名言より学ぶvol.4 「イヌも歩けば棒に当たる」
「犬も歩けば棒に当たる」という言葉には、2つの意味があります。「棒」を障害物や災難と考えるならば、「犬が散歩したらひどい目に遭う」と解釈できるでしょう。
この場合は、何かを始めたことで、思わぬ災難に遭ったという意味になります。
しかし、「棒」を幸運と考えるならば、「犬が散歩をしたら思わぬ幸運に出会う」と解釈することが可能です。この場合は、何かを始めたからこそ良いことにも出会えたという意味になります。
(引用〈小学館 デジタル大辞泉〉より)
「犬も歩けば棒に当たる」の類義語
・怪我の功名
・思い立ったが吉日
・歩く足には泥がつく
・触らぬ神に祟りなし
https://domani.shogakukan.co.jp/673685/2 ~Domaniより
確かに使い方としては、幸運と災難の両面があります。
結局書き手の意識と言いますか、どちらの面を言いたくて使うのか、その判断を誰にでも分かるようにして使うべきです、でないと全くの反対の意味になります。
自分としましては「途方に暮れ引きこもっていても何も起きないので、とにかく行動すべき、動かないことには何も起きないよ!」と言う意味で使うことが多いです。
出歩いて大変な災難に見舞われてしまったので、もう動かない!
そうはなりません、でも実体験としてはあるので考えものですね。
上方かるたの冒頭の句である「一寸先は闇」に対して、江戸の「いろはかるた」の最初の札を構成する日本のことわざ。
ことわざ・いろはカルタ研究家の時田昌瑞によれば、「犬も歩けば棒に当たる」に相当することわざは、オランダでは「駆け回る犬は、いずれ食い物を見つける」、スペインやメキシコでは「船に乗らない者は船酔いしない」、トルコでは「座っているライオンよりも歩き回るキツネの方が良い」であるとしています。
犬がフラフラ出歩くと、棒で殴られたような災難にあったりする。
じっとしていれば良いのに、余計な行動を起こすべきでないとの戒め。
(俗用)行動を起こすと、幸運なことでも、災難なことでも、何らかの経験ができる。
あくまでことわざも言葉です、生かすも殺すも使う人次第いってことです。」