【滋賀・京都】琵琶湖疏水② 大津から山科疏水を歩く。もう紅葉? 涼しい季節が待ち遠しい。
明治時代、琵琶湖から京都に水をひくためつくられた琵琶湖疏水。第1トンネル出口を出てから日ノ岡まで、全長約4kmの区間を山科疏水という。疏水沿いに遊歩道がつくられ、自然あり、寺院あり、散策にぴったりである。普段は犬を連れた人やジョギングする人とすれ違うぐらいで、とても静かな道だ。ヤマザクラを中心に約660本の桜並木が続く。紅葉の季節も素晴らしいに違いない。行ってみよう。
琵琶湖疏水は取水口から水をとりいれ、三井寺の近くで第1トンネルに入る。今回は、京阪追分駅から、第1トンネル出口にあたる西口洞門を目指した。
Googleマップを頼りに住宅街を歩くこと約20分。坂道を降りると、やっと疏水が見えてきた。第1トンネル西口洞門である。
訪れたのは8月24日だが、すでに紅葉し始めている・・・のではなく、暑さで葉が枯れかけているのかも。木のためにも自分のためにも、早く残暑が終わってくれることを願った。
この洞門には、石額がついている。右から「廓其有容」と読める。近くの案内板によると、「かくとして それいるることあり」。山縣有朋が揮毫したもので、「疏水をたたえる大地は、奥深くひろびろとしている」という意味だそうだ。
琵琶湖疏水のトンネルの出入口は、大抵、洋風の洞門で、漢字で書かれた石額がついている。他にも伊藤博文、井上馨の揮毫によるものがあり、琵琶湖疏水の建設にかけた意気込みが感じられる。
西へ進むと、藤尾橋という橋に着いた。ぱっと見は普通の橋だが、レンガと石造りの土台が残っている。古くからある橋のようだ。
一燈園の前を過ぎ、少し行くと、またトンネルが現れた。このトンネルは新しいので石額がない。手前に船溜が広がっている。水路の幅を広げて停船場を設け、荷物の積み下ろしや休憩場所として利用した。
第1疏水には、四ノ宮、諸羽、御陵、日ノ岡、蹴上の5カ所に船溜が設けられた。「琵琶湖疏水の100年 (叙述編)」を読むと、子どもの頃、船溜で泳いだ人の話がある。泳いでいると、米、炭、砂利などを積んだ船やお客を乗せた遊覧船が通ったという。
昔は水がきれいだったんだなあ。
東山自然緑地を通って、さらに進んでいく。トンネルの出口で、餌を探すアオサギを見つけた。
さらに歩き、安朱橋のあたりに来ると、キバナコスモスの花が咲いていた。橋を右に曲がると、桜と紅葉の名所、毘沙門堂に着く。疏水から徒歩10分ほどなので行ってみた。
毘沙門堂に行く途中、「忠臣蔵」で知られる浅野家の菩提寺、瑞光院があったが、残念ながら門は閉まっていた。山科は大石内蔵助が住んでいたこともあり、12月には山科義士まつりが開かれる。近年は新型コロナウイルスのため中止されているようだ。
疏水沿いの道に戻り、さらに進む。景色はきれいだけど、疲れたなあ。おなかもへった。そろそろ帰ろう。
最後に天智天皇山科陵に寄ると、やはり少し紅葉していた。鹿に気をつけるよう書かれた看板があり、ちょっとびびる。そういえば、疏水沿いにイノシシ注意の看板があった。
天智天皇山科陵を出て、地下鉄御陵駅を目指したが、三条通は車が騒々しく、3時間歩いた疲れがどっと出た。もはやこれまで・・・と思ってタクシーを拾う。
体力がなくてスミマセン。
目的地の四条河原町には、10分ちょっとで着いた。