もう直ぐ終わりを迎える激動の2023年。
何の因果か気まぐれか、今年から五十の手習いよろしく挑戦することにした短歌の世界。而して、門外漢の嗜みにもかかわらず、恥ずかしながら十八首の「旅縛り短歌」を捻り出した次第です。
此度は、不遜を承知で拙作を振り返ってみようと思います。芸も捻りもない短歌ですが、お時間のある方はお付き合いくださいませ。
序:「旅縛り短歌」を始めるにあたって
そもそも、放っておけば寿限無のような長ったらしい文章しか綴れない無粋な人間ですから、旅行や見学・鑑賞の類(美術館・博物館など)を備忘しようものなら、ネット空間と電力と時間の浪費になることは必至。
故に、旅先で得た感慨を短歌で表現するという設定を課すことで、瞬発力と推敲力が養われるのではないかと睨んだわけです。
それが「旅の記録を短歌で濃縮する」という試みの眼目でした。
それでは、四の五の言わず、1年分の拙作を振り返らせて頂きましょう。
※短歌の右下にある日付と題名の部分にリンクが貼ってあります。
壱:盛岡~岩手沿岸漫遊 「早春」
弐:新潟漫遊「晩春」
※漫遊後記はこちら
参:岩手沿岸漫遊「初夏」
※漫遊後記はこちら
肆:花巻~岩手沿岸漫遊「初夏」
※漫遊後記はこちら
花巻の後で訪れた陸前高田の浄土寺では、「奇跡の一本老松」に気をとられて歌を詠むのを忘れてしまった分、心を込めて後記にしたためました。
伍:福島漫遊「盛夏」
陸:盛岡漫遊「晩夏」
跋:眼目は達成できたのか?
それでは「感想以上考察未満」の振り返りを綴ってまいりましょう。
正直なところ、冒頭で掲げた設定に準じたことで、当初の眼目としていた瞬発力や推敲力が成長したか否かは分かりません。けれども、自身の感受性が反応する瞬間、若しくは反応が促進しやすい状況を感知できるようになったと実感しています。
加えて、古典の授業を睡眠時間にトレードオフしてきた不埒者が詠んだ短歌であることを鑑み、詠んだ歌に関する能書きや言い訳を一切排したわけですが、この決断は予想以上の副産物を与えてくれたように感じています。それは「解釈は読み手に委ねる」という、表現する者として至極当たり前の姿勢を選択できるようになったことでした。
とても勇気がいる決断でしたが、遂行して良かったと思っています。(苦手な事に挑戦する時って、自分自身を肯定したいが為に理由付けに走りやすいものですよね。)
それが、現時点での成果だと言えるかもしれません。
さて、そろそろPCの電源を落とすことに致しましょう。
来る2024年も心明るく短歌に興じたいものです。
また、そうした穏やかな心持ちになれるよう、日常生活の匙些末な事柄を丁寧にこなしていきたいと改めて決意している伝吉小父でした。
それではお後がよろしいようです。