第19回『冬のパワハラ旅行で背骨を骨折…先輩ホストの命令は絶対』
うぃす! 大阪男塾の塾長です。
今回は、僕が人生で一番の大怪我を負った話を書くっす。
2003年11月にホストとして活動を始めた僕。
たっつん、一義さんというハイレベルなホストに弟子入りをさせてもらったこともあり、売上は右肩上がりに。
「さらに上を目指すぞ!」と意気込んでいた2004年2月、勤めていたホストクラブのメンバーと慰安旅行へ行くことになったんすよ。
先輩たちが「スノボをしに行きたい」ってなってたんで、行先は雪山だったんすね。
僕は運動神経が良い方なんですが、スノボは未経験。
先輩ホストたちは、スノボ経験者も多かったっす。
なので雪山に着いて早々に「最上級者コースへ行こう!」ってことになりました。
正直「俺、初心者やのに、あんたらと一緒のコースで滑るんかい!」って思いました。
でもホスト業界は縦社会。上から言われると断るのは難しいんすね。
まあ僕もむちゃぶりは嫌いじゃないんで、「ほな、一丁やったろかい!」って思ってました。
まあ今のコンプライアンスが叫ばれるご時世なら、確実パワハラっすね。
いざ最上級者コースへ行くと、めっちゃ高さがあるんすよ。
スキーのジャンプ台をイメージしてもらうと、わかりやすいっすね。
あんな感じで角度のある斜面を上から下へ滑っていって、ジャンプ台で大きく跳躍するというのが一連の流れっす。
「よっしゃ、タクマ(僕の源氏名)行け! 滑れ!」
って先輩ホストが囃し立ててきたので、「ほんなら、飛んだるわい!」とスノボを足にセット。
斜面を勢いよく滑り、台で思い切りジャンプ!
僕の体は大きく宙を舞ったんすけど、スノボを足にはめてるから、上手く身動きがとれないんすよ。
受け身をとろうと体を捻った瞬間、背中を思いっきりアイスバーンで打ち付けました。
あまりの痛みに呼吸ができないんす。
「これ、どっかヤバイとこが折れたな…」
動こうとしたんすけど、体が動かないんすよ。
早く助けに来てもらいたかったんすけど、先輩たちには全然その気配なし。
僕は普段からよくボケてたんで、「動けない振りをしている」というボケと思われたんでしょうね。
「もうええってタクマ。次待ってるんやから、はよせえや」って、ノリの一環として捉えられてたっす。
僕が、落下姿勢のまま微動だにしないんで、ようやくザワザワし始め、数分してからみんなで僕を救出に来てくれました。
心の中では「遅いねん!」て叫んでましたね。
すぐに先輩たちが呼んでくれたスノーモービルのような乗り物でとりあえず救護小屋まで移送。
その後救急車に乗ったんすけど、山道の揺れが危ないとのことで、途中からドクターヘリに!
少しでも動くとヤバイくらいの重症だったので、体のあちこちを木で固定されました。
ヘリの中で、看護師さんが「痛いところを指でさしてください」って言うんで、なんとか指を動かして僕が指示した場所。それは我が股間。
「もう、そういうのいらないんで、ちゃんと教えてください」と看護師さんはぴしゃり。
渾身のボケだったんすけど、上空数百メートルで盛大にスベりました。
スノボーで滑ったよりも滑りました。
このときが人生で一番、大滑りした瞬間だったかもしんないっすね。
あと、ヘリに乗っていたドクターの息が、「お前、昨日ジンギスカン食いまくったやろ?」って思うくらい臭かったっすね。
顔も木で固定されてたんで、逃げれないし「弱り目に祟り目って、このことか」って痛感したっすよ。
病院に運ばれた僕は、「背骨骨折」の診断を受けました。ドクターから重いトーンで「運が悪かったら、もう歩けなくなるかもしれない」と告げられました。
そのとき僕は、井上雄彦先生の車椅子バスケット漫画『リアル』を読んでたんすよ。
「もし歩けなくなったら、車椅子のバスケ選手を目指そう!」って真剣に考えてたっす。
手術後、リハビリを続けて、歩けるようになるんすけど、二ヵ月以上の入院が決まったんで、急に時間ができたんすね。
僕は常に何かを仕掛けたり、仕込んでいたいんすよ。
そして生きてる時間、全てを味わい尽くしたいんす。
なので入院期間は、ひたすら携帯の有料出会い系サイトを使って、女性と知り合うことに専念。
退院後、ホストとして復帰したときにお店へ来てくれるお客さんを、入院中に増やしておきました。
なので入院というブランクがあったんすけど、復帰直後は売上が落ちることはなかったっす。
人生に逆境やアクシデントはつきもの。
すでに起こったことは、変えられないんすよ。
そこを想定した上で、よりよい未来を切り開くために、今何をするか、どう動くか?
その逆算はいつも必要っすね。
最後まで読んでもらって、あざしたぁ!!
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