「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」を改めて読む
「三級呪物くらいの破壊力があって読むと死にたくなる」とか言っていたくせに結局読み返すことにしました。
【各キャラクターの印象】
何せ読んだのが18年くらい前の一~二度きりだったので、驚くほど細かい所は覚えていない。でも同時に驚くほどキャラクターの根幹はたったそれだけしか読んでいないのに覚えていました。
たださすがにそれだけ年月が経過すると私自身の視点と時代が変わって印象も変わります。
そういうお話。
【山田なぎさ】
語り部。
主人公というより、語り部だと思います。やはりこの作品の主人公は海野藻屑。
なぎさちゃんの視点で物語は進行するけれど「山田なぎさが海野藻屑との日々を回想する」という形で展開されるため、基本的に藻屑のことに対して大きく焦点が当てられています。
※※※
初めて読んだ時は「13歳のくせにスペック高ぇなこの娘……」なんですが、その高スペックのせいで自分の首をどんどん絞めていっているんですよねなぎさちゃんは。
兄・友彦を「養う」という関係は劇中でさんざん語られているので省略しますが。
手のかからない、しっかりした娘だから、母親からは庇護対象ではなくもう寄りかかられており、終盤では藻屑ちゃんの真実を全部打ち明けられてしまっています。それがなぎさちゃんのもう砂糖菓子でベタベタに甘くなっていた心に実弾となって傷つけることを知らずに。
「あんたはしっかりした娘なんだから、友達を守ってやりなさいよ?」という意味での忠言なのでしょうが、なぎさちゃんの母親自身、心身共に追い詰められている状況なので、知ったばかりのあまりにも悲惨な藻屑の状況を誰かに吐露しなければ保たなかったのでしょう。
このあたり、田舎の閉塞感がよく出ています。
また、藻屑視点では「クラスでいちばんかわいい(でも自分が来たから今日からは二番目)」と語られており、兄友彦も美形です。
友人の映子は、お喋り好きの情報通というまぁよくいるキャラクターですが、ストーリーが進行するにつれてどんどん二人の仲は険悪になり、終盤でハッキリとなぎさちゃんが藻屑ちゃんを庇う発言をしたことで決定的な皹が入り「学校の教室」という狭い社会を敵に回すことに。
なぎさ視点では「映子は藻屑に親切にしても振り向かないのに、不愛想な自分に藻屑が懐くのが腹立たしいのだろう」となっていますが、クラスのワンツートップの美少女二人がつるんでいたら、そりゃあ……ねぇ?
しかもこの二人は、閉鎖された田舎社会において絶対にやってはいけない「二人だけの世界に埋没する」をやらかしたわけで。
※※※
総じて頭も顔もよろしいのですが、そのせいで「他者を世話する」だけの力を持ってしまい、誰かに頼りにされ、それによって自尊心を満たしている娘です。
藻屑が来るまでは高二病に罹っておりクラスメイトを内心見下しているにも関わらず、それを表にあまり出さず上手くクラスの中で立ち回りができていたこともスペック高ェ。顔も良くて家貧乏だからなおさだよ。
ただその頭の良さのせいで「自分は不幸だと思っていたけれど、藻屑はもっと不幸で、そんな彼女に手を差し伸べることは今までの自分を支えていた自尊心を破壊し自我崩壊に陥る行為である」とめっちゃ理屈が通った考えに至り、藻屑ちゃんと距離を取る。
藻屑ちゃんの砂糖菓子の弾丸が、ミネラルウォーターのペットボトルを投げる行為がSOSだったのだと内心では理解しながら「そっちには行けない」と線引きする。
つらい。
「自分は子供だから無力」であることに甘えられない。
それこそ担任教師が言っていたように「安心」を得るのがなぎさちゃんは、むしろ、怖い。
おそらく「安心」の象徴だった兄が豹変したことがきっかけで、他者に寄りかかることが怖くなったか、寄りかかる母親に育てられたことで何か嫌悪感を覚えたんじゃないでしょうか。
ただ、精神的にずっと(豹変して以降も)兄に依存していたことは間違いないわけでして、本心ではずっと誰かに支えてもらいたいという13歳の子供としては当然の心境を抱えていたことが
あたりで語られています。
本当は兄・友彦も担任教師も本気でなぎさちゃんがSOSを発信すれば走ってくれる男の人だったのですが……。
この視野の狭さがおつらい。
そして、その世話焼きであることを自尊心としている田舎の美少女が、誰かに助けてもらいたい自尊心の高い都会の美少女と出会ったことが悲劇の始まりだった。
【海野藻屑】
始終なぎさ視点で藻屑ちゃんのことが語られるのが本作なのですが、もちろん他人視点なので海野藻屑が本心何をどう思っていて、なぜあの場面でそのような行動を取ったのかは答えが無い、というあたりが、本作をミステリーたらしめている所であり、また多くの人々の心を惹きつける怪作である要因だったのだな、と読み返して気づいたところです。
前に記事書いた時は「第三者視点で書かれているにも関わらず藻屑ちゃんの心境がすげーわかる」と書いたんですが、ほんの少し謎として残されているところが、とんでもない魔性を秘めているんですよねこの小説と、海野藻屑というキャラクターは。
登場人物たちを翻弄するのも含めて、アンデルセンの人魚姫では失われた、人魚が本来持つ魔性のファムファタルの力を持っています。
※※※
Q:なぜ自分を人魚だと言い張るのか?
A:おそらく愛する父親の代表作が人魚をテーマとしているから。美しい人魚に出会って、焦がれて、その手にして、そして食べる。それが藻屑にとっての一つの希望。
Q:なぜ障害者であることを隠すのか?
A:父親の体面を保つため。また、障害を負った原因は父親の『愛情表現』によるものなので、社会的倫理とかいう偏見で、自分と父親を定義されたくないため。
Q:なぜ他人をフルネームで呼ぶのか?
A:キャラ作りの一つか。人魚の世界にファミリーネームなんて概念は無いとか質問したら返ってくるかもしれない。
メタ的には「山田なぎさ」と「海野藻屑」という二人の主人公の名前を劇中で何度も連呼することで、二人は正反対だけど通じる所があるキャラクターなのだという暗喩かと思われる。
Q:藻屑がウサギを殺したのか?
A:不明。花名島は嘘をつけない性分だと思われるので、彼の証言の信憑性は高い。だが藻屑は非常に頭の回転が速く、他者を翻弄する弁舌に長けた虚言師でもある。花名島でも、藻屑でもない第三者にウサギを殺させた可能性もある(間接的犯人説)。
Q:藻屑がウサギを殺したのであれば動機は?
A:藻屑にとって暴力は愛情と同義である。よって、ウサギを愛していなければ藻屑が直接ウサギを殺すことは考えにくい。だが藻屑は「ウサギは可愛いけどくさい」などと言っておりとてもではないが、殺害するほどの愛情を抱いているようにはうかがえない。
なら作中の花名島の推測(なぎさに構ってもらいたい)が当たっているのか言うのであれば、当たらずも遠からずか。
個人的には「山田なぎさは花名島正太が好き」と最悪な形でぶっちゃけることによって、なぎさが藻屑をどれだけ庇ってくれるか試したかと思われる。
※※※
個人的な感想でアレなのですが「海野藻屑は作中ずっと命を賭けて周囲が自分をどれだけ愛してくれるか試していた」のだと思われます。
ようするになぎさちゃんの初見印象の「構ってちゃん」は正しい。正しいけれど、切実に命が掛かっているだけの話。
このあたりなぎさの項で引用した「自分のために走ってくれる男の人」と同じようで、全然違うところでもあります。
なぎさちゃんはぶっちゃけ「自分のために走ってくれる男の人」なら誰でもいい。それが父であれ兄であれ恋人であれ。
一方で藻屑ちゃんは、友達。女の子の、友達。男友達を考慮しないのは、以下の理由。
まず藻屑ちゃんにとって、最高の男性は父親である海野雅愛です。明らかに彼女はそれ以外の男性は眼中にありません。どれだけDV親父であろうとも、美形だし、芸術的センスに溢れ、金も持っているので……こんなん大概の男はゴミに見えますわ。
花名島に対する素っ気ない態度からもそれが伺えます。ってゆーか終盤のあの事件以外、藻屑ちゃんはなぎさちゃん視点なのもあって父親となぎさちゃん以外マジで何も見ていないようにしか見えねーんだよ!!
クラスでいちばんかわいい女の子
彼女は、山田なぎさはクラスで自分を唯一無視した
オマケになんの因果か隠している虐待の痕を、彼女にだけ転入即刻で見られてバレた
後述しますが、藻屑ちゃんは「美醜」というものについてもとんでもない拘りがあったと思われるので「自分の次くらいの」「汚れない美少女に」「自分の汚れた部分を見られた」のは運命的なモノを感じて執着したのは当然かと思われます。
※※※
藻屑ちゃんは美醜について、砂糖菓子の弾丸ではなく本心を打ち明けているとしか思えない口調で吐露している場面が多いです。
とくに母親について語った時は、キャラ作り完全に放棄しています。
もう美しくなく、必死で、美しい父親を自分が母親から勝ち取ったのだと。
お前卵からぷちぷち産まれる人魚って設定じゃなかったのかよ、などというツッコミをなぎさちゃんが忘れる勢いで吐き捨てています。
一方でなぎさちゃんが「恥ずかしい」「古い箱庭」だと感じた作中舞台の町を見下ろした風景を見て「なかなかきれい」と、なぎさちゃんを慮ったのか素で言ったのか不明な一言を漏らしています。
この美醜についての価値観は、17歳の息子持ちの山田なぎさの母親の先輩が、藻屑の父親の海野雅愛である、ということを読み返して考慮すると別側面が見えてきました。
これによって藻屑の父親の年齢が推定計算できます。四〇代前後くらいですが、まだなぎさちゃんが認めざるを得ない美形です。
ジャンヌ・モローを見て「この女優きれいだね」的なことを言いますし、俳優にとって美しさは商品価値である、ということを子供心に極鋭した意識で持っているところがあります。
他にも見たこともないなぎさの兄、友彦が美形であり浮世離れした男性であることを知ると全肯定したり。一週間に一回しか風呂入らないのに臭くないとか変な所で食いついてくるあたりね……。
つまり、藻屑にとって美しいことは大変価値のあるモノで、醜く汚いことは唾棄すべきことである、となります。
※※※
で、このあたりはかなり妄想の入った話になるのですが。
藻屑の虐待は露出高めの夏用制服を着ていたらギリギリ隠せるくらいの箇所に集中しています。
父親は完全に理性なく殴っていたわけではなく、娘に虐待を加えていることを隠せる箇所だけ暴行していたわけです。だから酷ェ話なんだよこの小説。
でも素肌を晒す機会のある、体育の授業やお風呂に入る必要のある林間学校や修学旅行などには行けないわけでして。
ましてやプールなど、股関節の障害もあるので絶対に無理。泳げない人魚です。
……つまるところ「虐待の傷痕は醜く、海野藻屑は美少女だけど醜さを隠した存在である」ことを自覚していて、自覚しているということは父親にそう教えられたのではなかろうかと。
「お前みたいな汚ェガキを好きになるヤツがいるか?」みたいなことを。
この結果、藻屑ちゃんの孤独と父親への依存心はさらに深まり、醜さと汚れの自己嫌悪と美しさと純潔への崇敬が、あの人魚設定の砂糖菓子の弾丸として凝り固まったのではなかろうかと。
また、母親へのらしからぬ悪口は「今は美少女の自分もいずれ大人になって年をとると、アレと同じになる」という真っ暗な未来の鏡を見せられる自己嫌悪が漏れ出た気もします。
総じて明け透けな態度と裏腹に自己肯定感が著しく低い少女だったと言えます。
※※※
また、藻屑ちゃんはこの反動か性的なことについては純潔でありたい、というような願望がところどころにうかがえます。
自分は美少女だと明け透けに自認しておきながら一人称が「ぼく」だとか。人魚は女性的だけど無性だと聞かれてもいないことをやけに主張したり。
生殖行為はしない存在だとか。
これらの砂糖菓子の弾丸をなぎさちゃんに撃っていた時、「自分は姫で卵は全部孵さないといけない」と言っていた時だけ一人称が「あたし」となぎさちゃんを真似るように変わっていたり。
一方で、なぎさちゃんは兄が豹変したきっかけが色恋沙汰であり、そのためか自分自身の恋心にも蓋をして、性意識を向けないようにしているところがあり、藻屑ちゃんとは違う方向で純潔的。
藻屑ちゃんは父親、なぎさちゃんは兄と、肉親の男性に依存してギリギリの精神を保っているのも一緒。
※※※
というか、なぎさちゃんは一人称なのもあって本当に恋愛や性的なことに関しては鈍感で、わざとセンサーを抑えているのがわかるんですよね。
13歳の女子では日常的な恋花トークとかは「実弾じゃないから」と言わんばかりに劇中で一切出てこない。
なぜ好きな女の子を殴れるのか完全に理解不可能(13歳で理解できた方がヤバいんだけど)。
意識しないようにしているから清純な山田なぎさ。
一方で、海野藻屑はものすごく性的なこと、恋愛観について色々と捏ね繰り回した結果、純潔でありたいと拗らせている。
そらこんな人魚がこんな美少女を見つけたら焦がれるわ。
互いが互いの欲しいものを持っている二人が出会ったけど、そこにはベタベタと傷を舐め合う無力で無意味な砂糖菓子しかなかった。
※※※
ただ、芸能人でDV親父の血を引いて育てられた藻屑ちゃんは、意識して人を傷つけたり迷惑をかける無邪気な残酷さを抱えてもいます。
火災警報器のボタンを押すのなんて序の口(逃げ足が遅いのにやるあたり、本当に構ってちゃんである)。
障害者手帳をバスから降りるタイミングで運転手にだけ見せて、級友二人には「察して」と言葉に出さずSOSを出すとか(察しようが察しまいが、なぎさはあの件で不快に思いそして真実を知った後深く傷ついた)。
ウサギ小屋事件の真実がどうあれ、花名島を不必要に酷く挑発し、なぎさの自尊心を傷つけています(消失トリックを見破られたことの意趣返しもあるかもしれない)。
結果的にこの行為は、藻屑ちゃん自身を酷く痛めつける結果になりました。自業自得なんで擁護できねぇ……。
※※※
このウサギ小屋事件での後の暴行は「今まで父親以外に殴られたことがない。それも自分の美しさの牙城である顔を何度も殴られて醜くされる」というおよそ藻屑ちゃんにとっては凌辱と表現してよい結果を招くことに。
藻屑ちゃんにとって暴力は愛情表現。
でもそれは違うとなぎさちゃんに諭されて、愛犬も喪って、そもそも今までの人生でも知りうる機会はいくらでもあったはずなわけでして。
それでも暴力は愛情表現なんだと信じることでしか、藻屑ちゃんは生きられなかった。
藻屑ちゃんとしては、花名島に暴力を振るわれた=レイプされたにも近しい精神的衝撃が、友達のなぎさの目前で行われたわけで。
ここから加速的に藻屑ちゃんが壊れて
・あの父親が夜間外出許可を出すわけがないのに夜の海になぎさを呼び出す
・なぎさに助けてもらわなかったら溺死する
・高価なブランド服を海水でずぶ濡れにして帰ってくる
と自殺行為の役満をし、後日思わぬタイミングで再会した花名島への憎しみが抑えきれず、彼女もまた憎悪でもって暴力を行い、花名島を汚す。
これらのエピソード、18年くらい前に読んだ時は意味わかんなかったんですけど「大切な友達の目の前で、彼女の好きな男の子にレイプされる」「大切な友達の好きな男の子を、彼女の目の前で寝取る」という暗喩があり、でも実態としては結局はただの憎悪による暴力の応酬でしかない、という現実もあって、その両方がいっぺんに藻屑ちゃんに襲い掛かった。
今まで自分に言い聞かせていた妄想を信じると、自分はもう汚されてしまった。
きちんと現実を認めると、自分は父親に愛されてなんかなくて憎悪で暴行を受けていた。
強制的に大人への階段を登らされた。
※※※
そんな時に、今までの人生も積み上げてきた価値観も全否定して現実逃避したかった時に、今までどんなにSOSを出しても応えてくれなかったなぎさが「一緒に逃げよう」と砂糖菓子の弾丸を撃ってくれたんだから、そらもうね……。
オマケに藻屑の暴行によって失恋したことを、なぎさはあんまり気にしていない。恋愛より友情を大切にしてくれている。
何この人魚姫が求めていた王子様。
挙句の果て、なぎさの家出する時に持ち出すもののチョイスが明らかに藻屑センスをくすぐっている。
着替え(わかる)、シャーペン(まぁ役には立つ)、石鹸(?)、ドライヤー(???)
ようするに「身綺麗にする最低限の道具」と「今までの日常」が混ざった明らかに現実が見えていないガラクタばかり。
「山田なぎさはちゃんと女の子で綺麗でいたいんだ」とわかるこのチョイスは、汚れてしまったことを心の底で認めてしまった藻屑ちゃんの心にどう刺さったのか。
そして藻屑も、自分の荷物を取りに行くためにいったん帰宅します。
これが藻屑の命を懸けた最後の賭けだったのでは、と私は思っています。
なぎさちゃんが、実弾という理性の残った状態であるのならば「藻屑は帰っちゃだめ。お父さんに殺されちゃう」と止める。
止めないで家に帰ったとしても、もしかしたら父親に殺される前になぎさちゃんが助けに来てくれるかもしれない。
二人で一緒に殺されるかもしれない。
でも父親は身内にだけしか暴力を振るえないつまらない人間だったとしたら、山田なぎさは、父親よりも強くて正しい。
山田なぎさの生きている世界で、生きてもいい。
……結果は、砂糖菓子でベタベタになったなぎさちゃんは、もう取り返しのつかないくらい、かつての藻屑ちゃんの世界に引き込まれたわけだったのですが。
終盤で二人の妄想と主義がひっくり返ったことで、あの悲劇が起きたのだと私は考えています。
でも、それだけ、藻屑ちゃんの意志が、友達に届いたってことでもあるわけで。
海野藻屑が撃ち続けた砂糖菓子の弾丸は、山田なぎさの心にずっと残る甘ったるい呪いになった。
【山田友彦】
お兄ちゃんの「家計が貧困状況にあることを理解しているのに、それでも浪費を止められない引きこもり」という設定は、2004年当時だと納得いかなかったんですよねー。
今だとソシャゲに廃課金したりFXで溶かしたりするのでめっちゃわかるんですが(酷い世の中になったもんだ)。
お兄ちゃんは本作の中でストーリー面でも浮いた存在なので、キャラクターというより舞台装置的な役回りだと解釈しています。
※※※
ただお兄ちゃん、引きこもりの間でも妹のなぎさちゃんは可愛くて仕方ないという愛情が溢れ返りまくっているんですよね。だからなんだか憎めない。
食わせてもらっていることにちゃんと感謝する。
妹の悩みはどんなに現実離れしていても、きちんと聞く。
ネットと書籍だけで頭でっかちになった17歳の少年なりに考えた理屈でもって、不器用に妹を元気づけようとする。
友達と映画見に行くとか言っていた妹が土まみれで泣きそうになって帰ってきたら大慌てで、三万円もするガラクタ放り投げて妹の心配をする。
そんな妹の友達が死んだ、父親に殺されたという話を真摯に受け止めて、今まで怖くて出られなかった外の世界へと飛び出す。
靴のサイズが合わなくなっていても、ゲロ吐いても妹のために飛び出す。
妹が泣いて事情説明できないのを、自分も泣きながらなんとか説明する。
今までの償いをするかのように自衛隊に入隊して、金銭的に妹の助けをする。
お兄ちゃんどんだけ妹のこと好きなんだよ。
これ考えると、ヘッドフォン着けてDVD見ていたりしたのは、自分の殻に閉じこもることで、自分の今の惨めな状況を理解しているからこそ自己嫌悪から生じる八つ当たりで妹を傷つけるのを避けるための行動だったのかもしれない、と解釈できますね。
なぎさちゃんが藻屑ちゃんと「逃げる」と言った時には明らかにキレてましたからねお兄ちゃん。
妹に対する罪悪感は元からあったけど、それを表出しないようなんとかそれを抑え込むのに彼なりに必死だったんじゃないかと。
家庭内暴力をやってしまったら、もう自分は本当にお終いだという自制心があったのではないかと。
※※※
引きこもるきっかけも「14歳の頃、積極的な女の子に自室まで侵入されて、何かがあった」というあたりものすっごいピュアです。普通中二~三男子なんて性欲の塊だぞ。
その当時の年齢に近づきつつある妹もともすればトラウマになりそうなのに、めっちゃくちゃ妹として可愛がっているし。
一応、彼視点で考えると七歳の頃に父親が亡くなったわけなので、記憶にあるであろう父親に代わって長男長子として妹を守らなければいけない、という意志が彼の精神根幹にかなり関わっているとは思うのですが。
そういう弱音を吐いたという思い出がなぎさちゃんの中にないこと、引きこもってしまった所も考えると、生来的に弱みを見せたい性分を義務感で抑圧したせいで拗らせていた期間が劇中の期間だったのかもしれませんね。
……たぶん当時の2ちゃんねるでグチグチ悪態吐いていたんだろうなぁ。
【海野雅愛】
本作の諸悪の根源なんですが、なぎさちゃんが聞き流している情報とかをまとめていくとこのDVクソ親父も、なるべくしてなった人物像だよなぁ、と納得するところが。
初版刊行時の2004年前後が劇中時代だと仮定して、さらに推測の年齢四〇代前後だと仮定に仮定を重ねると、学級崩壊なんかが問題になっていた昭和末期が学生時代になりますかね。
当時から荒れていたようですが。
田舎で育ったバンドマンが都会デビューして大成功。一時は時の人だったけど、ヤクで捕まって以来落ち目になり、今はヤクザ役とかしか回ってこない芸能人。
これが劇中で提示される情報ですが、彼のデビュー曲『人魚の骨』は海の風景が描写されたロマンチックな曲で、本作劇中でなぎさちゃん視点でさんざん語られる同じ海を、海野雅愛もまた若い頃に見ていたというお話になります。
彼はいわば、音楽という砂糖菓子の弾丸を実弾として撃ち込み、大成功してしまった人物です。
元から危うい人間で、だからこそ音楽で成功して、田舎から都会という全然違う環境に対応しなければいけなくて、結果としてちゃんとした大人になるタイミングを見失った人物。
※※※
父娘の性格が似ているのだとすれば、藻屑ちゃんの性格の一部を海野雅愛も持っていると仮定できます。
藻屑ちゃんは、勝手に友達と見定めたなぎさちゃんとの交友を深めるためには手段を選ばない所があり、彼女が好きな男の子と険悪な関係になるのを笑って喜ぶような嗜虐的で独占欲の強い一面があります。
また、感受性が強く頭の回転が速すぎて凡そ常人には理解できないエキセントリックな言動と行動は、藻屑ちゃんの育った家庭環境のせいですが、そもそも父親の彼もそうではないと言い切れないわけで。
※※※
『人魚の骨』の内容や、劇中で彼が行った数々の暴行や言動を見るに、彼はとても愛情に飢えた人物であったことがうかがい知れます。
ただ、彼は愛情を貰っても常人に理解できる愛情の返し方ができない。おそらく、理解ができない。
美しく、焦がれた人魚を捕まえたら、まるでどこの誰にも奪わせまいとするがばかりに食べてしまう。その骨すら美しいと表現する。
しかし実際の彼は、本当に愛する者の命を自ら奪ってしまうと、子どものように大泣きして彼なりのやり方で弔うことしかできない、とても不器用で誰にも共感してもらえない男です。
劇中でサイコパス診断テストを彼だけが正解していますが、年齢や職業を考えると「そのテストの内容は元から知っている」から正解したのだと私は考えています。
確かに彼は共感性が低い人物かもしれませんが、人一倍に鋭い感性を持っている。だから傷つきやすく、狂暴さを抑えきれない。
……藻屑ちゃんも、性別と年齢が違うからそれを爆発できないだけで、同じじゃないのか?
※※※
共感されにくい感性を持っているのに大成功し、でも頂点に行ったら後は落ちるだけで、どんどん自分が愛されなくなって惨めになるのをおそらく雅愛は色んな行為で紛らわそうとしたのでしょう。
ヤクや酒、そして暴力。
とくに、藻屑については生まれた瞬間から独占欲というか「俺の子どもなんだから俺のものだ」という感覚があったんじゃないかなと。
そうでなければ「海野藻屑」なんて名前をつけない。自分だけがわかる愛情を我が子の名前に付けた。
そんな我が子に幼い頃から暴力を振るって、その結果一生ものの障害を負わせて、それでも離婚した時には落ち目の自分の下にいたのならば。
絶対に、自分の傍から離れないよう、自分を愛する絶対な存在であるよう願うのではないかと。
……まぁ、かように理屈としては理解できるんですよね。
※※※
そんな彼は、娘に数々の呪いをかけたことが劇中からうかがえます。
肉体的な暴力だけでなく、言葉の暴力も振るわれていたことが、なぎさとの会話の中でうかがえます。
「死んじゃえ」が愛情表現。
いわくバカで顔しか取り柄の無い恥ずかしい娘。
でも自分の庇護の下でしか生きていけないのだと鎖で繋いでいたはずの娘は彼女なりに成長していた。
彼女なりに砂糖菓子の弾丸を撃ち込んで「父親が正しいのか」「それともこんな自分でも愛してくれる友達がいるのか」と命懸けの大勝負に出た。
さあ海野雅愛にとっては自分を愛してくれる唯一の存在が自分の手から離れようとする一大事だ。
なぎさ視点だと本作は「なぎさ・藻屑・花名島」の三角関係によって事態が拗れた話ですが、海野家視点だと「藻屑・雅愛・なぎさ」の三角関係で、藻屑の取り合いになっていた構図になっています。
藻屑を精一杯庇おうとする、自分の下から引き剥がそうとするなぎさに対して本当に子どもみたいな八つ当たりしかできなかったわけですからね。
自分が飛び出した故郷に帰ってきて、イライラして愛犬まで衝動的に殺してしまい。
どんどん娘が独り立ちしようと足掻いてきて。
その結果、ある日娘は美しい顔をボコボコに殴られて帰ってきた。
海野父娘の精神は常人には理解し難いルールに則った、互いが互いを想い合うがあまりに傷つけあって、摩耗しきって、結果的にああなった。
※※※
友彦の存在は、雅愛との対比もありますね。
感受性が強く人一倍傷つきやすい性格の男だけれど、家族に対しての愛情表現と行動が、その家族のためのものなのか、自分のためのものなのかという違いです。
【担任教師】
読み返して一番印象が変わった人物。
何せ登場シーンが少ない。台詞も少ない。長弁舌を打つ場面は、ただでさえ余裕がなくなったなぎさちゃんを追い詰める印象の悪い行動。
でもこの先生も、かつては子どもという戦場を生き抜いた兵士だったのだとなぎさが気づくわけですが、諸々の情報を拾って組み合わせると「あれ?この先生ものすごい闇抱えてね?」とこの年齢になってから私も気づくという。
暴力沙汰を起こして停学処分になった花名島に「これで髪が伸ばせるようになったな」と言う場面は一見無神経極まりないのですが「野球部員のお前は丸刈りが当たり前だった。そしてお前はもう野球部を退部させられた。でも野球だけが青春じゃない。しょぼくれるな」という激励を送っているわけです。
こんなん伝わるかよ。
なぎさちゃんの進路相談の件でも、意識してなのかそういう性分なのか、めちゃくちゃ嫌われるような口ぶりをしていますし、なぎさちゃんが知らない所で藻屑ちゃんとも話をして助けようとしていた。
でも上手くいかなかった。
子どもを殺す奴が頭おかしいとか激昂してのたまう。
何より「海野、お前は大人になる気があったのか?」と藻屑ちゃん本人ですら遂には漏らさなかった、でも劇中の言動と行動を見れば腑に落ちる発言をするあたり、藻屑ちゃんと面談してそれが理解できる感性持ってるんですよねこの先生。
※※※
雅愛の項で書いた通り、そして藻屑ちゃんが花名島に暴行を加えた後に特大の絶望を漏らしたり、そもそも富士ミス版のあらすじでは「大人になんてなりたくなかった」から始まるとか、本作の下敷きである人魚姫が少女が大人へとなる過程のメタファーを描いているというのなら「そもそも大人になる気がなかった」心境を理解できるキャラクターがいるというのは、意図的なのでしょう。
「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」というタイトル通りの結末を迎える本作ですが、その砂糖菓子の弾丸の意図を知る大人が子どもたちの傍にいたり、
そもそもフィクションの小説というモノ自体が砂糖菓子の弾丸なのだから実際のところ本作にはどこか「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない?そうだよ、でも砂糖菓子の弾丸は心に残るんだよ」と息巻くモノを感じるんですよね。
砂糖菓子の弾丸は現実世界にコミットしないかもしれないけれど、人間の心の中に溶けて、やがて、実弾になるかもしれない。
そしてそこには「大人になんてなりたくなかった」という深い絶望が見えるわけで。
汚い大人になんてなりたくなかった。
無力な子どものままでもありたくなかった。
なら、あの、絶望と、閉塞感と、惨めさに満ちた青春時代のまま死ぬことができたのなら。
先生は、その憧れを少しだけ知ってしまっているんじゃないのでしょうか。
【読み返したのは富士ミス版】
前回記事では「表紙詐欺だ」とか言っていたんですけど、なんだかんだ言って20年前のむー先生のイラストで描かれているオリジナル版が読みたかったので……。
口絵の時点で藻屑ちゃんが左耳側をなぎさちゃんに向けていたり。
作中描写からするに、友彦お兄ちゃんは三年間髪を切らずにいた様子なので長髪なのに、そこまで長い印象を覚える口絵イラストでもなかったり。
花名島が言うほど坊主頭でもなかったり。
そういうツッコミ所がかえって「ああ、昔のラノベってこうだったよなぁ」と懐かしさに浸ってしまう。
ウィザーズブレインでさー、なぜか肉まんがデフォルメキャラになってんの。ああいうイラストレーターの勝手暴走最高じゃん。
※※※
大体この話キツすぎるから可愛いイラスト補正ないと辛いんだよ!!
コミックス版のキャラデザの方が明らかに作中描写に沿ってリアルなんですけれど、それこそ実弾ぶち込まれるような気分になってですね。
辛い話を甘ったるい虚構でくるんで何が悪いんだよ。むー先生のイラストは、公式に「~~たら」「~~れば」を見せてくれて、ほんの少しでもこのあまりにも酷い話に幻想を与えてくれているわけでして。
【空想的弾丸は今の世の中では飛び交っている】
20年前の時点でも飛び交っていたんですけど、流れ弾を受けやすい環境になった気がするんですよね。
そこらへん思ったので例によって渋でSS書いてみたり。
※※※
ちょっと不謹慎な話をする気もしますが、昭和末期にオカルトブームとかあったらしいじゃないですか。
インチキだとか本当だとかそんなことはどうでも良くて娯楽だったんだと思うんですけど、結構本気にしている人は中にはいらっしゃった、そんな今ではよくわからないお祭り騒ぎだったみたいで。
あそこまで行くと、この小説で定義されている空想的弾丸と実弾の区別が曖昧なんですよ。超能力だとか手品だとかで食っていけていた人間が、確かにあの時代にはいた。
そしてオカルトブームも収束したけど残り火があった時代に、あのオウム真理教のテロ事件があったりしたわけで。
そんで彼らの信じるお話は、あの頃のオカルトブームの余韻があったわけで。
※※※
先述しましたが確かに砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない、でも人の心には残る。それがやがて実弾になるかもしれない。
それってマジもんの銃弾よりも下手したら怖いことなんじゃないのかと。
そして、このnoteもそうなんですけど、SNSでの情報発信ってそれこそ砂糖菓子の弾丸をぽこぽこ撃っているのとどこが違うんだよって思えてくるんですよ。
世の中に直接コミットしない、無力で甘ったるい無意味な弾丸――だったはずのものが、いつのまにか誰かを狂わせて良い方向に導いたり破滅の奈落へと突き落したりする。
※※※
でも、それがわかっていても、私も、誰もが砂糖菓子の弾丸を撃つことを止められない。
それこそが人間的文化であり、そうしてディスコミュニケーションが起きるし、分かり合えたからこそ悲劇だって起きる。
私たちは大人になってもまだあの戦場から逃れられない兵士なのかもしれません。