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【怪異譚】異世界の扉が開く雨の日の喫茶店(前編)

私は24才。経理関係の職場で働くOL。その日は朝から雨だった。傘を差して歩いていても足元から肩まで濡れてしまうザーザー降りで、私は近くの喫茶店に駆け込んだ。
「雨が小降りになるまで休んでいたい」と思ったのだ。

ドアを開ける。

『ん?なんだろ?』

私は突然、ザワッとして何か分からない違和感に気持ちが動いた。


「やあ、よく降るね。雨の日に来てくれてありがとう。嬉しいよ。ゆっくりしてくれていいからね」

席に着いて、タオルで濡れたところを拭いてひと息ついた。

「それで、ご注文は、どうしますか」

マスターは、ニコニコしながら話しかけてきた。

「あ、えーと、ケーキセットをください。ケーキはチーズケーキと飲み物はホットコーヒーで」

「了解」

なんと気さくなマスターだろう。初めての客に対してあんな接客をするのに、ちょっと驚いた。悪い気はしないが。最初に感じた違和感は、消えていた。

フウともうひと息付いて、水を飲む。おしぼりは温かい。心がほぐれていくようだ。

「さあ、お待ちどう様。ケーキセットをどうぞ」

「ありがとうございます」

外の雨は少し勢いを弱めただろうか。

チーズケーキをフォークで切って口に含んだ。

「美味しい!」

コーヒーも美味しい。

突然、駆け込んだ喫茶店だけど、「当たり」だった。

BGMは、クラシックの様な聴いたことのない音楽だった。緩やかな音楽は、まるで日常を忘れるような感覚になる。
周囲を見渡してみた。
ノートPCを広げる人、読書する人、ふたりだけで向き合い会話する男女など、いろいろだ。

美味しいケーキとコーヒーで私は心を満たされて食べ終えても、外に出る気になれなかった。

もう少し、此処に居たいけれど、何か注文しようかなとメニュー表を見てみた。
いろいろと揃っていて決め難い。

ちょうど脇を通ったマスターにおすすめを聞いてみた。

「あの、おすすめはありますか?」

「うん、すべておすすめだけど、今あなたはケーキを食べたから軽めのパスタがいいんじゃないかい。野菜のパスタなんてどうかな?塩味をメインに素材の味が分かるように工夫しているパスタだよ」

「じゃあ、それをください」

「了解。コーヒーは、おかわりが出来るけどどうする?」

「はい、お願いします」

「了解」


先にパスタ頼めば良かったな。私ったら順番、間違えてる。何してるんだろ.....。

ふと腕時計をみると、午後4時を過ぎたところだった。

『あれ?私、会社を出たのがお昼だったはず。それから、雨が激しく降ってきて、此処に入った.....時間の経つの、早過ぎない?』

不思議な感覚だった。

私の時計が壊れたのかなぁ。そういえば、このお店、時計が無いわ。

窓から外を見ると、まだ雨は降っているが小降りになって来た。

「さあ、お待ちどう様。野菜パスタをどうぞ」

マスターが運んで来てくれたパスタは彩りと香りが良くとても美味しそうだ。

「ありがとうございます。あのマスター、今、何時ですか?」

マスターは、自分の腕時計に目をやり「午後4時を過ぎた頃だよ」と言った。

「どうかした?」

「いいえ、私の時計、壊れているのかと思って、お聞きしただけです」

「そうですか。合ってますよ」

マスターは、ニコニコして答えた。

マスターがコーヒーのおかわりを持って来てくれて私はパスタを食べる。

『美味しい!!!』

会社の近くにこんなお店があったこと、今まで知らなかったなんて、信じられなかった。

あっという間に、私は食べてしまった。お腹も心も満足していた。

外の雨も止んだようだ。雨の音が聞こえない。
周囲を見渡すと、他の客は誰もいなくなっていた。

私ひとりだけになってしまったのね。でも、誰かが会計をしているところを見ていなかった。ドアを開ける音も閉める音もわからなかった。

『どうしてだろう』

すると、マスターがパスタ皿を片付けに席にやって来た。

「どうだった?美味しかったかな?」

「ええ、とても美味しく頂きました」

「それは良かった。是非また来てくれたまえ、雨の日に」

「えっ、それはどういう意味ですか?」

「此処は雨の日にしか開かない店なんだよ」

「あの、他のお客さんは、いつ外に出たんでしょうか?」

「そんなことは知らなくてもいいよ」

マスターの顔が青白く変わり、なんだか不気味な空気に胸が苦しくなって来た。

「さあ、それじゃ店を閉めるからね。
キミは、此処に居ていいよ」

そう言うと、マスターは、厨房に入って出て来なかった。

「あ、あの会計をして....マスター、何処ですか?」

「あなた、此処に居なきゃいけないのよ。もう外には出られないの」

突然、背後からセーラー服姿の髪の長い少女が現れて手招きしている。

「いやよ。外に出して!帰らなきゃ!」

「ダメよ、さあ、こっちへ来て」

私は少女の手招きに勝手に体が動くのに恐怖を感じた。

「いや!!いやーーー!!!」


どれくらい時間が経ったのだろう。
私はとある部屋にひとりでいた。

「あら、起きたの?お姉さん。また雨が降ったら、ご馳走を食べる事が出来るから、この部屋で待っていてね」

「........」

「そうそう、言い忘れたわ。あなたは、違う世界に来たのよ。この店は異世界への入り口なの。あなたは自分から、ドアを開けて此処へやって来たのよ」

少女は、クスクスと笑いながら部屋を出ていった。

少女には影が無かった。
そして私にも。

「あ、ひとつ話すのを忘れていたわ。
此処は時計のない世界なの。夜も無い、朝も無い。太陽も月も星も無いのよ。覚えておいてね」

腕時計は壊れていた。私の体は、何も変わっていない。異世界?何処にあるの?帰れないの?もう、私は?

部屋は、三畳ほど。部屋から出ようと試みたが、扉は開かない。窓もない部屋にはベッドにデスクと椅子。デスクに一冊の本があった。それに1本のペン。灯りもないのに暗くない。不思議だった。

本のタイトルには、
「異世界へようこそ」
そう書かれていた。

此処から出る手段がわかるかもしれない。
私は本を手に取った。


後編へ続きます

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てみ
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