【2024年 総括未満の雑感】未だ途上
インフルエンザ感染から復帰して、あっという間に1週間が過ぎました。
この『与えられた1週間』を、遮二無二動き回った結果、予定通り昨日(27日)に仕事を納めることができました。
そして本日は、予想していたよりも穏やかな天候だったことから、アトリエの大掃除(ワックス掛け)を前倒しで行いました。これも、数日前から段取りを整えていたからこそ。年末の貴重な時間を病臥に費やしたことで、最終週の密度を意識的に上げることができたように思います。
まったくもって『怪我の功名』を地で行くような一週間でした。
とかく、万事が首尾よく整うと気持ちも軽くなるというものです。
昼食後に、なんとなく気が向いたので、泉ヶ岳を撮影しに出かけました。 向かった先は、家から程近い場所にある根白石という町です。(※この地名については、本稿末に掲載している写真下の解説をご参照下さい。)
眼前に広がる泉ヶ岳は、晩秋と言っても良いくらいの状況でした。
奥羽山脈の分水嶺を乗り越えてきた分厚い雪雲が、隣県の過酷な降雪の様子を窺わせたものの、泉ヶ岳スキー場のゲレンデの周辺は未だに灰褐色のまま・・・。ふと耳をすますと、田畑の上を走り抜ける風の爆音に混じって白鳥の鳴き声が聞こえてきました。白鳥の飛来は季節通りなのでしょうか。
冬景色とは言い難い光景の中で、冷たい北西の風音と白鳥の鳴き声だけが、私の耳に厳冬の訪れを教えてくれているようでした。
そんなこんなの一日。
かくして、私の『年の瀬』も穏やかなものとなりそうです・・・って、洗面所の方で嫁さんがなんか大声で喋ってますよ?!
「伝さん! 明日、障子の紙を張り替えるから手伝ってね!」
どうやら『汗を流す日々』は今暫く続くみたいです(トホホ)。
2024年 総括未満の雑感
例年に習って、その年の総括めいたことを綴ろうとPCの前に座ってはみたものの、なんとはなしに釈然としていない自分の心に気が付きました。それは『やり切った感』と『未だ途上感』というアンバランスともアンビバレントとも言い難い複雑な感情が心を占めているからでした。
故に、今年は総括めいた事を記すことなく、年の瀬を迎えた今だからこそ強く感じている『やり切った感』と『未だ途上感』を反芻しながら備忘しておこうと考えるに至りました。
この『やり切った感』が何処から来たかと言えば、親父の役割を終えた(現実的には今後も続く)と感じたことに因るのでしょう。この大きな節目については、過日の記事が象徴しています。
かような創作の時間を持ちながら、私自身もまた『父親』から『男』へ戻れるような気配を感じることができたし、こうした時間の経過が生みだしたグラデーションの中で、長らく心に描いてきた行動へ速やかに移行することができたという点は、先々の糧になるような気がしています。
今にして思えば、この『やり切った感』と『未だ途上感』の合間には、『いよいよここからだ!』という前向きな気構えが芽生えてきたと言うことなのでしょう。そうしたエネルギーの発露が、私自身を取り巻く全ての物事に、正負を綯交ぜにした変化を与えようとしていたのかもしれません。
そして、この『未だ途上感』を堪能させてくれている大きな存在が、満を持して五月から開始した取組みになるでしょうか。
さわさりながら、始めてから7ヵ月程度しか経っていないので、確言できるは事柄はありません。と言うのも、専門分野から離れた完全アウェーな取組みであることから、未だに余裕を感じたことは無いし、練度も低いので、『語れる口を持たない』というのが真相だったり(苦笑)。
いずれにしても、クライミングを始めた頃の様な『自分の体を実験台にするような感覚』を味わっている段階なので、来年以降も、心身の状態を留意しながら継続させることを旨として・・・いやいや、緩やかな水勾配成長を自認する私ならではの表現に直すならば、麗しい川の清冽な水の流れを止めることなく、展望の良い豊穣の海へ流れていきたい・・・そんな風に考えているところです。
師走のご挨拶
一年を通じて、他愛もない拙稿へ貴重な時間を費やして頂いた皆様、また温かいコメントを頂戴した皆様、そして諸々のボタンをスマッシュして頂いた皆様、更に、この note から拙作とご縁を結んで頂いた稀有な方々に、心より感謝申し上げます。本当に有難うございました。
拙稿の稀有で酔狂で賢明なる読者の皆様が、心穏やかなる年の瀬を迎えられますよう、ここ仙台より祈念しております。
良いお年をお迎えください!