本雑綱目 18 平尾信子 黒船前夜の出会い 捕鯨船長クーパーの来航
これは乱数メーカーを用いて手元にある約4000冊の本から1冊を選んで読んでみる、ついでに小説に使えるかとか考えてみようという雑な企画です。
今回は平尾信子著『黒船前夜の出会い 捕鯨船長クーパーの来航』。
NHKブックスの706, 78-4140017067。
NDC分類では歴史>日本史に分類しています。
1.読前印象
僕の記憶ではそもそも欧米勢は江戸末期に日本沖に鯨漁場を発見したことから捕鯨基地局を求めて日本にやってきたわけで、そうするとその交渉に来た人の話だろうとは思う。当時の捕鯨船だと巨大帆船ではあろうけど蒸気船ではなかったはず。日本に来た蒸気船は『たった四杯で夜も眠れず』のペリーが初めてのはずで、蒸気船が生まれて外洋船になるのに少し時間がかかったはずだ。なんだか『はず』ばかりだな。浦賀に来た黒船も外輪船で多くは木造でできていて、しかも湾内に入れなかった記憶。木造船で洋を超えるって凄いな。当時の捕鯨船ってどのくらいの装備だったのかな。結構気になる。
そういえばこの四杯というのは蒸気船の船の杯と上喜撰という宇治茶の杯をかけた狂歌だ。
さぁ、張り切って開いてみよう~。
2.目次と前書きチェック
ペリーの8年前にアメリカの捕鯨船船長が漂流日本人を浦賀に送り届け、幕府と交渉したそうな。この本は日米両側の資料をもとに書かれている。前書きは著者の執筆にあたってのエッセイ感。
1章『捕鯨船長マーケーター・クーパー』、2章『日本訪問』、3章『マンハッタン号受け入れの背景』、4章『マンハッタン号の波紋』、終章『クーパー船長の残したもの』。
読む箇所を選ぶのが難しい。とりあえず興味の向くまま2章1『接近するマンハッタン号』と3章1『異国船来航の歴史』を読んでみよう。大黒屋光太夫をはじめ漂流民をつれたロシア船もたくさん訪れていたはずだし。
3.中身
『接近するマンハッタン号』について。
やっぱり樺太方面はロシアがあるからアメリカは南、小笠原を通ってくるもんなんだね。それはそれとして、浦賀にいたるまでの様子が実にカラフルに描かれている。奉行所でよほど詳細に記録が取られていたからなんだろうし、日本側の迅速な動きからもよほど外国を警戒していたんだなということが浮かび上がります。それから日本人の国民性というものがよく現れている気がする。
ところで日本側の証言が御座候で書かれているのにアメリカ側が綺麗な翻訳日本語で書かれていて読みやすいのがチグハグで面白い。
『異国船来校の歴史』について。
ロシアがシベリアを超えてカムチャッカを制圧してから日本に接近してきた頃、すでに太陽帝国であったスペインやオランダは落日して派遣は英米に渡る。鎖国によってドアののぞき穴から外を見るようにしか海外の情報を得られなかった日本はこの知らない間に起こった世界情勢の変化に右往左往するしかなかった。この日本の外交対応って各国の国力や力関係を全く把握しないままやったものだろうし、そう考えると恐ろしいですね。
昔から日本人というのはよくわからないものに忌避感を覚えやすい人種なんだろうかと思わなくもないけれど、おそらく実態はそうではなく、わりに好奇心旺盛だけれど幕府という権力が生殺与奪を握っているのでそれを隠すのに長けているし、何故かそのことに対する心理的抵抗が低い気がする。この辺はなんか奇妙だ。
王が力を持つのは他の国でも同じだろうけれど、どういうところで違いがでるんだろう。
この本は開国に至る経緯を書くには非常に有用な本だと思います。資料をもとに書かれている安心感が強く、さらに当時の動きが詳細かつ躍動的に描かれているから絵面が浮かびやすい。この辺で何か書いてみたくなったけど、ちょっと余裕がないな。
4.結び
冒頭に白鯨の一説があるのだけれど、それを考えれば日本の開国というのは避けえない時代の流れであって、なんだかんだ日本はソフトランディングしたんだなと思います。当時日本を訪れる捕鯨船のアメリカ人たち(イギリス人は傍若無人と書かれている)がフレンドリーで好意的だったのが恵まれていたのかもしれない。
鯨漁場が発見されなければ日本までくる利益がそこまで明確化しなかっただろう。当時、日本を攻めるにはやはり中間拠点が必要で、そう考えるとペトロ・デ・ラ・クルスを引き入れようとした大村純忠はよっぽど危険よなって改めて思う次第。
次回は矢田挿雲著『江戸から東京へ 3 浅草 下』です。。
ではまた明日! 多分!