世界の壁を切り拓いた王の物語【書籍レビュー】
読書家の皆さまには同意いただけるものと思いますが、本というのはとかく部屋の隅でタワーを作りがちなものではないでしょうか。
最近では電子書籍なる物理的実体を持たぬ本まで存在するため、積本タワーもめでたく(?)電脳世界への進出を果たしました。しかもこの電子積本、実体が目に見えないのでたちが悪い。気を抜くと信じられないくらい高々と積み上がっているんですよね…!
先日、自分のkindleストアの積本具合を確認して恐ろしくなったので、懺悔の積本消化を始めました。これはそんな縁で手に取ったアレクサンドロス大王を主人公とする歴史小説のレビュー記事です。
マケドニア王アレクサンドロス3世
アレクサンドロス大王の名は誰もが一度は耳にしたことがあるでしょう。おさらいを兼ねてChatGPTくんに彼の生涯をまとめてもらいます。
うーん、パーフェクト。
ついでに古代マケドニア王国の位置も調べておきましょう。下の地図の赤いところなので、今はギリシャの一部ですね。地図の東側、現在のトルコがペルシア帝国なあたり、東方の脅威が差し迫ったものだったのが分かります。
アレクサンドロスの生涯は短かったものの、その鮮烈な衝撃は地中海世界と小アジアで長く語り継がれました。ポンペイからはペルシア帝国との戦いを描いた有名なモザイク画が出土しています(下図)。右側がペルシア帝国のダレイオス3世、剥落の激しい左側にて愛馬ブケパラスに騎乗しているのがアレクサンドロス。サムネ画像はこの部分の拡大図です。
書誌情報
マケドニア王アレクサンドロス3世(実は3世)の生涯を生き生きと描き出す歴史小説。文庫本とはいえ690ページもある大長編。
阿刀田高氏の小説は初めて読みましたが、博識ですねぇ。歴史書・伝説に知られるアレクサンドロスのエピソードを細やかに拾い、取り入れています。それでいて学術書の堅さはなく、読み進める際の感覚は塩野七生氏の小説に近い印象です。
文体は端整で簡素。しばしば現在ではあまり使われない単語熟語が織り込まれており、歴史物語の文としての引き締め効果に繋がっていますが、辞書がないと意味が分からないことも。
物語について
物語は若きアレクサンドロス王子がミエザの学園(父王フィリッポス2世が息子のために設置した学舎)でアリストテレスと対話するシーンからスタート。智と武の二大巨頭の対面です。これが歴史どおりというから凄い。
アレクサンドロスものといえば、個性が出るのが神がかりの王妃オリュンピアスとの関係の描き方。近親相姦的なものから敢えてスルーしているものまで色々ですが、本作では息子から母への感情は薄めに設定されてますね。母に逆らうことはしないが、煙たくも思っているぐらいな感じ。
父王フィリッポスとの関係は悪くないものの、女色と暴飲癖のある父にアレクサンドロスは敬意と軽蔑の混ざった感情を持っている、という設定。フィリッポスはオリュンピアスの陰謀で殺されたが、特にその証拠はなく、ヘファイスティオンも関与を疑いつつもアレクサンドロスへの影響を慮って告発していないという距離感です。
ストーリーのメインはアレクサンドロスの東方遠征戦記にあります。ギリシャとの同盟を率いてトルコ、エジプトを比較的穏便に平定し、ペルシア帝国と総力戦を繰り広げ、皇帝ダレイオス3世撃破後もイラン方面へ領土を拡げ、インダス河地方へ侵攻していった流れを順を追って語っています。
多くの人物が登場しますが、特定の人間関係に記述の重点を置いてはいません。アレクサンドロスは唯一にして絶対、圧倒的な夢見るカリスマであり、その他の人物は彼を囲む小さな星のよう。比較的多く語られるのは、知恵者プトレマイオス、もうひとりのアレクサンドロスことヘファイスティオン、老将パルメニオン、実直な忠臣クレイトスら。余談ですが、後にディアドコイ戦争で活躍する書記官エウメネスは名前すら登場しませんでした。主要メンバーのはずなのに、何で…?
世界の果てを目指す人たち
アレクサンドロスの行程を見るにつけ思うのですが、ペルシア皇帝ダレイオス3世を撃破するまでは理解出来るとして、その先の東方遠征はなんというか、本当に運とパワーで押し切った感が強くてよく勝てたなと思います。いや、よく部下が付いてきてくれたな、という方が正しいかな。こんな強行軍、ふつう謀反を起こされて途中で終わりますって。
それだけのカリスマ性に富んでいたということなんでしょうが、逆に言えば地理的距離をこの無謀なエネルギーでぶち抜く奇跡を起こしたからこそ、東西の文化が混じりヘレニズム文化が花開いたのかもしれません。嵐が来たような、突風が吹いたような、凄まじい人間です。
インドからの帰りも地中海地方に戻る際、地図もないのに砂漠を横断したようで、本当に蛮勇というか、実現力は見習うべきかもしれませんが自分の上司でなくて良かったと思います。
外伝として面白かったのが配下の水将ネアルコスの航海。アレクサンドロスがインドからの帰路、アラビア湾とペルシア湾岸の砂漠を踏破しようと強行軍していた裏で船旅を続行し、バーレーンを訪れた史上初のギリシア人になったそうです。彼は膨大な記録も残したそうで、魚を主食にする部族があるとか、鯨との遭遇についても記していたそうです。残念ながら彼のテキスト本文は失われましたが、ローマの著述家が後にオリジナルに基づいて事実を付与した本を書いており、これで大体の内容が分かるみたい。
獅子王って何だろう?
さて、本作でアレクサンドロスはしばしば「獅子王」と呼ばれていますが、現実に彼が獅子王の二つ名を持っていた形跡はないので、これは作者の趣味でしょうか。
或いは、想像をたくましくすれば、アレクサンドロスをモデルとした『銀河英雄伝説』のラインハルトが即位後「獅子帝」と呼ばれているので、あれの逆輸入かもしれません。アレクサンドロスは狂信的な母を持ち、キルヒアイスが自分と同じ程度には長生きし、オーベルシュタインを飼うことなく、ヤン・ウェンリーに出会わなかったラインハルトってことですかね。難しい人格です。
物語の終わりに作者はこう書いています。
たしかにそうかも知れません。偉業と無謀と矛盾を詰め込んだ宝箱のような英雄。それがアレクサンドロス3世という前代未聞の存在だったのでしょう。
余談:ヘファイスティオン
アレクサンドロスという人間にとって最も近しい友だったという忠臣ヘファイスティオン。そのポジションの美味しさのせいか、数々のメディアミックス作品では作者の趣味を全開にしたキャラ付けが与えられていて興味深いです。自分の見た中で、ちょっと変わったヘファイスティオンたちをメモしておきます。
※※※以下、ネタバレ注意。
2004年の映画『アレキサンダー』では、アレクサンドロスをバイセクシュアルに設定しており(史実でもそうだった可能性あり)、ヘファイスティオンは友であり恋人という位置付け。BLだ!
岩明均氏の漫画『ヒストリエ』はアレクサンドロス大王の書記官エウメネスを主人公とした異色作。ヘファイスティオンは多重人格者アレクサンドロスの裏の人格、乱暴かつ不真面目な王子として登場。でも、真に闇が深いのは真面目な方のアレクサンドロスの人格かもしれないのが面白いところ。
「ヘファイスティオン」で画像検索するとズラリと並ぶ黒髪の美女はFateシリーズのヘファイスティオン。アーサー王を女性にしたシリーズだし、ヘファイスティオンが女でも不思議じゃないかと思っていたら、アレクサンドロスの腹心ヘファイスティオンの名もなき双子の妹が兄の名を借りて登場している…とのこと。一番ややこしい設定じゃないかコレ
生涯がかなり正確に分かっているにも関わらず、後世の人々の妄想力を刺激し続けているアレクサンドロス大王と部下たち。このぶんだとまだまだバリエーションが増えそうですね。2300年も経っているのに衰えぬ息吹に感服です。