【記憶より記録】図書館頼み 24' 8月
酷暑に心底泣かされた今夏。
自身の有様を一言で綴るならば「体調が崩れた夏」といった感じです。とにもかくにも、苛烈な酷暑に加えて、目・首・肩に優しくない仕事があいまって、予期せぬ症状に悩まされる日々が続いています。もはや、これまで行ってきた対処・対策では不足してきた感がありますね。
早くも来年の酷暑を想像して萎えてしまっている伝吉小父でした。
その様なわけで、相も変わらず乏しい「図書館頼み」ではありますが、読書時間の質は低下していないのが唯一の救いと捉え、8月の「図書館頼み」に入らせて頂きましょう。
1:日本の鯨食文化 - 世界に誇るべき”究極の創意工夫”
著者:小松 正之 出版:祥伝社
「旬な本」を手に取ることができたと感じている。
題名を見れば分かる通り、長らく日本が直面してきた諸問題の中で、実に厄介なイシューとなっていた「鯨」を取り上げた一冊である。
構成としては、古の日本人と鯨が紡いできた歴史や文化を辿りながら、20世紀中盤以降に世界的な問題として取り上げられることとなった商業捕鯨に関する問題と背景(舞台裏)を詳らかにし、最後の締めとして「日本人が誇るべき豊かな鯨食文化」に繋げている。
各章・項には、史実や著者の経験談、データばかりではなく、古い時代の絵図や可笑しみを感じさせる話題も豊富にちりばめられており、本書を手にした多くの読者が充実感を得ているのではあるまいか。
※鯨・捕鯨・鯨食というだけで嫌悪感を覚えてしまう読み手であっても、歪な色眼鏡を外して読みさえすれば、アレルギー反応を過度に示すことは無いと推察する(希望的観測)。
さて、ここから少しだけ趣を変えさせて頂き、この豊かな内容を誇る一冊を著した人物について簡単に触れておくことにしたい。
著者の 小松 正之 氏(岩手県出身・1953年生)は、長らく水産庁に籍を置き、日本が関わる漁業交渉の最前線で活躍してきた御仁である(現在:政策研究大学院大学教授)。
我が国の商業捕鯨に関する外交に対しては色々思うところもあるけれど、小松氏の様な重責を担える人物は他にいないのであろう。それを思えば、批判に始終するわけにはいかない。
これまで幾度となく、捕鯨問題を取り上げたTV番組で小松氏の姿を拝見したことがある。
しかし、何れの番組でも、彼の顔色は芳しくなかったように思う。少なくとも、私には「消化不良に終わった感」を滲ませていた様に見えた。そもそも、尺に限界があるテレビ番組では取り扱える性質の議題ではなかったのだろう。彼の心の叫びが世の中に広く伝えられたとは到底思えなかった。
けれども、小松氏の様な人物が、陰に陽に奮闘しているという事実を認識できたことは勿論のこと、私が抱いていた鯨を取り巻く諸問題に対する陰鬱とした思いを活性化させてくれたことだけは確かなのである。
かような経緯もあり、本書の内容に対して疑念を抱くことなく手にしたわけだが、その道のオーソリティーと謳われた人々が著した書籍の多くが「有り余る情熱に基づいた極論」に始終するケースも少なくないため、適切な距離を保ちながら読むことに努めた。
だがしかし、私の警戒心は読み進めるうちに緩やかに解けていった。
確かに、長らく捕鯨問題に関わってきた人物であるだけに、行間から滲み出てくる熱量はそれなりに凄い。しかし、そこに硬直した思想の発露は無かった。万事が淡々としており穏やかなのである。
本書を通奏する「穏やかさ」はどこからくるのだろうと考えながら読み進めた結果、「歴史認識や思想信条はおろか言語モジュールが合致しない人間たちと、長期に渡って相まみえてきた稀有な経験の積み重ね」が本書の穏やかさ、引いては撓やかで嫋やかな雰囲気を醸しているという結論に達した。
気骨ある好人物が時に見せる穏やかな表情・・・そんな佇まいを本書から感じ取ることができたことに喜びを感じている。
もうひとつの「鯨」に関する本の話
さて、今回は「図書館頼みの一冊」に関連付けて、今一冊「江戸時代のクジラの食べ方・使い方」を備忘しておこうと思う。(なお、本書は去る記事で淡く紹介をさせて頂いている。著者のnoteは下リンク先を参照あれ。)
本書「江戸時代の〜」には、前出の「日本の鯨食文化」でも取り上げられていた古文書「鯨肉調味方」の口語訳が第二部で掲載されている。
これを読めば、日本人が鯨を余すところなく堪能・活用していたことが分かるだけではなく、料理法の記述が放つ芳ばしさに驚かされるのである。(端的な表現でありながら再現性を感じさせる点に感心させられた。)
因みに、小松氏の調べによれば、「鯨肉調味方」なる古文書は、平戸藩の松浦家が組織した「鯨組」の中で最も有名な「益富組」によって編纂された「勇魚取絵詞・全三巻」の中の第三巻にあたる古文書ということである。
この「勇魚取絵詞」は挿絵も緻密で、それは正に「鯨図鑑」といったレベルであることが分かる。そして、鯨を食べる行為を文化足らしめようとする強い意志すら感じさせてくれるのだ。
また、話が前後してしまうのだが、本書の第一部として「除蝗録」という古文書の口語訳が掲載されている。
「蝗」とは、イナゴのことなのだが、何の関係があるのかと思って読み進めると、田畑を荒らすイナゴの対処(放置すれば深刻な飢饉に繋がる)として鯨油が重用されてきたということが分かった。これは新鮮な驚きであった。
よくよく考えてみるに、西洋の列国が欲した鯨油(ペリーさんも鯨油絡みで日本くんだりまでやってきた)の使い道と比較しても、極めて平和的かつ人道的であったことが分かろうものだ。然るに「徐蝗録」を記した大蔵永常という人物の「害虫がもたらす飢饉を回避させたい」という志に深く共感を覚えた次第である。
と言った具合に、ここまであれやこれやと綴ってきたけれど、私自身の食べ物に対する考え方は至って単純明快だ。
いただいた命は、無駄にせず有難くいただく。
東の果ての島国に生まれ育った私達の先祖が身に付けていた当たり前の感覚を、私は素直に受け容れたまま生きていきたい。
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