高校の部活の思い出(2)
さて、後編。2年生編。
概念の獲得とか、いろいろ言ってきたが、そういう次元ではなかった。
今残っている記憶は「忙しい」の一言しかない。
これは、確信していうが、この時よりも「忙しい」ことは今後訪れないと断言しよう。
理由は順を追って説明する。
高校2年生では、「コンサートマスター」という役職であった。
今までのように個人練習に加えて、パート練習の指導、合奏でも先導するような立場、運営の立場として、全体の運営に関わる会議への出席、パート内への連絡などなど。
様々な仕事が一気に増えたわけである。授業があって部活がある。ただし、部活動の時間中は自分のパートの指導で終わる。それ以外の時間に自分の練習をして、また、練習のメニューを毎度、まだ苦手意識のある楽譜を読みながら、計画を立てる。また、部活動終了後に不定期ではあったが、全体運営のための会議にも参加する必要がある。この会議がまた長くて、2−3時間はかかる。
まあ、要するに時間が圧倒的に足りなかった。偏差値が20下がったのは衝撃的だったが、それ以上に衝撃的だったのが、実は世界史の定期試験である。高校1年生の時と同じような勉強時間を費やしたはずで、テストの出来栄えも悪くなかったはずなのに、なのに、予想した点数よりも20点くらい低かったのである。単純なミスも多かったが、覚え間違いなども非常に目立っていて、この時、パフォーマンスがこの一年で著しく減ってしまったことが判明したのだ。この衝撃は非常に大きく、一生この世界史のテストの記憶は概念として消えることはないだろう。
もちろん、授業の意味も全然わからなくなってきたのもこの時、初めて経験する。いまだにこういうのはトラウマみたいに残っている感じがする。
ということで、この時自分のパフォーマンスの「限界」というものを嫌というほど知ってしまった。こういう状態になったら、これだけ生産性が落ちるという感覚を身につけてしまったのだ。吐く経験によって、酔っぱらう限界を理解するのと大差はない。
なので、断言できる。これ以上忙しいと感じることは絶対ない。限界を感じそうになったら、その前になんとかするからである。
お世話になった方々もたくさんいたり、仲良くしてくれた後輩もたくさんいたり、同期もたくさんいて、今でも会う人もいるし、結果的には良かったことの方が多いと思う。小、中とまったく繋がりがないので、完全にやりとりは途絶していることも考えると、このときの繋がりは今後とも一切消えることはないのでしょう。
少し印象的な思い出をと思ったが、次の回に回すことにしよう。
まとめ、高校2年生は「忙しかった」