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3回表「大阪ベーブルース」


非常に刺激的かつ学べる場でもあったのですが、結果としては支店に異動となることになりました。初めての大阪。寮があるので引越しは楽。寮には既に同期が3人。支店も自分が4人目。心優しきKYさんが、支店のIZさんの先輩でよろしく伝えておいてくれました。気持ち的には先輩はじめ支店の方々も、本店からのこのこという気持ちもあったでしょう。兄貴分としては本当に素晴らしい方で、やはり尊敬すべき先輩で懐かしいです。新人と一緒に育てられた上に、一つ下の代が既に営業では先輩でしっかりしている後輩でしたから。雑居ビルを回って名刺を置き、本当に客ができるのは大変でした。お情けで話を聞いてくれても、運用にまで回す客もいなく。少しずつ太くはないけど中小企業の社長さんなどでお客ができましたが、営業成績としては全然でした。
ただ大阪生活は寮の皆さんのおかげもあって楽しかったです。KS先輩もメンターではないけど面倒見てくれたし、同期も温かく迎えてくれました。後輩も優秀かつかわいげのある後輩ばかり。金曜は支店の若手全員でカラオケ行ったり、お客様の秘書とその友達と食事をしに行ったり、土曜は住宅街にひっそりと週末だけ空くクラブに行ったり。舞鶴の海まで行ったこともありますし。全然知らない先輩の結婚式に盛岡まで行ったのに、出し物だけ参加したり(披露宴には呼ばれず)。IZ先輩はテニスにはまっていて、相手としては申し分ない私を土曜日の朝早くに車で寮まで迎えに来てくれます。朝の弱い私はうっかりカギを掛けずに寝ていたら、「いつまで寝てんだー」と部屋に入ってほぼ蹴り起こされました。ほぼ早朝バズーカかヘビメタみたいな感じです。
皆さん暇なのか面倒見がいいのかわかりませんが、退屈することはほとんどなかったです。そもそも大阪に友達がいなかったから気を使ってくれていたのかもですね。この時はサークルの同期や後輩なども呼んで、大阪城や鶴橋行ったり、友達から破格の値段でシルビアを買ったのもこの時でした。寮で洗車をする後にたいがい雨が降りました。このころは車で大阪から東京まで帰ったことも何度かあります。夜だと4時間-5時間くらいで着きました。

ただなかなかそう簡単には営業成績は上がらず、そんな自信を無くしているときに、4年間バイトしていた先の社長から連絡あり、東京に戻ってこないかと。よくよく聞くと、卒業してそのまま就職した優秀な方、TNさんが辞めるからということもあったよう。

東京帰る直前に、心斎橋に止めた車で駐禁取られて、お偉い有名人のお父さん名義宛に出頭以来のハガキが来てしまったのには焦りました。逃げたらあかんけど、東京の最寄りの警察署に相談しました。夢のかけらがあったのかわからないけど、大阪はせつなくなるだけ今でも好きです。
ロードからひとまずホームに帰ってきました。

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