自己紹介
改めてはじめまして。
谷迫善弘(たにさこ よしひろ)と言います。
多くの記事の中から目を止めていただき、ありがとうございます。
岡山の田舎で生まれて東京で育ち、たくさんの方々に支えられて、今があると思っています。その経験や教訓を形に残したい、誰かに貢献できたらと思い、投稿を始めることにしました。
今回は、自己紹介記事になります。
テーマは挑戦(チャレンジ)です。
ボクの好きな名言が「やらぬ後悔よりやる後悔」をモットーに生きています。
ボクの今までの人生を書きました。
ノンフィクションの短編小説のように読んでいただければと思います。
谷迫善弘の略歴
岡山県笠岡生まれ東京・下北沢育ち。
2007年 東京農業大学第一高等学校 入学
2010年 法政大学 社会学部 社会学科 入学
2013年 アイルランドATC Language Schools Brayに語学留学(1年休学)
2015年 日本フィルター工業株式会社 入社
2018年 双葉インターナショナル株式会社 入社
2021年 ITフリーランスへ転身
高校受験での挫折と大学受験のリベンジ
ボクの家系は、関関同立/MARCH一家でした。
父が関西大学で、兄が中央大学。
高校受験の時は、正直遊びまくっていたので、早慶からMARCHの付属を受けて、全て不合格でした。
滑り止めの高校に入学したのですが、父としてはあまり良く思っていなく、
「なんであの高校に入ったんだ」と言われたのを今でも忘れません。
この挫折を踏まえて、大学受験はなんとかMARCHに入らねばとリベンジを誓ったもの、高校サッカーに1年間打ち込んだ結果、学内の成績は下から数えた方が早かったです。
正直サッカーも勉強も上手くいっておらず、悩んだ結果、ボクは受験を取ることにしました。
それから塾と個別指導の両輪で勉強をして、3年生になってからは毎日10時間の勉強をしました。
全てのものを横に置いて、ガムシャラに勉強へ向かっていました。
一番嬉しかったのは、合格発表の時です。
オンラインで合格発表を見て、泣いたのを今でも覚えています。
達成があるから、頑張れるようになったのは、この経験からかもしれません。
アイルランド留学
大学3年生の終わりの就活前に、確か西八王子で花見をやった際に、
壮大な二日酔いで、寝ていた時に思いました。
「このまま大学生活が終わっていいのか」
「このまま就活に望んでいいのか」
このベットの上で考えていた時に、高校時代から薄っすらとやってみたかった留学を決意したの覚えています。
お金を貯めていなかったですが、決めたら止まれない性分で、アイルランドに留学をしました。
記事にも書いてるので、興味がある方はぜひ。
一番のチャレンジは、自分の殻を破ることでした。
留学当初は、ボクは英語を全く喋れない状態でした。ましてやヒアリングはサッパリで、どうコミュニケーションを取ったらいいかも分からなかったです。
最初の1週間の授業は全くついていけず、ホストファミリーの家に帰って、ベットで悔しくて泣いたのを覚えています。
泣いていてもしょうがないので、この状況を打開するために、決めたことがあります。
恥ずかしさを捨てて、クラスの先生の一挙手一投足を真似することから始めました。
身振り手振りはもちろんのこと、言ったこともなかった「Wow」などの感嘆語も真似るようにしました。
そうすると、人間の適応能力と成長スピードは恐ろしく、どんどんクラスメイトと仲良くなることができるようになりました。
新卒・地方転勤
留学後、商社での海外営業を夢見て、就職活動をしますが、上手くいかず、
海外営業があるメーカーに入社しました。
配属先は、石川県の工場の総務部総務課。
工場の皆さんには、生意気なボクを温かく接していただいたと感謝しています。
初めての一人暮らしで、写真のように期待に膨らませていますが、なかなか上手くいかない3年間でした。
逆に言うと、一番成長する機会をもらっていたと今なら言えます。
生活でいうと、東京に実家があるので、自動化に自立が求められます。
もし東京配属だとしたら、実家にいて、今と違った価値観や倫理観だったと思います。一人暮らしをすると、親への有難みを痛感します。
仕事でいうと、自分の幅を広げざるえない状況でした。
業務規定書のような規定に、総務課の業務範囲が、記載されているですが、
確か『製造に属さないその他全て業務』とあったのを覚えています。
工場来賓のお客様へのお茶出しから、トイレットペーパーの発注や安全管理など多岐にわたります。そういえば駐車場の雪かきもありますね。
どれもこれも未経験のものばかりで、全てチャレンジでした。
ただ、この経験のおかげで、大抵のことは驚かずに仕事できるようになりました。
海外営業での海外出張
26歳の時に、念願の商社で海外営業をやることができました。
海外出張もでき、やりたいことを実現できました。
※写真は、コソボに行った際の写真です。
https://note.com/tenboss123/n/n6931477a83a4?magazine_key=mb9fe9c791596
ここでの挑戦は、諦めなければ為せば成るです。
上述の記事でも書きましたが、コソボの公用語はアルバニア語です。
ボスニアヘルツェゴビナへの出張のついでだったので、下調べが正直甘かったのがありますが、通訳もつけていませんでした。
そこでのミッションは、車整備のワークショップとの関係構築。
国際電話が通じない国だと、現地に到着して知りました。
コソボで、ワークショップに電話しようと思って、会社携帯が使えなくて、頭が真っ白になったことを今でも覚えています。
最終的になんとかしたのですが、人間は追い込まれれば追い込まれるほど、力を発揮するなと自負があります。
この内容については、また別の機会で書いていきたいと思います。
スペイン移住計画
詳細は、上記の記事に書いたのですが、29歳の時は、体調を崩しがちでした。
残業に残業を重ねて、体に無理がたかったんだと思います。
30歳以降も残業三昧は嫌だなと思い、またもや寝込んだ時に決意しました。
スペイン・イビザ島への移住を。
アイルランド留学時代に、バケーションで行った1か月が何よりも楽しかった。
その時の自分は、日本でやり残したことはないと考え、スペイン語も身につけ、現地の仕事も決めていました。
コロナ期の出会いで変わったボクの人生
スペイン行きの準備を整えたボクに、大きな障害が立ちはだかりました。
コロナによる緊急事態宣言です。
これにより、スペインでの仕事もなくなり、スペイン移住を断念しました。
そんな時に、26歳の時からの仲良くさせていただいている先輩に相談してみたら、「知り合いの社長さんがいるから、相談してみれば?」と言っていただき、ご厚意で、紹介の場をセッティングしていただきました。
その時に質問されたのが、
「5年後、10年後はどうなりたいですか?」でした。
正直、即断即決で猪突猛進のボクとしては、将来を考えてる訳もなく、
「3年後までしか考えていません」と答えました。
その紹介が終わり、家に帰った時に思いました。
「当たり前だけど、5年後、10年後を考えるのは大事だなと」
改めて、紹介の場をセッティングしてもらい、
「5年後、10年後のために何をやってきましたか?」とボクが質問したところ、社長さんの回答は、「読書」と「いる人を変えること」でした。
正直どうやって良いかも全くわからなかったのですが、『何事もやってみないとわからないから、やってみよう』と行動しました。
ボクの好きな名言は、「やらぬ後悔よりやる後悔」なので、それに従い、「質問をして、まずはやってみたこと」がボクにはすごく良かったのだと、振り返ります。
今後の展望
たくさんの経験ときっかけで、その後、営業の仕事で個人事業主に転身、現在はITフリーランスとしてチャレンジしています。
働き方は劇的に変わりました。
また、他にはご縁を紡いで出会った方といくつかプロジェクト単位で仕事をしていて、様々なスキルアップに取り組んでいます。
主にレンタルスペースの経営・運営を中心に、ライティングやSEO対策・SNS運用などの力をつけている真っ最中です。
またチームビルディングを通して、自分自身の魅力を磨き、独立・企業するために動いています。
個人的は、ワインとオーガニックをかけあわせた事業をできたらと考えていて、先駆けてワイン会とYoutubeを始まることにしました。
最後に
このnoteを通して、様々な経験やチャレンジを記録に残せたらなと考えています。
全世界の誰かのチャレンジするきっかけになれば幸いです。
僕は人生を通して、挑戦と達成をもって、成功する場所を作り続けて、みんなの幸せに貢献すると決めております。
こんなボクですが、どうぞよろしくお願いいたします。