田辺先生から人生初の英語学習
その英語の先生は田辺先生だった。中学に入学後の初めての英語の授業。田辺先生は教室に入ってきて正面の黒板前の教壇から笑顔を浮かべながら、英語で何かを話した。
「Good morning, everybody.」。確かこんなことを言ったと思う。
クラス中の生徒が反応した。
「分かれへん」。
これが英語学習の始まりだった。まったくゼロからのスタート。日本語とは言語的に余りにもかけ離れている英語。日本人には使いこなすのが極めて難しい英語。そんな英語の特性なんか知る由もなかった。以降、今に至るまで苦しめられることになる英語学習の呪縛が始まったことにも気付かなかった。
とにかく、田辺先生の授業で真面目に勉強すれば、英語が話せるようになると信じた。
だが、そんな希望が打ち砕かれる時がやって来た。
英語が話せない英語の先生
田辺先生の英会話の能力に疑問を持ち始めるきっかけとなったのは大阪府内の中学共通の英語のテストだ。そこには簡単なヒアリングテストが出題されていた。ちなみに、英語の聴き取り能力を調べるテストは今はリスニングテストと言うが、当時はヒアリングテストといった。
そのヒアリングテストで教室内のスピーカーから聞こえてきたネイティブの英語がまったく聞き取れなかった。驚いたのはそれだけではなかった。普段の英語の授業で聞いていた田辺先生の発音とはあまりにも違ったのだ。テスト終了後の休みの時間。生徒の間から田辺先生の発音を批判する声が出た。
「田辺の発音と全然違うがな」
ノンネイティブだからネイティブの発音と違って当たり前だが、田辺先生の発音はいわゆる発音記号をきちんと踏まえた発音ではなかったのだ。f,v,thなどの日本語にない音が田辺先生は苦手だったようだ。
fastとfirst
いまでも覚えているのがfastとfirstの発音の指導だ。田辺先生は新しい単語を習うたびに黒板に発音記号も書いていた。ただ、発音記号通りに発音する方法を教えてもらった記憶がない。
fastは「ファースト」と習った。数カ月後、その次に習ったのがfirstの「ファースト」だった。そしたら、生徒から質問が出た。「同じ発音ですね、先生」
田辺先生は威厳を持って説明した。
「違いますよ。ほら発音記号が違うでしょう」
発音記号が違うといっても、田辺先生が発音するfast も、firstも日本語の「ファースト」にしか聞こえなかった。