辞世の句 vol.01 「細川ガラシャ」
辞世の句とは、死を見据えてこの世に書き残す生涯最後の句 辞世(じせい)とはこの世に別れを告げることを意味します。
そして、遠からぬ死を見据えて先人がこの世に書き残した最後の句が、辞世の句です。
臨終の間際に限らず、死を予見しあらかじめ書き残した句や、死は意識せずとも生涯最後になってしまった句なども含まれます。
「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」
花は散るときを知っているからこそ花として美しい。
人間もそうであらなけれならない、今こそ散るべきときである」という意味です。
明智光秀の娘で、細川忠興の妻。
永禄6年(1563年)、越前国で、明智光秀と妻・煕子の間に三女として産まれる(次女説もあり)天正6年(1578年)8月、父の主君・織田信長の発案により細川藤孝(幽斎)敬虔なキリシタンだったことで知られています。
関ヶ原の戦いの直前、西軍の石田三成に人質として捕らわれそうになりました。
逃げられないと悟ったガラシャですが、キリスト教では自殺が禁じられているので家老に槍で殺してもらいました。その時詠んだ歌と伝えられています。
「死ぬべき時を知っていてこそ、人間が人間たりえるのだ」
なんと潔い戦国の女性ではないでしょうか。
元々、気性の激しい一面もあったとされる細川ガラシャですが、キリスト教を信仰したことによって、謙虚で穏やかな性格になったとも言われています。
細川ガラシャの存在感は、死後においても細川家に大きな影響力を持っていたのです。
非常に数奇な運命を辿った人ですが運もありそれなりに生き延びた方です。
戦国時代なので自身の運命を見通していくことは難しかったと思います。
生まれた家柄、身分は良くても一気に逆賊になり追われる立場となりキリスト教出合って人生が変わったとは思いますが最期は自決も出来ないので家臣に命を奪っていただいたワケですが、もし現代に生きていたのなら、素晴らしいリーダーになっていたのではないでしょうか、政治家に向いているかも・・・?
名前が先攻し美女でキリスト教を広めた方と、表面上はそんな功績がクローズアップされるかも知れませんが、生い立ち等を見れば本当に凄い激動の中を生きて来た人です、でも完全に時代に翻弄されてしまったようですね~残念!辞世の句に人生が反映されているようで儚さと力強さを感じますね。