが出来るかが問われています。


 そして、「国を失うことは誰も受け入れん」を地でいった北条氏政は、家康の言葉に無念から目を閉じ「その変わりゆく世に力尽きるまで抗いたかった」と、この戦の本意が自分の領地に密着して生きていくこれまでの古い考えの武士たちの最後の意地であったことを明かします。小田原征伐の直接の原因は、北条方が秀吉の沼田裁定を反故にし名胡桃城に侵攻した事件が発端ですが、これも彼なりの抵抗の挑発だったのか、それとも北条方の弁明どおりで、実は秀吉方の策略でそれに応じた結果こうなったのか、本作では語られてはいませんが、少なくとも秀吉の下、国の境がなくなる天下一統を前に、最後まで国にこだわった戦国大名の断末魔が小田原征伐であったということになるのでしょう。


 さて、小田原城を退去するにあたり、氏政は再び家康と向き合い「徳川殿、この関東の地、そなたが治めてくれるのであろう。我が民をよろしく頼みまするぞ」と懇願します。命が尽きようとするその今際の際に「我が民」と領民に思いを馳せるところに彼の「我らの民と豊かに穏やかに暮らしていたかった」が嘘ではなかったということが、わかりますね。

 氏政が家康にこれを託すのは、家康が真摯に後北条家の存続に尽力し続けてくれたことが大きく作用していますが、それだけではないでしょう。家康自身はこれまで想像したこともありませんでしたが、実際の行動はともかく、瀬名の慈愛の国構想に心惹かれた氏政は、志のレベルでは瀬名と家康の同志だったのです。おそらく、この構想に夢を託し、行動したであろう徳川家康という人物の人となりを、氏真夫妻の言葉、おふうや康政の言葉などこれまでの交渉の中で間接的ですが、つぶさに観察していたのでしょう。そして、家康を信頼に足る人物と見た。
 つまり、家康自身が気づかぬ瀬名が作ってくれた氏政との縁を、家康自身がその徳をもって活かしたことで、その信頼を勝ち得たのです。つくづく、瀬名という人は大きく人々の影響をのこしていますね。

 勿論、この氏政との縁はここで終わりですから十分に活かされるわけではありません。しかし、氏政の死は、家康の未来の一つですから思案のしどころです。更に本作の家康は人様の信頼に応えようと考えます。託されたことをどうするのか、北条家の領地支配はなにか、そして国替えをどうしていくのか、考えるべきことは多数あります。それゆえに、自陣に引き上げた家康は「お前は江戸」という秀吉の言葉をじっくりと思案しているのです。



 そこへ、三成が来訪します。驚く家康に三成は「関東へのお国替えおめでとうございます」と切り出します。まだ思案中だった家康はそのことは再度、秀吉と話すと言いかけますが、三成は同じく国替えを命じられた織田信雄がそれを断り改易になった旨を伝え「徳川様はどうかご辛抱を」と伝えます。三成は切れ者です。今回の家康の国替えに対する秀吉の真意などとうにわかっていますから、家康がそれを喜ぶはずがないことも承知しています。そして、不満を抱くからこそ、先手を打って忠告しに来てくれたのですね。三成、余程、家康を気に入ったと見えます(笑)

 人の心をないがしろにする「今の殿下のやり方にはついてゆけぬ」と三成の厚意に気を許したのか、家康は本音を漏らしますが、三成は「殿下は頭の切れるお方。殿下は一度として間違ったことはしておりませぬ」と答えます。


 そうなのです。信雄と家康の移封は意図的です。秀吉は、主家織田家当主と政権ナンバー2徳川家にターゲットにしています。天下一統がなされて、全ての武家が秀吉の家臣となったことを知らしめるには、主家もナンバー2も秀吉の意のままということを見せることは効果的です。そして、信雄は逆らったために改易され、主家ですら秀吉に逆らえばこうなるという十分な見せしめになりました。小田原征伐はそれ自体が天下一統の総仕上げですが、同時にその戦後処理もまた入念な仕上げの一部になっていたのです。

 因みに信雄の国替え先は、家康の旧領五か国でした。しかし、信雄は、先祖相伝の地である伊勢・尾張にこだわったため、改易の憂き目にあったのです。つまり、信雄の改易と北条家の滅亡は、秀吉の権威と天下一統に父祖の地にこだわるという同じ愚を犯したからなのですね。これによって、家康は国替えを受け入れる以外の選択肢はなくなりました。


 このように三成の「間違ったことはしておりませぬ」はそのとおりです。しかし、それは豊臣政権の権威づけの合理的な判断として、間違ってはいないだけです。三成はそのことに気づいているでしょうか。元服した頃より秀吉に仕えてきた三成は、その徹底的に合理的な秀吉の言動に盲目的に心酔している節があります。ですから、「もし万が一、殿下が間違ったことをなさったときは、この三成がお止め致しまする」との言葉は嘘でないでしょうが、一方でそんなことは起きないという自信も窺えます。三成を見る正信の目に不審が宿るのは、こうした三成の純粋ゆえの盲信の危うさを覚えるからでしょう。


 それに気づかない三成は、どこまでも理想に燃えています。夜空の一番星を見つけると「戦無き世を成す、私はかねてより徳川様と同じ星を見ていると心得ております」と語り「力を合わせて参りとうございます」と心からの言葉を伝えて去っていきます。三成の胸中には、あの日、星を語り合ったときの思い出がよぎっているのでしょう。ただ、その純粋さが痛々しいのは「同じ星」ではないと知ったときの三成の落胆が想像できるからですね。

 三成よりも年輩かつ長年連れ添った多くの家臣を抱える家康は三成の言葉を額面通りには受けとれず、戸惑うような表情も見え隠れします。
    逡巡する彼に正信は、のんびりとした感じで「江戸からも同じ星は見えまする」と助言します。三成の危うさはともかく、とりあえず国替えの正しさだけは間違いないからの言葉ですが、それだけではなく、三成に心惹かれる家康の純粋さも含み込んでいるのでしょう。気遣うようなやんわりとした物言いで「夢は三河でなくても追える、大丈夫だ」とそれとなく伝え、今は迷いを捨てるよう進言します。
   実は今の家康の迷いの一番は家臣たちと夢見た「戦無き世」の理想の頓挫以上に、故郷から引き離される家臣たちへの申し訳なさにあります。そんな家康の心情を読み切っている正信は既に大久保忠世を使った秘策を打ってあります。だから、家康に「大丈夫」と安心して助言できるのです。いやいや、正信もほんと、すっかり家康びいきな家臣になりましたね(笑)
   そして正信が仕掛けた大久保忠世を主人公とした正信劇場が開幕します。




(2)家康と家臣たちをつなぐもの~イカサマ師、正信の秘策~

 氏政との対話、信雄の改易、三成の忠告、これらを合わせ思案した家康は、国替えを受け入れる決断をし、家臣たちを呼び寄せます。しかし、この決断は、家臣たちを騙し討ちに等しい形で慣れ親しんだ土地から引きはがし、新しい領国へ送り込むことです。また家康は、長年、彼らに支えられていながら、彼らの領土と領民を守ることができなかった忸怩たる思いがあります。彼らの故郷への思いがわかっているだけに、その後ろめたさと後悔と申し訳なさは筆舌に尽くしがたいものがあるでしょう。

 「来おったな…殿より大事なお達しがある」と芝居がかった物言いの正信は、家康の悲愴な決意を知っているだけに、彼なりに場を和らげようとしているのでしょう。そして、家康は意を決して「関白殿下の命により」、五領と引き換えに関東八州を賜った旨を伝えます。この際、「三河も手離す」と強調するのは、彼らが生まれ育った岡崎への思いが特別だからです。これまでのように故郷のプラスとして領地が増えるのではなく、故郷は永遠に失われます。その重さがわかるからこそ、きちんと伝えようとする家康のせめてもの誠意でしょう。
 そして「誉れ高きことである」と心にもない言葉を添えて、特に反対しそうな忠勝を見ながら「異論は認めん」とまとめます。最早、どうにもならないことだけに呑み込んでもらうしかないからです。


 しかし、家臣たちは、忠勝の「関東も良いところに相違ござらん」を皮切りに「我らはとっくに覚悟ができており申す」「腕がなりまする」「故郷にはちゃんと別れを告げて参りました」と次々の素直に沙汰を受け入れる物分かりの良さを見せます。驚いて拍子抜けしている家康の表情がおかしいですね。今回の家康は、様々な場面で戸惑ってばかりです。

 さて、家臣たちの反応の答えは平岩親吉の「故郷にはちゃんと別れを告げて参りました」の言葉にありますね。彼らは、今回の小田原征伐が故郷との今生の別れであることを出陣前から知っていたのです。それを彼らに伝え…ではなく、そのタフな肉体で不満を受け止め説き伏せたのが大久保忠世です。


 一同の視線を受け、忠世は「正信に頼まれただけで」と謙遜し、「こんなときばかり」厄介事を押しつけられると苦笑いします。前半の駿府城で合議中の忠世を正信が呼び出したのは、皆の説得を頼んだのですね。

 この件はどうしても、大久保忠世の漢気に焦点があたりますが、ここは、正信の深謀遠慮にも注目したいところです。家康はなんとか国替え回避を模索していましたが、軍師たる彼にはもう不可避であるとの確信があったのでしょう。そうだとすれば、彼らの不満をどこかで吐き出させ、心置きなく旅立つ心構えをさせるほうが後々には問題にならないと考えたのです。

 彼らの動揺を察した阿茶の懸念はもっともですが、その一方でこれまで一歩離れたところで家臣団をずっと観察してきた正信は、小牧長久手や数正出奔などの様々な危機を紆余曲折ありながらも乗り切ってきた彼らが必ず最後は家康の下で一枚岩になるという確信があったのではないでしょうか。軸のブレない彼らであれば、今回の動揺も乗り越えられる。


 ただ、そのためには説き伏せる人格者が必要です。本来ならば、宿老二人の役割ですが、数正は出奔、左衛門尉は眼病で隠居状態。となれば、家臣たちとも気脈が通じ、それでいて宿老に次いで年輩である大久保忠世に白羽の矢が立つのは自然でしょう。しかも、正信にとっては長きに渡る友人です。この後に正信が語っていますが、忠世は正信が三河追放の間、彼の妻子の面倒を見るほど情に厚い人物です。だからこそ、正信は、彼の人間性とその人徳を信じ、そしてお人好しだから押しつけるのも簡単という気安さ(笑)から、忠世にこの大役を任せたのです。

 人望のない正信にこの役は向いていませんし、彼も暑苦しい情のやり取りは逃げ出すクチですし、一方で結果オーライでこういう勝手が許される自分の得も知っていますから、家中でのこのポジションは心地よい居場所でしょうね(笑)


 そして、こうした状況を整えておくことは、家康自身の心理的な負担を減らすことにもなります。小牧長久手で直政と話した際も家康の優しさを看破することを言っていた正信です。家臣思いの彼が必要以上に抱え込むことも織り込み済みでしょう。このように、一歩引いたところで見ていた正信が本当の意味で徳川家の一員となって、影ながら徳川家の団結の手助けをしたのが、この物分かりのよい家臣団の在り様なのです。

 まあ、その自覚があるのか、「毎度ながら勝手なことを致しまして」と悪びれません。家康もまた口さがなく「全くじゃ、だが礼を言う」と遠慮のない物言いなのが良いですね。返す正信の「どういたしまして」に至っては、してやったりの満足感すら窺えます(笑)




 とはいえ、押しつけられた忠世はひたすら大変でした。もう好き勝手に、罵倒され、殴られ、掴みかかられ、大泣きされ、その全てをひらすらに受け止め、彼らが疲れ果て諦めるまで耐え抜きました。若い直政はともかく、他の面々は皆、いい年をした中年のおっさんたちです。やり方が大人気ないというか、どうして思慮分別のある年齢になっても、殴り合ってわかり合うという「週刊少年ジャンプ」みたいな流れになっちゃうんでしょうね(笑)


 一つには、それだけ、武家が領地、国にこだわり、それをアイデンティティとして生きていたからということではあります。自分の根幹を決定的に揺るがす今回の国替えは、理屈では処理しきれない、また単純な感情にもなり得ない複雑なものであったということでしょう。

 その一方で殴り合っただけで結局、処理できてしまったのは、家臣団の関係性によるところが大きいでしょう。数正と左衛門尉が抜けた家臣団たちの間は上下関係がありません。そうした中で、彦右衛門が「忠世兄に言われては…」という言葉で、気持ちを納得させたのは興味深いです。彼らは友人や同僚というよりも兄弟なのでしょうね。三河家臣団という兄弟、その職業性や利害関係から離れた風通しのよい関係性が、事を収めたのでしょう。


 勿論、この単純さは、ホモソーシャルな男性社会そのものという側面も免れませんが、一方で彼らは女性たちの絆に対して拒絶的ではありません。寧ろ、前回のnote記事で触れたように、彼女らの重層的で双方向的な絆が、頑なで自浄作用のない彼ら家臣団を連れ動かしたり、変えたりしていきます。それができるのは、彼女たちの絆も家臣団の兄弟的な絆も、家康という一つの軸にあるからでしょう。前回でも述べましたが、家康は家臣団と絆を結ぶだけでなく、女性たちとのつながりの影響を受けて変わっていける柔軟さがあります。


 つまり、徳川家は家康を軸に、多様な者たちが共生できる家族的なつながりを築きつつあるのかもしれません。そして、そのつながりがあるからこそ、家族を信じていられるからこそ、三河という土地を離れてもやっていけるのかもしれません。彼らは気づかぬうちに、国や領地よりも大切な人のつながりを得ていたのかもしれません。
 第7回で「一つの家」になることを目指して、改名した「家康」の名…丁度、30回分を経た第37回にそれが形を見せ始めたのだとすれば、興味深いのではないでしょうか。



 話を戻しましょう。こうして、恥も外聞もなく家臣たちが胸襟を開いてくれたことに家康はいたく申し訳なく感じ「皆悔しかろう、すまぬ」と心から詫びます。

 最年少の直政が、慌てて「おやめくだされ、また一から始めればよいかと」と家臣の励ましの口火を切ります。言葉にも思いやりがあります。そう、家康たちはいつもいいところまで行っては、振り出しに戻っていますから、今回も同じです。忠勝は「我らは生き延びたんじゃぞ」と続け、生きていればチャンスがあると言います。

 栄華を誇った今川も戦国最強の武田も天下人間近だった信長も滅んだこの戦国で、「あの弱虫な殿のもとで」(平岩親吉)「貧しくてちっぽけな我ら」(彦右衛門)、三河家臣団だけが生き延びたのは奇跡と言っても良いのです。滅びれば何もできません。生きているものだけにチャンスがあるのです。だから、家臣たちは「ありがとうございます」と改めて感謝の意を述べ、これでよいのだと励まします。

 家康も感極まり「こちらこそじゃ。こんなわしにようついてきてくれた、よう支えてくれた。皆のおかげじゃ」と土下座します。内容は小牧長久手で檄を飛ばしたときとよく似た文言なのですが、余計な気負いがない分、こちらのが染み入りますね。思わず、家臣たちも家康に対して同様に平伏します。冷静な康政が一番泣き出しそうなところに家臣団の思いが凝縮されていますね。そこで、湿っぽくなりかけたところを酒を飲もうと崩す正信のタイミングがまた素晴らしいですね。



 こうして、「皆、城持ち大名だぞ!」と話題は、与えられる領地の話となります。直政には「調子に乗るな」、康政には「ちぎれ具足をまとっていたお主が大名じゃ、これからも励め」、平岩親吉には「泣くな」とそれぞれに合った言葉を添えて、領地配分をしているのが家康のよいところです。

 そして、まだ自分を殿と認めていないという忠勝には「認めてもらえるとよいのう」と期待を込めた抜群の笑顔を見せていますが、忠勝、ただ一礼するのみです。とうの昔に家康を認めている彼ですが意地っ張りな彼の精一杯がそれというのも微笑ましいですね。
 家臣たちは、家臣団という横のつながりも大切にしていますが、同じくらいに家康個人との友垣のようなつながりも大切にしているのだとわかるシーンです。かつては家臣団との間に溝ばかりが目立った家康はいつの間にか家臣たちの中心にいますね。


 そして、残った相模小田原は、ほぼ満場一致で大久保忠世に与えらます。半蔵が「自分がもらえるかも」とちょっと期待しているのがかわいいやら、可哀想やらですね。しかし、彼にしても忠世が拝領するならば依存はありません。
 史実的には、大久保忠世率いる大久保党が家臣団で力を持っていたから小田原を拝領したとの話もありますが、「どうする家康」の忠世は活躍の割に報われていない感がありましたから、最後の最後、皆が本当に大切にしていた兄貴分であったことがわかり、報われたというオチで良いでしょう。
 皆の納得を得、その上で家康が「大久保忠世、小田原を与える」と宣言する…この一連の流れに家康と家臣たちが一つの家族になっているのだと窺えます。



 そして、家康が湿地帯だらけの江戸に行くことへ、一同は驚きますが、彼は秀吉の「街道の交わるとこ」「東国の要」という言葉を前向きに捉え、「江戸を大阪並にする」と誓ったと大笑し、皆を安心させます。家康なら必ずやるだろうとという家臣たちの思いも一致しています。領地が与えられなかった半蔵を江戸に誘い、そして服部党も武家にする約定も交わし、こうして家康と家臣たちは「次に会うのは江戸」「心は一つじゃ!」と別れの盃をかわします。
   この輪には、イカサマ師&偽本多と蔑まれた本多正信も、武士と扱われなかった服部半蔵も加わっています。別れのこのとき、三河家臣団は一つになったのです。この場にいない眼病に罹った左衛門尉も、出奔した石川数正も、三方ヶ原に散った夏目広次と本多忠真も、その心だけはここに集っているでしょう。

 こうして三河家臣団は解体されますが、彼らは徳川家家中の家族の絆で今もなおつながったままです。岡崎を失っても、多くの犠牲を払いながらも、そこで築かれた得難い関係性は彼らの生きる糧となるのですね。



(3)崩壊する秀吉

 さて、小田原征伐も終わり、京で病に伏せる秀長の元へ「天下一統あいなってございます」との報告が入ります。長きに渡る秀吉を支えた秀長は「とうとうやりなさったな…兄さま」と万感の思いで呟きます。秀長自身は「戦の無い世」の実現のほうに関心があったと察せられますね。そして、兄がそれを成し遂げたことに満足した彼の唯一の心残りは、その欲望の際限のなさです。彼の「唐入り」の野心の本気度を一度、見てしまっている秀長は不安なのです。秀吉には届かない病の床から「これ以上の欲は張りなさんなよ」と呟くしかないところが哀しいですね。彼としては、日本の全てを手に入れ、後継者の鶴松を得たことで十分なのです。そして、鶴松への関心で野心が止まることを願いつつ、彼は逝きます。



 しかし、願い虚しく、その鶴松が祈祷の甲斐もなく亡くなります。寧々が真っ先に泣くのは、豊臣家の希望が失われたショック、そして茶々が小田原にいる間は面倒を見ていたからでしょう。純粋に鶴松への愛着から来るものです。

 一方、呆然としている茶々の本心はわかりかねます。鶴丸を失った哀しみは当然あるでしょうが、彼女の動機からすると、それと同程度に天下取りが振り出しに戻ってしまったやるせなさや無力感、虚無感もある気がします。

 そんな二人の脇で、秀吉は突如、笑い出します。ぎょっとした顔で皆、彼を見ますが、その目は虚ろです。そして、笑いながら手を虚空に伸ばします。自分の手をすり抜けていった鶴松の魂を追うような手つきにも見えますが、それを見た茶々が嫌悪感を隠さなかったことは興味深いですね。どうなるかわかりませんが、この虚ろな表情で笑う老人との子を再度成そうとするでしょうか。もし思わないとすれば…秀頼の父は…という話にもなりますね。

 さて、虚ろな秀吉は「次は何を手に入れようかのう」と誰ともなく問いかけます。彼が最も欲した家柄ロンダリングと自分の血を分けた息子という家族、彼は一度に最も欲したものを失います。老境にある彼からすれば次の子は望めるかもわかりません。全てが失われた今、何かを代償行為として手に入れなければ、彼の心の虚無は満たされません…いや、何をしても満たされはしないのですが…そんな、彼を気づかわし気に、でもあまり直視できない三成が印象的です。家康の前で豪語した「万が一」が起きることを感じたのでしょうね。

 どうやら、自身が初めて得た家族への関心が突如断ち切られたことで、武家を養うために起こそうと内心思っていた「唐入り」が鶴丸の死への辛さを埋める代償として行われることになりそうです。元々、計画はしていましたが、そのトリガーが息子の喪失であったことは印象的です。
 そして、本来ならそれを止めることができる存在であった秀長もこの世になく、家康を義弟としてつなぎとめていた旭はその前に亡くなっています。因みに大政所にも死期が迫っています。秀吉は家族の喪失によって、精神的な均衡を崩しつつあります。

 慣れ親しむ故郷を失っても、家臣たちと一時的に離れ離れになろうとも、徳川家という「家族」の絆を支えに今なお夢に向かえる家康とは対照的になってきましたね。




おわりに

 今回のサブタイトル「さらば三河家臣団」は、感傷的な印象を与えるものでした。たしかに三河を始めとする五か国から遠く江戸に家康たちは旅立ちましたし、上級家臣たちは大名化、家康から独立しましたから、たしかに三河家臣団は解体されました。

 しかし、その解体をとおして、逆に改めて徳川家臣団が家族としての強いつながり、関係性が確認されました。そして、それは前回、描かれた徳川家にかかわる女性たちのつながりと、質は違いますが静かに響き合っています。その中心にいるのは、家康です。家康は自分の元に集う多様な人々を受け入れていく柔軟さと強かさを、いつの間にか人徳として獲得していたようです。

 これは一朝一夕で手に入れたものではありません。三河一向一揆での失敗、氏真という義兄弟との決別、多くの家臣を失った三方ヶ原合戦、絶望を味わった築山・信康事変、兄貴分信長の死…これらの哀しい経験をとおして、家康は死にゆく人の思いを受け止め、生きている人々を信じ、その意見に耳を傾け、成長してきました。他者との関係性が今の彼を形づくったのです。

 その結果、家康を中心とした多様な人々がつながって共生していく家族となる、それが徳川家の強さとなっていったのです。長年培った彼らの関係性は簡単に消えるものではありません。だから、三河家臣団は消えても、いずれまた彼らは家康の元へ集うことになるでしょう。優秀な上級家臣の多くと別れることになった家康ですが、その心は孤独ではありません。江戸の町づくりという新たな夢へ邁進する朗らかさが印象的ですね。


 対して、秀吉は遂に手に入れた我が子という家族を始め、秀長、旭と次々と家族を失っていきました。彼らの全ては病死で致し方ないことです。しかし、秀吉の孤独はそれでは説明ができません。例えば、家康は瀬名と信康を非業の死で失い、また於愛も、旭も失いました。しかし、家康は亡くなった彼女たちとの関係性まで失っていませんし、心の中で支えとなっています。孤独には決してなっていません。

 結局、秀吉の家族とは血のつながりだけであり、更に彼の欲するものを提供してくれる者だけが家族という一方的なものです。だから、自分の理想の家族を与えてくれた茶々×鶴松だけに入れあげ、彼を心配する寧々や病になり役に立たなくなった弟、秀長の言葉は耳に入りません。彼の利己的な欲望は、本当に大切にすべき人の縁まで見えなくしているのですね。この利己的な家族愛は、後年、養子にした甥、秀次を切腹させ、その家族を皆殺しにした行為ともつながっていきそうです。わずかに手に入れかけた理想の家族があったばかりに、それだけを追い続け飢え続ける彼は精神の均衡を失わざるを得ないでしょう。


 さて、「街を一から作るとは楽しいもんじゃのう」と江戸の町づくりにエンジョイするノリノリな家康の元へ、朝鮮出兵の招集がやってきました。なだぎ武さんの伊奈忠次役が発表され、今回も登場していたのでなにげに江戸づくりに尺を割くのかと思っていたのですが、どうやらそれどころではなくなったのだけは残念です。

   仕方ないので、「どうする家康」は次の朝鮮出兵の話を楽しみにすることとして、江戸の町づくりは、数年前に放映された正月時代劇『家康、江戸を建てる』を再度観ることで補完しましょう。未見の方には補助教材的におススメです。
   ただし、大河ドラマのファンが見ると、伊奈忠次が石川数正(松重豊さん)だったり、大久保主水が「麒麟がくる」(2020)の豊臣秀吉(佐々木蔵之介さん)だったり、家康が「江 姫たちの戦国」(2011)明智光秀(市村正親さん)だったりしますから混乱するかもしれませんね(笑)




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